第42話 それぞれの想い

==ヴァルトール帝国・郊外ブリスブルク・ブレイザー公爵邸・大浴場==



みなさんにとって一番落ち着く瞬間は何をしている時でしょうか。

僕ニア・グレイスは大きな浴槽でこうして足を伸ばしている時が最も至福の瞬間なのでございまして。



「あぁ〜落ち着くぅ〜」



あの後も僕のえさやり係になった少女達の猛攻は収まりを見せる事なかった。

もはやメリーを追い越す勢いで冒険者ニアから少年ニアへと幼児退行してしまったことは言うまでもない。

それから、そのまま浴室へと連行されそうになったのを何とか振り切って今に至る。


ーー思えば一人きりになったのは久しぶりだ。


家出をしてから二日も経っていないとは思えないほど濃厚な時間だった。

今日はずっとメリーと一緒だったし、ローさん達やギルドの職員さん、武器屋の店主、ゴロツキ達、黒フードの男、Aランク冒険者の二人、アノン公女と公爵家。


ーーあのまま家に閉じこもっていたら、これほどの出会いと感動もなかったんだよなぁ。


はたして、明日はどんな冒険が待っているのだろう。

そういえばガロン公爵が「邪竜討伐の報酬はギルドから受け取るように」なんて言っていたのを思い出す。


ーー明日はメリーを連れて冒険者ギルドへ行ってみよう。


そんなことを考えていた矢先、聞き覚えのある声が脱衣所から近づいてくる。



「ニア皇子! いや、我が息子よ! 今宵こよいは無礼講! いざ裸の付き合いとしれこもうじゃないか! ガッハッハッハ!」



二人の下男げなんに両肩を支えられながら現れたのはこの家の主人、ガロン公爵その人だった。顔が赤く、酔っ払っているのだろう。

先程にも増して豪快な口調が大浴場に反響し五月蝿うるさいことこの上なかったが、不思議と嫌な気分にさせる訳ではないのが彼の凄いところである。



「では、お隣失礼するよ!」


「は……はい!」



下男達がテキパキと彼の身体を洗い終え、いよいよもって公爵閣下が僕の隣へ御出おいでになる。

湯船に浸かるやいなや歌を歌い始める公爵殿。お世辞にも上手いとはいえないものだったが、彼の陽気な気分が周りにも伝播でんぱしていくようで悪い気は全くしなかった。



「アノンはレイアにて美しい、お前もそう思うだろう」


「は……はい、僕にはもったいないくらいです」


「レイアの若い頃にそっくりだ。社交会で出会った時、下級貴族で質素なドレスを着ていたがそれでもひときわ輝いていた。前妻を亡くして項垂うなだれていた俺の心は年甲斐もなくときめいた。愛に歳は関係ないのだと改めて知った」



相変わらず公爵の話は長いーーーーが、今は沈黙より何か話して貰っている方が良い。下男の男性達が会話に混ざることはなく、僕自身こういう時何を話せば良いのか見当もつかない。



「して、ニアよ……アノンが何故あそこまで美しさにこだわるのか分かるか?」



突然の質問に無意識レベルで背筋がピンと伸び、頭を全速全霊でフル回転させる。



「え……えーと、第四公女としての責務を果たすため……でしょうか?」


「それは半分当たりで、核心をつく解答ではない」


「核心……ですか」


「ああ、答えはお前自身で考えろと言いたいところだが、生憎と俺にはあまり時間がないのでな。今回は“父として”特別に教えてやろう」



軽く咳払いをしながら、ガロン公爵は続ける。



「婚約者殿に見初みそめられるため……つまりあの子はな、四年間お前のことを想い続け心身を美しく保ってきた」


「ぼ……僕のため…………ですか」


「あやつが勝手にしたことだ、それを分かってやれと言う訳じゃあない。ただ、あの子の中でお前という存在が神格化しつつある。ニアに気に入られることが自分の天命、ニアに気に入られさえすれば自分は安泰だ……とな」



公爵の言葉の節々には、確かに思い当たるところが多々あった。アノンがどうして僕にそこまでこだわるのか、皇子でもない僕の機嫌を取ろうとするのか、ついぞ分からなかった事がに落ちる。



「今後、あの子の立場というのは意外に危ういものでな。長女のカノンが家督を継ぎ、実質的な家業を次女のマノンと婿殿が請け負う事になれば、後妻のレイアとその子であるアノンは一転して弱い立場となる」


「それを支え得るのが僕……ということですか」


「それも半分正解で半分は違う。あの子は頭は良いが諦めが悪い。誰に好かれれば物事が上手くいくか、起点と終着点を瞬時に判断出来てしまうがゆえにアノンは一度走り出したら止まらない。雲行きが怪しくなろうと軌道修正することも妥協することも出来ずそのまま座礁ざしょうする」



つまり今のアノンは僕に気に入られるという点しか頭にない。立場上そうさせるのか、彼女なりのプライドがあるのか。一度終着点として定めた場所にたどり着くまで直進することしかしないのだ。仮にそれが破滅の道になっていたとしても。



「ニアよ……まだ決心はついておらぬのだろう?」



公爵のその質問に心臓がバクバクと震え出す。

決心なんてついているはずは無かった。僕にはその力も資格も無いと逃げ続けて来たのだから。



「えっと……その」


い、大いに悩め! それは若者の特権だ! 成人前の少年に今すぐ人生の決断を迫るほど、俺もまだ心は老いぼれちゃあいないさ!」


「はい……」


「婚約者として心底惚れさせるか、友としてあの子を導くか。それはお前の人生だ、お前自身が決めよ。ただ……あの子が自分自身の幸せを見つけるまで側にいてやって欲しい」


「はい! 僕もアノンに幸せになって欲しい、その気持ちに嘘はありません……! 僕は絶対にアノンのことを見捨てたりしない、それだけは約束します!」


「ああ、ありがとう。それが聞けただけでも今日のうちは良しとしよう」



ガロン公爵の目は強く、優しく、それでいてどこか頼りの無さを感じさせた。





==ヴァルトール帝国・郊外ブリスブルク・ブレイザー公爵邸・寝室==



皇帝別宅で僕が暮らしていた部屋より豪華な客室。

高名な画家が描いたのであろう絵画、繊細な刺繍ししゅう天蓋てんがい、ふかふかのベッド、そこで僕はなかなか眠れずにただ天井を眺めていた。


今、僕はメリーのことが好きだーーーーそれでもアノンのことは放っておけない。

彼女は僕の事実上の婚約者であり、一番の被害者でもある。

それでいて常に気丈に振る舞う彼女の姿が、僕の心を痛くも愛おしくもさせた。


ーーガロン公爵はあんな風に言ってくれたけど、ようするに僕はまだ彼女から逃げ続けている。


その理由は二つ。

僕は彼女の後ろ盾のなれるほどの力を持っていない。第一皇子という肩書きが消え、今は一介の冒険者ニア・グレイスだ。

もう一つの理由はもちろんメリーのこと。彼女とは昨日知り合ったばかりで関係も浅く、僕はまだ彼女のことをあまり知らない。それでもこんなにもメリーと一緒にいたいと感じている。そして彼女もそう言ってくれている。


ーーアノンを支えてあげたい。メリーとも一緒にいたい。


そんな身勝手な気持ちの中で揺れ動いていると、寝室のドアが突然乱暴に開け放たれた。

逆光で黒く染まった影は小さく、すぐに誰だか分かって僕は少し赤面する。



「ニア、助けて」



大きな枕を抱いてこちらに駆け寄ってくるのは、僕が今まさに頭の中で想い浮かべていた少女その人だった。



「メ……メリー、どうしたの?」


「レイアとアノンが寝かせてくれない」


「あ……ああ、なるほど……」



あの親子二人に挟まれて困惑するメリー、想像に容易たやすい。メリーは部屋に入るやいなや持ち前のスピードでいち早くベッドにダイブしてきた。



「一緒に寝よ」



日中は後ろで一つに束ねていた髪が解かれていて、鎖骨の辺りまで届いている。朝はそれが少し大人っぽく感じたけど、今は可愛らしい寝間着ねまきのせいもあってか逆に幼い印象だ。


早速僕の右腕を枕にして上目遣いでこちらを見るメリー。

すぐ間近でまじまじと彼女の綺麗な顔と空色の髪を見ていたら、さっきまで考えていたことが余計に意識されて身体が沸騰ふっとうしそうなほど熱い。



「ニア、私……家族が欲しい」



メリーの唐突な発現に耳を疑う。既に上がりきっていた体温が限界突破しそうなほどぽっかぽかにねっされていく。

僕は彼女と目を合わせられないまま、まばたきを既に百回ほどしただろうか。ようやく少しずつほとぼりが冷めてきて言葉を返した。



「か……かか…………家族?」


「うん、結婚したら家族になる……でしょ?」


「あ……ああ、そっちね。うん、そうだね」


「私は孤児で家族がいないから、今日はすごくうらやましかった」



冒険者としての“強いメリー”ばかり見てきたから気が付かなかった。彼女もまた愛情に飢えた一人きりの少女なのだ。


ーーなるほど、それでここへ来てからは彼女が随分と幼く感じられたのだろう。


そして、逆にレイア公爵妃とアノン親子の愛情は彼女にとって少し唐突で過剰だったのかもしれない。愛情を求めて振り回される気持ちは僕にも良く分かる。


僕は純粋な気持ちでメリーを抱きしめた。

それからは二人とも何も話さなかった。


ーーけれどお互いの気持ちは十分に伝わっていた……と思う。


気づけばの光が僕のまぶたを、鳥の声が僕の聴覚を刺激する時分じぶん

腕の中ですやすやと寝息を立てるメリーが寝言でつぶやく。



「……ル、いっちゃ嫌だ。ハル……一人にしないで」



メリーもまた僕の知らないだれかに想いを寄せているのだと気付くのはもう少し先の話し。


僕は寝ぼけ眼をまた閉じて、再び深い眠りにつく。

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