第二章:妖蛇
第19話:訪問
深夜零時。
天道焔(てんどうほむら)は、今日も今日とて、来ない依頼人を待ち続け、そして、依頼者は一人も訪れないままに、早くも夜の八時を過ぎていた。
もう、今日は誰も来ないだろう。
焔は、ぼんやりとそう思いながら、身につけている白いスーツのポケットから取り出した煙草を加え、すっ、とそこに人差し指を近づける。
ぽう、と。赤い炎が、暗い事務所の中を一瞬照らす。この力も、この数日間はすっかり、煙草に火を点ける以外には使わなくなっていた。
紫煙を吐き出し、それがゆっくりと部屋の暗がりの中に消えて行くのを、焔はぼんやりと眺めていた。
もう眠ろう。
焔は、ぼんやりとそう思った。まだ早い時間だが、どうせ依頼人など来ないだろう。
起きていてもする事も無いし、最近では金が無いから、食事も出来ないし、酒も呑めない、ぼんやりとしていても腹が減るだけだ。
焔はそう思いながら、ゆっくりと……
ゆっくりと、椅子から立ち上がろうとした。
その時。
こん、こん。
事務所の入り口。
そこにある扉を、誰かがノックする音がした。
壁に掛けられた時計を見る。八時二十分だ。
この探偵事務所の営業時間は一応は九時まで、という事にはなっているが、実際にはほとんど八時を過ぎれば誰も来ない、この事務所があるビルがあるこの区画は、繁華街からも離れているうえに、近くには店も無いし、民家も無い、空きビルだけが建ち並ぶ区画なのだ、だから、ここに事務所がある事は、多分この街の人間はほとんど知らないだろう。
だからこそ、ここには昼間でも誰も来ない事が多いし、夜になれば尚更だ。
それでも来た、という事は。
「……『依頼人』、か……?」
焔は息を吐いた。
正直なところ、もうあまり今日は動きたくは無いのだけれど……
まあ、来た『仕事』を引き受けないという訳にもいかないだろう。
焔は、仕事用のデスクに腰を下ろした。
「どうぞ」
ドアの向こうに呼びかける。
がちゃり、と。
扉がゆっくりと開けられた。
「よう、焔」
入って来たのは、焔とあまり変わらない年齢の青年だった。
丸い眼鏡に、青いジャケット、ひょろりとした長身、背中に背負ったリュックサックには、アニメのキャラクターのキーホルダーがじゃらじゃらとぶら下がっている。
「……何だ、お前か」
焔は、ちっ、と露骨に舌打ちをした。
「おいおい」
青年は、その舌打ちを聞きながら、小さく笑う。
「どうせそろそろ、お金もお酒も無いだろうと思って、わざわざ持って来てやったんだぜ?」
言いながら青年は、背負っていたリュックを床の上に置き、ごそごそとそこから一本の瓶を取り出した。
「なかなか、良い酒(の)が手に入ったからね」
青年は、ふふん、と笑った。
「そいつはどうも」
焔は肩を竦めた。
青年を見る。
「……翔(しょう)」
天道焔(てんどうほむら)と葉月翔(はづきしょう)。
一ヶ月ほど前、翔が通う大学で起きた事件をきっかけに、二人は友人同士となった。
お互いに、この街ではそれなりに名の知れた『霊能力者』として、大学に現れた妖怪を退治した事がきっかけだ。
その後、翔は何かというと焔の事務所を訪れては、酒を呑んだりしている、金の無い焔の為に世話を焼いている、という名目ではあるが、実際にはただ自分が呑みたいだけなのだろうが、翔が持って来る酒や食べ物は、焔にとってはありがたいし、何よりも……
何よりも、この青年と過ごす時間の、妙な心地良さを、最近では焔自身も気に入り始めていた。
「ほらほら」
応接用のソファーに腰を下ろしながら、翔がのんびりと言う。
「せっかくの酒が勿体ないぜ? 早くグラスを用意してくれよー」
「……はいはい」
焔はため息交じりに言い、ゆっくりとデスクから立ち上がった。
焔が用意したグラスに、翔が持って来た酒を注ぎ、つまみとして用意された菓子類をテーブルに並べ、一応はそれなりに酒宴らしくなった時だった。
ばあんっ!! と。
事務所入り口の扉が、大きな音と共に突然開かれた。
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