Act.7-2

 昴の部屋で朝食を共にした日から、ふたりの食事は続いていった。

「また食べに来いよ」

 自分の部屋へと戻るクロセに、昴は次の約束を結んだ。

「……呼んでくれれば、いつでも」

 クロセはうなずいた。いつしか約束は役目を終え、自然と一緒に食事をするのが日常になった。一度、いつも馳走になってばかりだからとクロセが料理を作ろうとしたことがあったが、銃やナイフを扱うときの器用さはどこへ行ったのだと驚くほどに危なっかしい手つきで見ていられず、昴は自分の作ったものを食べてもらえることが嬉しいのもあって、料理を作るのは任せてもらうことにした。

 それから何度か、仕事もこなした。昴が銃を抜く場面もあったが、殺すには至らなかった。クロセが撃たせなかったからだ。威嚇射撃や、相手を無力化するために撃つのは任せてくれるようになったものの、それ以上については、クロセはかたくなに許さなかった。昴がトリガを引く前に、必ずクロセが先に撃った。



「久し振りに、大きな任務ミッションになります」

 《伝達人メッセンジャ》の女性が、声を低めて、資料を広げる。そこに並んでいた文字に、昴は眉をひそめた。

「……人身売買……」

「はい。元・外務官僚、景秀ケイシュウ・アカガネ。隣国への売買ルートの枢軸となっている男です。元々は四年前、公安の捜査線上に浮かんでいた人物でした。けれど、彼が所属する第二機関からの圧力もあり、捜査は難航。結局、決定的な証拠を掴む前に、アカガネは依願退職。多額の退職金を手に、行方をくらましました。当時、人身売買の摘発や検挙に後ろ向きだった公安を叱咤し捜査を指揮していた検察官が死亡したこともあり、公安は、これ幸いとばかりに、それ以上の捜査を打ち切ったんです」

「検察官が死亡……」

「ええ。消されたんですね」

 《伝達人メッセンジャ》は、さらりと言った。

「……それじゃあ、以降の捜査は第九機関が?」

「捜査というと語弊がありますね。私たちは公安の仕事を引き継いだわけではありません。私たちがアカガネを追ったのは、彼が牛耳る売買ルートから反政府組織に金が流れていることを掴んだからです。私たちの目的は、アカガネの身柄を確保し彼自身を断罪することではなく、反政府組織に注がれる金の蛇口を止めることです」

「目的は分かる。だが、俺たちに指令が出されたということは、それだけの証拠を掴んだってことだろ? 殺さずに拘束して、公安に引き渡して罪を償わせることは、できないのか?」

「公安に引き渡せば、丁重にもてなされて不起訴になるのがオチです」

 特権階級の人間は、引退してもなお、腐れば腐るほど権力の使い方が上手くなるんです。あるいは、権力を使いこなすから腐るのか、ね。そう言って、《伝達人メッセンジャ》は舌打ちまじりに大きく溜息をついた。

「検察官が殺された時点で、見切りはついている。表の世界では裁けなかったから、私たち第九機関が手を下すんです。法も権力の圧力も、私たちには効きませんから。そして、私たちが動く以上、彼の末路は贖罪ではなく、粛清です」

「……超法規的措置か」

「ええ」


「この国の司法は、とっくに権力に敗北しているんですよ」


 それに、と《伝達人メッセンジャ》は、滲み出た仄暗い憤りを落ち着けるように、冷めかけたコーヒーを一口、飲む。

「第九機関にとって、個人の罪はどうでもいいんですよ。人身売買だろうと、違法薬物だろうとね。罪の重さに見合った罰を与えるのは、第九機関の仕事じゃない。償いなんて必要ない。粛清すべきか否か。オセロの表裏のように、白か黒かがあるだけ。今回なら、反政府組織に金を流しているから抹殺する。それだけです」

 《伝達人メッセンジャ》の言葉に、昴は口をつぐんだ。頭では理解できる。けれど胸の内に湧き上がったもやは晴れない。何度か仕事をこなしたものの、自分はまだ、この組織に、完全に馴染めてはいないのかもしれない。

 それから《伝達人メッセンジャ》は、計画の詳細を説明した。一週間後の夜、郊外の別荘地で、アカガネは仲買人ブローカと商談をする予定らしい。投入される《キャスト》の数と配置、当日の動き方を、順に頭に入れていく。

「……アカガネ」

 《伝達人メッセンジャ》が説明を終えると、ずっと沈黙していたクロセが、低い声で、その名を呟いた。

「クロセさん」

 《伝達人メッセンジャ》が、心なしか影を落とした瞳を、クロセに向ける。

「今回の任務……《調整人コーディネータ》は、貴方を加えるかどうか、最後まで迷っていました」

「そうか」

 クロセの視線は、机上の資料の一点に注がれていた。《標的ターゲット》であるアカガネの写真。夜の海のような、底の見えない深黒の瞳で。ぞっとするほど、一切の表情を消したまなざしで。

「……クロセ……?」

 昴が思わず声を掛けるのと、クロセが立ち上がるのは同時だった。

「……《調整人コーディネータ》に伝えてくれ。俺を加えた判断に感謝する、と」

 《伝達人メッセンジャ》に、そう一言、言い置くと、クロセは部屋を出て行った。

「シラハさん」

 早々に閉められたドアを静かに見つめていた《伝達人メッセンジャ》が、沈痛そうな面持ちで昴を振り返り、言った。

「クロセさんのこと、よろしくお願いします。クロセさんのことだから大丈夫だとは思いますが……万が一にも、暴走しないように」

「暴走?」

 どういうことだ? と昴は眉根を寄せる。

「さっきの……クロセを今回の任務に加えるか迷っていたっていうのも……」

 アカガネが《標的ターゲット》になるのは、今回が初めてじゃないのか?

「……私たちには、苦い経験があります」

 膝の上でこぶしを作り、《伝達人メッセンジャ》が唇を噛む。

「実は、三年前にも、一度、私たちはアカガネの粛清を試みていました」

 今回と同様に居所を掴むまでは至っていたんです、と悔しそうに目を伏せて。

「三年前……」

「はい。……当時の《調整人コーディネータ》は優秀でした。僅かな手掛かりから、居場所を特定、確実に抹殺できる計画の立案……今、振り返っても、あれほど緻密な計画を、私は知りません。非の打ち所がない。あれは、完璧でした」

「それなら、なぜ……」

「不運で、不幸な、不可抗力です。計画を実行に移す直前、《調整人コーディネータ》は、どうしても出席しなければならない会議があった。その帰路で、狙撃に遭ったんです」

 第九機関の存在は、知られるべきところには知られている。特に、粛清の対象になり得ることをしている人間にとっては、第九機関は脅威であり、潰滅かいめつさせたくてたまらない存在だ。

「アカガネの差し金でした。《調整人コーディネータ》を失い、計画に綻びが生じた隙を突いて、アカガネは逃亡。それから私たちは、ずっと、アカガネを探していました」

「まさか……」

 昴は思い出す。最初の日に会った《調整人コーディネータ》の女性の言葉……彼女は、クロセを、元・《護衛人ボディガード》と言っていた。

 表情を落とした昴に、《伝達人メッセンジャ》は小さく頷いて答える。

「クロセさんは、当時、その《調整人コーディネータ》の《護衛人ボディガード》をしていました。そして……亡くなった《調整人コーディネータ》は、クロセさんの……たったひとりの、お兄さんでした」

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