Private Talks
1.ロンとアレク
「失礼しまーっす」
「……何だ、珍しいな」
軽く挨拶をした俺の声に、書類から目を上げた指揮官――アレク・ランブルが片眉を上げた。
「長官が早あがりだったんで」
今日の分だそうです、と長官から預かった書類ケースを手渡し、俺――監察部副官ロン・セイヤーズは肩を竦める。
「ああ……そういえば、今日は義姉さんの誕生日だとか言ってたか」
「そうなんすか」
と、指揮官――うちの長官とは兄弟だ――はほんの一瞬、中空に視線を浮かせた。
「何だ、聞いてないのか?」
受け取った紙の束をぱらぱらと捲りながら呟いた上官の言葉に、俺はいやいや、と首を振る。
「聞かないっしょ、わざわざそんな。兄弟ならともかく」
いくらうちの長官がフレンドリーだと言っても、訊かれもしないのにそんなことを言う必要もない。
で、ついでに俺もハル――俺の相棒も、いちいちそんなことを詮索しない。
「まあ、それもそうか……ああ、問題なさそうだな」
呟くと、指揮官はさらりと目を通した書類の最後にペンを走らせる。いつもの事ながら仕事が速い。
「わざわざご苦労だったな、もういいぞ」
「どもっす」
その声に指揮官は頷いて、別の書類に手を伸ばす。だが机上に落ちた俺の影が一向に動く気配のないことに気付いて、呆れた表情で顔を上げた。
「――念のため訊くが、何か用か」
正面切って問われ、俺は視線を逸らして口ごもった。
「あー……っと、その、っすねえ…………」
明らかに俺の逡巡を読み取っての問いに、言葉に詰まる。
正直、ばつが悪い。ガシガシと頭を掻く俺を眺め、指揮官は深く溜息を吐いた。
「ちらっと顔を出していけばいいだろう」
さっきに比べて、声が少し明るく口調はさばけたものに変わったのは、おそらく気のせいじゃない。それほど親しいわけではないが、それなりに付き合いもあるからわかる。仕事モードからプライベートに意識を切り替えた証拠だ。
「いやまあ、そうなんすけどね」
簡単に言ってくれるが、はいそうですかと押し掛けられるなら、ここで油を売ったりしていない。煮え切らない俺を胡乱げに眺め、指揮官はいかにも面倒くさそうに眉根を寄せた。
「この時間ならいるだろ。今日は外回りはなかったはずだ」
「行ってもいいんもんすかね」
俺が気にしているのは、友香のことだ。共に幹部候補生として切磋琢磨し、今は公安部の長官に就任した幼馴染。
就任して半年。あいつは元気にしてるんだろうか。仕事は上手くいっているだろうか。
様子を知りたいのはやまやまだが、お互い忙しくてゆっくり話をする機会も持てずにいる。こうやって本部棟に顔を出したついでに会いに行こうかと思ったことは数あれど、下手に顔を出せば仕事の邪魔になるのではないかと思うと、なかなか会いに行く踏ん切りがつかない。
そんな俺に、指揮官は呆れた様子を隠すこともせずに嘆息した。
「挨拶に寄るくらい、特に不自然なことはないと思うが?」
「自分とこの長官が他部署の副官とやたら親しいとか、気になりません?」
就任直後の今は、部下との信頼関係を築く大事な時期だ。そこに、他部署の副官である俺が用もなく頻繁に顔を出せば、あまりよい印象をもたれないだろう。
だが、俺の心配を指揮官は鼻で笑い飛ばした。
「なんだ、そんなことを気にしてたのか?」
「そんなことって、そりゃ指揮官はトップだから気にならないでしょうけどね」
「――大丈夫だ」
はっきりと、指揮官はそう口にした。
「友香は順調に部下を掌握しつつある。訓練の時に軽んじた連中を思い切りやり込めたからな」
「あー……そりゃまた命知らずな」
そいつらは、アイツの性別と小柄な見た目だけで判断したんだろうな。ばかな連中だ。ただの女が長官になんてなれるわけがないってのに。
「だろう?」
と、指揮官がにやりと笑う。そんな表情に、俺と同い年の等身大の彼が垣間見える。
「だから余計なことを気にする必要はない。むしろ親友が会いに来れば喜ぶだろ」
書類仕事の時にだけ掛けるらしい眼鏡の奥で、揶揄するように瞳が笑う。
……ふーん、俺を焚き付ける余裕があるってか。
「まあそうでしょうけど……てか今『親友』強調しましたよね」
俺のツッコミはさらりと流して、彼は続ける。
「大体、あいつの邪魔になるのを気にするんなら、俺の仕事も気にしたらどうだ」
「あーなんつーか、それとこれとは別……」
指揮官の立場なんか考慮したところで、盤石すぎて何の意味もない。
「じゃあまあ、行ってきますかね」
「ああさっさと行ってこい」
しっしっと煩いハエを追い払うような上官の仕草に、小さな溜息と共に肩を竦め、俺は踵を返した。
「――あいつは実力であそこにいるんだ。お前が一番よく知ってるだろうに」
背中に当たった静かな声に、足が止まる。
――ああ、そうか
俺が余計な心配をする必要なんかない。心配しなくとも友香には、自分で居場所を作りだせるだけの力があるのだから。
彼女の強さを誰よりも知っている筈の俺が、つまらないことで悩んでいたものだ。しかも恋敵に塩を送られるなんて、不覚にも程がある。
――本当にこの上官は質が悪い
自然と口元に笑みが浮かぶ。不覚ではあるが、指揮官の言葉に気が楽になったのは事実だ。
「――んじゃま、うるさい保護者の許可も出たことだし、食事でも誘うとしますか」
肩越しに振り返り、にやっと笑ってみせると、指揮官は嫌そうに顔を蹙める。
「……誰が保護者だ、誰が」
「ほんじゃ、失礼しまーっす」
小さくぼやく声を背中で受け止め、俺は初めと同じように軽めの挨拶を残して扉を閉めた。
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