第93話 報われる善悪 Ⅱ

 「ああ―、風が冷たいけど気持ちいいな・・・」


 と呟きながら歩くのは風魯である。

少し大河の中程を見ると曹操軍の偵察船がいる。


 だが、風魯はそんなこと気にもせず、ありのままの自分を見せていた。



 「丞相様、提案があります」


 烏林の曹操陣営では、ある男が曹操に提案を行っていた。


 「なんだ、蔡瑁」


 その男は蔡瑁。

北方の兵が多く水軍に疎い曹操軍の中にあって水軍統率の才を発揮していた彼は、曹操軍ではもはや欠かせぬ男だ。


 「かつて私と風魯大将軍は親交がありました。それは十分ご存知かと思いますが・・・」


 「ああ。おぬしが風魯を使って荊州を盗もうと躍起になっていたから、俺がガツンと教育してやったのは覚えている」


 「あの時のお叱りは身に染みております」


 「で、それは前置きとして・・・この私がかつての縁を生かして孫呉の情報を得たいと考えております」


 「ふむふむ。確かにあの風魯なら会うことさえ叶えばペラペラ話しそうだな」


 「はい。やはり戦をするにあたって情報は欠かせません。ましてや孫呉は戦巧者が多くいますから」


 蔡瑁は曹操に許可を出すよう求めた。

だが、曹操の決断は・・・


 「やめとけ」


 で、あった。


 「なぜですか」


 「おぬしがどこまで知っているのか分からぬが、風魯というあの男は触るのも恐ろしい男だ。下手に関わればどうなるか分からない」


 だが、蔡瑁は自信作であるこの作戦を通したかったため、


 「もし、この作戦が失敗に終わったら、私は腹を切る所存ですし、これが通らなくても同様です!」


 と、まで口走ったのだ。

曹操もそこまで言われては、


 「それでもできぬ」


 と言うことはできなかった。


 「分かった。では、必ず成功してみせるのだ。抜かりなく、な!」


 結局、曹操承諾の下、作戦が動き出した。


 とはいっても、風魯が一人で毎朝散歩に出ているのは偵察で知っていたので、後はその時間に対岸へと渡るだけである。



 そして、決行日の朝・・・


 「では、行ってくる。とはいってもすぐに戻るから」


 蔡瑁は部下にそう言い残して小舟に乗り対岸へと向かった。


 (しかし、今日は霧が出ているな・・・)


 その日は霧が出ていて先の方がよく見えないほどである。


 (ま、でも風魯はいるだろう)


 と特に深くは考えず、小舟を漕いだ。




 「おや?風魯大将軍。今朝は散歩に出ないのですか?」


 一方の赤壁にある孫呉の陣営。

ここで目覚めた孔明はいつもはいないはずの風魯がいるので尋ねる。


 「本当なら毎朝行くんだけど、今朝の霧では何も見えないからさ」


 「それにちょっと風邪気味だし・・・ゴホン」


 「あら、それは安静にした方がいいですね」


 孔明はこの風魯とのやり取りをしながら、あることを思いついた。



 「甘寧殿、お願いがあります」


 その日、孔明は足早に孫呉一の猛将甘寧の陣所に赴き、


 「甘寧殿の宿敵、蔡瑁を斬る好機が巡ってまいりました」


 と伝えた。


 「なにっ!あの蔡瑁をとな!分かった、あいつを斬るためにはなんだってやったる!」


 甘寧は孫呉に仕える前、劉表の重臣、黄祖のさらに陪臣として仕えていた。

能力を評価されず、低い身分で苦労していた彼をさらに苦しめたのが、劉表の腹心であった蔡瑁のいじめである。


 蔡瑁とは襄陽で何度か会ったが、会う度に


 「この匹夫!邪魔だ、どけっ」


 と邪魔していないのに言われたり、


 「おまえは賤しい身分だ。この私に何か言ったらどうなるか、考えるのだな」


 と散々にいじめられた。

これは甘寧にとって人生一番の屈辱として刻まれている。


 こうして、孔明の話を快諾した甘寧は、


 「この辺でウロウロしていればいいのだな」


 孔明の指示通り、風魯みたいに川辺をウロウロした。

それはまた風魯そっくりの名演技で本当に何も考えていないようであった。


 (むむ、あそこにうろついている男がいる。風魯に違いない・・・)


 蔡瑁は霧で何となく動く輪郭しか見えなかったため、それが風魯だと信じ込み、対岸の赤壁郊外に上陸した。


 すると・・・


 「かかったな蔡瑁っ!」


 「これまでの屈辱を晴らす時が来たっ」


 これまでウロウロしていた影が近づいてきたと思うと、それは甘寧であったので、蔡瑁は激しく狼狽し、


 「か、甘寧だぁーっ」


 と絶叫しながら小舟に向かって走り、引き返そうとした。


 だが、健脚でもある甘寧はその前に追いつくと、


 おりゃぁっ!!


 という掛け声と共に蔡瑁を一刀両断。

ここに曹操が頼みとする蔡瑁が絶命したのである―

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