第15話 見えている世界は、違っていた。(ティーナ過去)

 二人きりの世界だった。

 幼くとも、ティーナにはそう感じていた。


 疎外感はとてもあったけれど、大好きな二人が仲良くしているのを見るのは嬉しかった。何より、一番歳下のティーナの事を、二人共沢山可愛がってくれていたから。


 アルヴォネン王国で、まだ三人共幸せだった頃の話だ。


 ――アルヴォネン王国、首都ライネン。


 ティーナ・サネルマ・ペルトサーリにとっての世界は、とても狭かった。


 アルヴォネン王国の五つある公爵家の一つ、ペルトサーリ家の長女として生まれたティーナは、皆から沢山愛されていたお姫様だった。


 同じく五つある公爵家の一つ、マンテュサーリ家の長女アリサ、アルヴォネン王国第一王子ルーカスとは同世代。

 他の貴族にも同世代はいたけれど、王家と繋がりの深い公爵家の人間とほぼ一緒に行動していた。

 物心つく前には、もう既に一緒に遊んでいる仲であったからだ。


 首都ライネンの北に位置する、王城の周辺の上位貴族の屋敷が立ち並ぶ一角に住み。ほぼ毎日王城で二つ歳上のルーカスと、一つ歳上のアリサと会う日々。


 ルーカスは最年長という事もあって、女児二人を見守るお兄さんのような立ち位置だった。

 良い事をしたら大袈裟なまでに褒めてくれて、悪い事をしたら優しく窘めてくれる、そんな穏やかな気性の持ち主。彼が怒ってる所なんて、ティーナは今まで見た事がない。


 アリサは活発な少女だった。公爵家の令嬢らしくない振る舞いをよくしていたが、引っ込み思案で人見知りのティーナの手を引っ張ってくれた。

 いつだって、楽しい遊びに連れて行ってくれるのは彼女だった。王城の廊下をアリサと全力で走って、大人達に怒られたのはティーナの中で良い思い出である。



 その日もいつも通りの日常だった。

 病弱だが優しい母が作ってくれた、ティーナそっくりの人形を胸に抱いて、アルヴォネン王城を低いヒールを鳴らしながら歩いていた。


 ――八歳。まだ魔法は使えない、子供だった。


 大体十歳辺り。早い子は十歳にならないかくらいで魔法が扱えるようになる。それまで魔法が使えないのは、身体と精神の成長の方に魔力を著しく消費しているからであった。


 最年長のルーカスは既に自分の魔法の適性が徐々に分かり始めてくる頃で、アリサとティーナに請われて氷の結晶を作ってくれていた。

 それを見たアリサは次は自分だと、鼻息荒く勢い込んでいたのを覚えている。


 アリサもティーナも公爵家の令嬢だ。魔法があまり扱えなかったとしても、ぞんざいに扱われることはない。


 ただ今振り返ると、魔法の適正次第でルーカスの婚約者がどちらかになるかという、判断基準の一つにはされていたのだろうと、ティーナは推察する。


 幼い頃こそ無邪気に遊んでいたけれど、特別国外からの政略結婚がなければ、アリサとティーナのどちらかを婚約者に、という事は早い段階から大人達は思っていたのだろう。きっとルーカスとの相性も確認されていたに違いない。



 そんな事とは露知らず、幼いティーナは今日も二人と遊べる事を楽しみに、王城へとやってきたのであった。


「あ!ティーナ!おはよ!!」


 艶やかなブロンドのボブ。やや猫目気味のピンク色の瞳を持つ少女――アリサがティーナに気付き、元気よく片手を挙げる。もう既に登城していたらしい。


 ティーナの妖精のようなかんばせがパッと嬉しそうに華やいだ。アリサはタタタッと軽い足音を立てて駆け寄る。


「おはようアリサ!今日もいいお天気だわ」

「うんうん!今日も絶好の運動日和だよね!」


 アリサがティーナの小さい手をとる。ティーナを導くように進んだ先には、やや苦笑気味の少年がいた。


 短い黒髪に、透き通ったアメジスト色の瞳を持つ少年こそ、アルヴォネン王国の将来の国王であるルーカス。


「アリサの元気は良い事だけど、もうちょっと公爵令嬢らしくしないとまた怒られるよ?」

「いいの!だって、身体を動かしている方が楽しいんだもん!」

「全く……」


 口を尖らしているアリサに軽く肩を竦めて、ルーカスはティーナへ向き直る。


「おはようティーナ。髪の毛編み込んで貰ったのかい?今日も可愛らしいね」

「ルーカスおはよう。そうなの、今日は侍女に可愛くしてもらったの!」


 ルーカスはいつもティーナの装いの変化に気が付いた。ルーカスは社交辞令が上手い。

 そうは思うが、着飾る事が大好きなティーナにとって、一つ一つに気付いて褒めてもらえる事は嬉しかった。


「あ、ホントだ!髪飾りそれ新しいの?青色の宝石がすごく綺麗でティーナの銀髪に似合ってる!」

「ありがとう!嬉しいわ」


 ルーカスに言われて、ティーナの髪をじっと見たアリサも装いの変化にはそれなりに気が付く方だった。

 ルーカスには及ばないが。


 銀細工の蝶々にサファイアが散りばめられた髪留めは、実際に新品のものだ。ティーナの中でもお気に入りで自然と顔が綻ぶ。


「青色の宝石……。サファイアかな?確かにティーナによく似合ってるね。良いことを知ったよ」

「へ〜え!これサファイアって言うんだ!知らなかった……」


 感心するように頷いたアリサを見て、ルーカスはガックリと肩を落とした。


「……アリサはもうちょっと宝石について勉強しようね?社交界で苦労するよ?」

「え゛っ、無理無理無理無理!!魔石と宝石の違いすらあんまりよく分かってないのに!!」

「魔法が使えるのが魔石で、装飾品が宝石だよ……」

「……見た目ほぼほぼ同じじゃない?」


 確かにそうだけどさ、なんて呆れたような声をルーカスが出すのはアリサだけ。ティーナやその他に向けては、いつも優しげな態度を崩したことなんてない。


 だから、ティーナは感じていたのだ。

 二人の間には入り込めない、と。


「おや?アリサにティーナ。今日もいらっしゃい」

「父上」


 たまたま近くの廊下を通りかかった国王が、子供達に向かって微笑みながら手を振る。ルーカスに見た目も気性もよく似た彼に、アリサとティーナは無邪気に近寄る。


「おじ様!」

「おじ様だ!」


 王族と公爵家の関係は深い。今でこそ血は薄まってはいるが、元を辿れば同じ一族。


 少女達にとって一国の主――という認識の前に、親戚のおじさんであり、ルーカスの父親だった。


 国王は中年の小太りの男性と何やら話していたようだが、幼い子供らが寄ってくると無理矢理話を切り上げた。


 ティーナ自身は彼らが何を話していたのか、よく知らない。


 ただ、ほんの少しの違和感。いつまでも取れない胸のつっかえを感じたのだけは強烈に残っている。


 話を打ち切られたせいか、やや不満そうな雰囲気が小太りの男性にはあった。国王に直接奏上出来るのは、子爵家以上の人間か、または高位の文官、武官のみ。


 だから、その男性も世間では上の方の人間だったはずだ。それでなくとも、王城で何度か見た事があるような気がしたから、それなりの地位にはいただろう。


 国王の元へとアリサと二人して、ティーナはパタパタと王城の廊下を駆ける。


 だけれど、その男性とすれ違った時、アリサはふと立ち止まった。疑問に思ったティーナも立ち止まる。


 アリサのモルガナイトに似た色の瞳が零れ落ちんばかりに、見開かれる。息を飲んだ彼女の様子に、その場のみんなが訝しげな表情を浮かべた。


「どうしたんだい?」


 ルーカスも怪訝そうにアリサの顔を覗き込む。アリサはクルリ、と振り返って段々小さくなっていく男の人の後ろ姿を、自失したように見送っていた。


「……今、あの人、『国王なんて死んでしまえ』、って言ってなかった?」


 顔からは血の気が引き、唇は少し震えている。ティーナは怯えている様子のアリサの腕を、安心させるようにギュッと握った。


「え?あの人?さっきの人だよね?僕は何か言っているようには聞こえなかったんだけど……、父上はどうでした?」

「私も何も聞こえなかったな。第一、私に『死んでしまえ』は不敬だろう?」


 そうだ。国を統べる国王相手に『死んでしまえ』と言うのは、命取りだった。誰もそんな愚行は犯さない。


 強いて挙げるとしたら、国王に一矢報いたい革命家だけだ。


「ティーナは何か聞いたかい?」

「わたくしは……何も聞いていないわ。でも……」


 アリサはまだ衝撃から立ち直れていないようだった。元々白い肌を更に白くして、彼女は震える手のひらをギュッと握り込む。


「アリサ、今日は休んだ方がいい。迎えを呼ぶよ」


 ルーカスが宥めるようにアリサの背中をさする。ティーナも真似をして、腕を一生懸命撫でさすった。


 アリサが少しでも回復するように、と。


 その後すぐ迎えが来て、アリサは屋敷へと帰って行った。次に会った彼女はすっかり元気になっていて、ティーナは内心安堵の息をついたのだ。


 でもこれは、アリサにとっての地獄の始まりに過ぎなかった。


 アリサが言っていた王城で何度か見た男性は、その後煙のように跡形もなく消えてしまった。

 今日こんにちに至るまで、ティーナはあれからその姿を見ていない。


 ――そして同様の事は、一度や二度の話ではなくなっていったのである。

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