第39話 剣聖様と皇帝陛下はご立腹(皇帝サイド)

==ヴァルトール帝国・首都ヴァルハラ・皇帝城(剣聖シア視点)==



聖女リア・ヴァルトールの失踪から丸一日。

未だその行方が分からないまま城内はよりいっそう混迷こんめいを極めていた。



「リアはまだ見つからんのか!」


「申し訳ありません……最後に近衛騎士ナルハ・アドレイン殿とともにいらしたのを目撃された以降は全く足取りがつかめず」


「ええい、どいつもこいつも無能ばかりだな!」



皇帝ギア・ヴァルトールは少し白髪の混じり始めた黒髪をガサガサと掻きむしる。

西陽にしびが差し込む絨毯じゅうたんに抜け落ちた毛髪の量が皇帝陛下様のストレスを如実に表していた。


すぐにそれを掃除しようとするメイドの手を止め、なんとその内の一本をハンカチの中へ丁寧に収める少女が一人。



「あ……あの」


「あなたは何も見てない……いいわね?」


「は……はいぃ」



彼女はそれを大切そうにポケットへしまうと代わりに一枚の紙切れを取り出し、誰にも気づかれない“神速スピード”で皇帝ギアの背後へと迫る。



「おっとぉさまーっ!」



突然の呼びかけにビクッと背筋を伸ばす皇帝陛下。


彼が恐る恐る振り向けば、銀髪の美少女がにこやかに微笑みかけていた。

高い位置で二つに結んだ長めの銀髪は毛先にいくにつれてつやのある漆黒で染まっている。



「シ……シシ……シアではないか、驚かすでない……!」


「申し訳ありませんお父様、お姿を見かけたものでつい嬉しくなってしまって」



絹のような白い頬を赤らめる美少女、彼女こそヴァルトール帝国が誇る“剣聖”シア・ヴァルトールだ。


彼女は生まれてから一度も血を流したことがない。何者も彼女の神体を傷つけることは出来ず、まずもってその神速の剣撃を目に映すことすら難しいだろう。


少しつり目気味の大きな双眸そうぼうは星空のように美しく、引き締まった手脚と凛とした立ち振る舞いも相まって誰もが彼女に見惚みとれてしまう。


しかしながら、父である皇帝ギアの前で見せる表情は一人の幼い少女のそれであり、そのいたいけな瞳に見つめられても怒りが収まらないほどギア・ヴァルトールの心は揺れていた。



「そ……そうかそうか、愛しき我が子よ。それはそうとリアの行方については全く見当もつかんのか?」



皇帝のその一言に剣聖シアの目尻がピクリと動く。

後ろ手に持っていた小さな紙切れが小さなゴミのかたまりに変わる一方で、力んだ際の身震いを悟らせないように花顔かがんを取り繕う少女。



「リア……ですか。申し訳ありません、私は昨日ずっと剣の鍛錬をしていましたから」



ーーまたリア…………昨日からお父様ったらあの子のことばっかり! 挙句あげくあの無能兄貴の話まで持ち出したらしいし。あームシャクシャする!



「なれば良い、引き続き鍛錬に励むのだ。リアのことも引き続き何かあれば知らせよ」


「はい……」


「ん? まだ何かあるのか?」


「今日はその…………まだ頭を撫でて頂けていないものでしたから」


「すまんなシア、今私は忙しいのだ」



名残惜しそうに背中を見送る彼女の方を振り返ることなく、皇帝ギアは配下を大勢連れ足早に去っていく。



「お父様のいけず……もう知らない!」



剣聖シアは紙屑かみくずをその場に捨て、ハンカチに包んだ皇帝の毛髪を顔に押し当てて深く息を吸い込む。

そして、顔を覆い隠したまま彼女は叫んだ。


「ふごー! ふががががー! ふごぎがぎぐげごがぎぐげごふがふがふごごがぎぐげぎ、ふがーふががふがぎぐげごふがー!」

(んもー! リアばっかり! そりゃ顔も可愛いしお淑やかで聖女感ヤバいし可愛いし、私は戦うことしか出来ないけどさー!)



言い切ってからも鼻より下にハンカチを押し付けたままで深呼吸を二度三度。



「すぅすぅはぁ……お父様の匂い……はぁはぁ」



そして突然我に帰り周囲に睨みを効かせるシア。

彼女のせいで掃除を進めたくても出来ないことメイドの女性が気圧されて一歩下がる。



「あなたは今回も何も見てない……いいわね⁉︎」


「は……はいっ!」


「そうよ……私は戦うことしか出来ない。なら戦うことで価値を見せつければいいじゃない!」



何かを決意したようにそれだけ言い放つとシアは目にもまらぬ速さで走り出す。

ただ一つ床に残された紙屑をメイドが拾い、それを広げるとそこには『お兄様に会いに行って参ります♡ リア』と綺麗な字でつづられていたのだった。





==ヴァルトール帝国・首都ヴァルハラ・皇帝城・会議室(皇帝視点)==



壁にでかでかと大陸北部の地図が貼られた部屋。

二十人がけの長テーブルの上座にその人はいた。


ギア・ヴァルトール、この国の皇帝陛下である。

彼は今日も優秀な部下達に教鞭きょうべんる。


優秀な指導者の元には優秀は部下が集まるものなのだ。



「西方の小競り合いはまだ続いておるのか!」


「それが……戦況は劣勢。またしても拠点の一つを空け渡す結果となり、それから…………」


「この無能どもめ!」



優秀な指導者の元には優秀な部下が集まるもの。


ーーそれは逆もまたしかり。


皇帝ギアはテーブルに叩きつけた手を痛がりながら、辛酸しんさんめたような表情でつぶやく。



「また“真聖女教団”か……!」


「はい……被害は分かっているだけでも二千以上。北西の“レイブロンド軍”が国境を越えるのは時間の問題かと……!」


「もういい! カノンだ、カノン・ブレイザーを向かわせろ!」


「陛下、お言葉ですが……あの方は守備の要。彼女がここにいると言うだけで各国への牽制けんせいにもなっているのです」


「黙れ無能ども! さっさと手配を進めよ!」



優秀な部下達は無理難題にも柔軟に対応する。

部屋のすみひざまずいていた騎士の一人がそそくさと部屋を出て行けば、代わりの騎士達が幾人いくにんか入室。会議中の家臣の一人に耳打ちをしている。


そのことに皇帝陛下は気が付かない。



「また南西方向からも新手の侵攻を受けております、いかが致しましょう」


「なぜそれを先に言わん!」


「恐れながら……報告させて頂こうと致しましたところ陛下が……」


「ぐぬぬ……どいつもこいつも、足りんなら魔法使団長でも騎士団長でも今出せる全勢力を出せばよかろう!」


「それではここの守りが……!」


「ここにはシアがいる! あやつ一人いれば守りは十分だ!」



愛娘の名前を出し上機嫌な皇帝は大きな高笑いを上げる。

そこへ、耳打ちをされていた家臣の一人が発言権を求め手を挙げた。



「はーはっは……はぁはぁ……ん? どうしたゲスディア卿。発言を許すぞ」


「あ……有り難う存じます。よ……良いしらせと悪い報せが一つずつございます。ど……どちらから、も……申し上げましょう?」


「ふははは、其方そなたには相変わらずユーモアがある。そうだな、ではまず良い報せを先に申せ」



ゲスディアと呼ばれた男は声を振るわせながら続ける。



「せ……聖女リア様の行方がわ……分かりました」


「ほう! よくやった! してリアは何処どこへ?」


「ブ……ブリスブルクでございます。ニ……ニア様の元へ向かった騎士ナルハ・アドレイン氏に同行された可能性が非常に高いとのこと」


「そ……そうか、ぶ……無事ならばそれで良い! はっはっは! してゲスディア卿、悪い報せとはなんだ!」



少しハイになった皇帝陛下がゲスディアの口調を真似て応える。


ゲスディア・ポレロ。ポレロ男爵家の長男に生まれた彼は決して冗談を好む人柄ではない。ただ彼は責任から逃れたかった。それ故に曖昧な言葉を選ぶ。

しかしながら、責任から逃れようと思えば思うほど大舞台に立たされてしまう天性の才を彼は持っていたのだ。

そして今、その才能を余すことなく発揮する。



「け……剣聖、シ……シア様が、ゆ……行方不明となりました」



その言葉を聞いた皇帝ギア・ヴァルトールは開いた口がしばらく塞がらなかった。

そして現実逃避するように込み上げて来た笑いに身を任せ、もう一度事実を確認する。


「ふは……ふははは……ふはははは、相変わらず其方にはユーモアがある。もう一度私の目を見て申してみよ」


「け……剣聖」


「けんせい?」


「シ……シア様が」


「シアが?」


「ゆ……」


「ゆ?」


「行方不明となりました……!」


「ふざけるなぁあああああああああああ!」



眼前で大量の唾とともに理不尽な叱責を受けるゲスディア男爵。

ご乱心、ご立腹の皇帝陛下は既に痛めた拳を何度となくテーブルに叩きつける。



「どうしてだ! どうしてこうなる! お前らさっさとシアを探せー! あやつら三人揃いも揃って……!」



優秀な皇帝陛下の苦労は今日も尽きない。

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