White day 2022
暖かな風が頬を撫でる。
さわさわと揺れる梢を眺めつつも、気持ちがいつもよりも少し浮き立っているのは、天気が良いから――だけじゃない。
「おはよ、ロン」
横合いから聞こえた声に、振り返る。幹部候補生時代からの友人にして現公安長、中山友香だ。
「おう」
一瞬、ドキリとしたのを隠して、素知らぬ顔で手を挙げる。今日は黒のカットソーにパステルグリーンのふわりとしたスカートという出で立ちだ――あー、浮かれるなよ俺。
「んじゃ、行くか」
肩を並べて歩き出す。
「それにしても、休みが会うなんて珍しいよねー」
待ち合わせをしていた本部棟前の広場から、城下町の方へと歩きながら友香が言った。公安長である友香も監察の副長である俺も忙しく、なかなか休みが一致することがない。これでも就任直後に比べれば大分マシになった方だが、それでも今日だって本当は半休の予定だったのを、相棒のハルに頼み込み、夜勤2回を代わるという条件で全休をもぎ取った――なんてことは、おくびにも出さない。
「で、どこに行くか決めたのか?」
「んー、3つまで絞ったんだけどねー。あとはお店まで行ってから決めようかと」
「なんだそりゃ」
「だってね? 旧市街に新しくできたケーキ屋さんが絶品だっていうし。でもマルセルさんのところの新作も気になるし、やっぱりメゾンドシュクレのケーキも定番で捨てがたいじゃない……?」
口元に手を当てて、真剣に考え込む様子を見せる友香に、思わず口元が緩む。か――いや、なんでもない。
「新しくできた店なら、ハルが買いに行くって言ってたぞ」
「へ?」
「お前が今日行きそうな店って言って、今の候補3つ、まんま挙げてた」
「さすが元相棒……」
候補生時代のパートナーだけあって、友香の味の好みに関してはハルが最も詳しい。
「んで、最終的に奴はメゾンドシュクレの期間限定品を買いに行くらしい」
新店はメニューを見たがるだろうし、マルセルの所の新作は店内限定だから、とハルは行っていた。
「てなわけで、今日は残りのふたつな」
「ふたつとも? いやあさすがにそれは食べ過ぎじゃ」
「どうせ消費するだろ」
「するけど。ていうか、両方行くんなら私も払うからね」
「それじゃお返しになんねえだろ、黙って奢られとけ」
今日の目的は、少し遅めのホワイトデーだ。人界でバレンタインという行事を覚えてから、友香は毎年、身近な人々にチョコレートを贈っている。本人は別に返礼を期待しているわけではないとは言うが、俺は例年、本人のリクエストを聞いてケーキや菓子を返している。今年はちょうど休みが重なったおかげで、こうしてデ――もとい、一緒にケーキを食べに行くことになったわけだが。
「わかった、じゃあふたつめのお店は私が奢る」
「わかってねーじゃねえか。却下。んでどっちから行くよ」
若干強引に決定すると、「えー」と言いながらも友香はパタパタと後を着いてきた。
*
「そういやさ、合同訓練しようぜ」
「合同訓練?」
首を傾げる友香に「おう」と答える。
今いるのは、2軒目の店。マルセルというきっぷの良い女将さんのいる食堂だ。一軒目の新店の後、腹ごなしに街中をぶらついてから、遅めの昼食を取りがてらこの食堂にやって来た。デザートはもちろん、今日の目当てのひとつだった新作のケーキだ。
この店は時折、人界風の新メニューを出すことでも知られている。「ランブル」本部から近いこの旧市街には、俺たちのような「ランブル」の士官も頻繁に出入りする。士官の中にはもちろん旧市街の出身者もいるし、家族を持ってから市街地に自宅を設ける者も多い。そのため、昔から「ランブル」本部で流行した人界の食べ物の情報が伝わりやすく、それを再現する店もいくつかある。この食堂もそのひとつだが、再現度の高さと味の良さで抜きん出た人気を誇る名店である。
まずは食事をして、今はデザートが運ばれてくるのを待っているところだ。
「おう。やっぱ
罪を犯した者達の管理を担当する監察部は、武官とはいえ内勤が多い。そのため、どうしても実戦感覚が鈍りやすい――というか、元々どちらかといえば武官としては実力が足りず、公安や情報、警備部には配属されなかった者が多いらしい。それに監察部は数年前に大きな事件を起こして、当時の長官以下、主立った者たちが捕まったり免職になったりしたせいで、未だに人材不足に悩んでいる。欠員を補充するために、訓練不足の新人を投入せざるを得ず、それがさらに戦力不足を引き起こしている状態だ。
しかし普段は内勤の多い刑吏とはいえ、万が一の場合を想定すれば、実戦感覚が鈍るのは望ましくない。俺やハルは3年ほど前まで公安部の長官候補生だったから、なるべく訓練の機会を増やしてなんとか底上げをしてきたが、やはり実戦経験が足りない事だけはいかんともしがたい。そこで、公安部との合同実戦訓練を思いついた、というわけだ。日頃から人界で罪を犯した連中と戦っている公安部員と手合わせをすれば、教本通りの型ではない実戦ならではの感覚を体得できるようになるはずだ。
「いいよ。うちとしても、他の部署と手合わせできるのは助かる」
「おし、んじゃ長官に話通しとくわ。そっちも都合の良い日程見といてくれ」
「OK」
話がついたところで、待ちかねていたデザートが運ばれてきた。
「はいよ、お待たせ。友香ちゃんの分は少しオマケしといたからね」
「うわ、ありがとうマルセルさん大好き!」
やや大きめに切られたケーキを前に、友香がはしゃいだ声を上げる。
訓練生時代から出入りしているから、女将さんも友香の甘味魔神ぶりはよく知っていて、こうして時々サービスしてくれる。
――にしたって「大好き」ってお前……いや、羨ましいわけじゃないけどよ
複雑な心境で2人のやりとりを眺めていると「あんたもしっかりしなよ!」と思い切り背中を叩かれた――痛ってえっつの。
女将が去って行くのを手を振って見送って、いざ、とばかりに友香はフォークを構えた。
「んーっ、美味しいー」
生クリームとラズベリーがたっぷりのったレアチーズケーキを一口頬張って、友香はふにゃりと相好を崩した。普段、公安長として部下の前に立っているときには決して見せない顔だ。そんな表情を見るのは久しぶりで、ついつい俺まで笑顔になってしまう。
「こっちも食うだろ?」
俺の分の皿――こちらは定番のシフォンケーキだ――を差し出すと、友香はキラキラと目を輝かせた。
「やった! じゃあ一口――」
そっとフォークでケーキを切り取り、口へと運ぶ。
「んー、こっちも美味しい」
ふふ、と嬉しそうに笑う顔がかわ……いやなんだその、この上なく幸せそうだ。
「もっと食っていいぞ」
「うん、ロンが食べた後でもらう」
俺はあまり甘いものを食べないから、こういうときは友香に半分譲るのが常だ。
そのまま何てことない会話を交わしながらケーキを堪能して、コーヒーを一口呑んだところで、俺は懐に入れていた包みを取り出した。
「ん、これ」
「?」
テーブルの上の小さな紙包みを見つめ、友香はきょとんとした表情を浮かべた。
「やるよ」
「え、なんで」
「お返しのオマケ。ま、開けてみろよ」
俺の言葉に、友香はパチパチと瞬きを繰り返してから、ゆっくりと紙包みに手を伸ばす。かわいらしいリボンを解いて包みを開ける。
「わ、かわいい」
そっと取り出したのは、シルバーの髪留めだった。午前中、街をぶらついていたときに見かけてこっそり買っておいたものだ。小花を散らしたようなデザインで、所々に緑の石がちりばめられている。
「最近、髪伸びてきただろ」
最近、友香は髪を伸ばし始めたようだ。候補生時代には顎のラインで切りそろえていたのが、今では肩につくくらいまで伸びている。
「嬉しいけど……でも、いいの?」
「お前のことだから、俺にここの支払いさせる気ないんだろ? その代わり」
「…………もう」
俺に引く気がないのを察したのだろう。ぷう、と軽く頬を膨らませた後で、友香は目元をふわりと和らげる。
「ありがとう。大事にするね」
「おう」
頷くと、早速友香は横の髪をささっとまとめて後ろで留めた。そのまま軽く上体を捻ってこちらに後頭部を向ける。
「どう?」
「おう、似合ってる」
「えへへーありがと」
照れたようにふにゃりと笑う友香の頬に思わず手を伸ばす。そっと摘まむと、柔らかい感触と共にほっぺたがみょーんと伸びた。
「お、変な顔」
「ちょっともう、何すんの」
「いや締まりのない顔してるからつい」
「失礼な」
むすっと口を尖らせる友香に「悪い悪い」と軽く謝る。
「そろそろ行くか」
「そうだね」
友香は財布を取り出すと、テーブルに代金分の金を置いた。チップを考えても少し多めなのは、サービスしてもらったことへの謝礼分だろう。
「この時間ならもう一軒行けそうだな。なんなら夕飯も食って帰るか?」
「何その食い倒れ企画みたいなの」
「お前の胃袋がどこまで甘味を受け入れられるか、検証してみようかと」
「よし、乗った」
「乗るのかよ。それじゃたまには新市街まで足を伸ばしてみるか」
そんな会話を交わしながら店を出て、歩き出す。
柔らかな陽光を浴びて、友香の髪をまとめる銀の髪留めがきらきらと輝いていた。
※活動報告にオマケの後日談があるかも。
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