第89話 一本の矢 Ⅰ
(孔明の奴、許さん・・・!)
周瑜は孔明に憤っている。
とにかく憤っている。
彼は遠くで風を受けている孔明の小さな後ろ姿を睨んだ。
(この私を二喬の作り話で激昂させようとしやがって・・・!)
そう、周瑜が恨んでいるのは、孔明が彼を操るべく、嘘をついたからである。
実際に曹操がどう思っていたのかは別として、風魯の発言を信じている周瑜にとっては孔明の話は真逆であり、大嘘であった。
(あんな奴を生かしておいては孫呉の将来が危ぶまれる。だが、生かすか殺すかは彼に聞くしかあるまい・・・)
と周瑜が立ち上がって向かったのは、孔明の兄である諸葛瑾の陣所。
そう、周瑜は一番孔明のことを知っているであろう諸葛瑾に対応を聞いたのだ。
(と、ここまで来たはいいが、家族の情もあるだろうし、生かせと言うか・・・)
周瑜は諸葛瑾の陣所に来て、後悔した。
まさか弟を斬れと言うはずもないと気づいたからである。
「諸葛瑾殿、忙しい中すまない。ちょっと相談があって・・・」
「相談?私の弟のことですか」
流石は諸葛瑾。周瑜が来訪することも含めて、察知していたようだ。
「おお、なら話は早いが―貴方は孔明をどう遇するべきと考えるか」
周瑜の質問に彼は迷うことなくキッパリと答えた。
「殺すべきです。生かしておいてはなりません」
「えっ」
諸葛瑾の発言に周瑜は驚く。
しかも、あまりにキッパリと言うので、それでも兄弟なのか、と疑ってしまうほどだ。
「えっ、て。何ですか。選択肢は二択でしょう・・・確かに実の弟ではありますが、それだからこそ危険な存在であることは誰よりも理解しています」
「もし、周瑜都督がお許しなさるのなら、この私が自ら孔明の首を討ちましょう」
諸葛瑾は自分で討つと本気で言った。
これに周瑜は少々戸惑いを見せたが、その考えは同じなので返事は一つである。
「諸葛瑾殿がそこまで言うのなら、兄として生意気な孔明の首を刎ねてください」
こうして諸葛瑾は夜遅く、手勢を数百人つれて孔明の眠る陣所に突入した。
「孔明はどこだあっ!」
この叫び声で孔明は目が覚めたが、既に手遅れである。
陣所の周囲は諸葛瑾の手勢によって完全に包囲されていた。
(まずい、本当にこれはまずいぞ・・・!)
孔明は予想外の事態にひどく慌てた。
そんな中、諸葛瑾は孔明の首を自分で刎ねると決めていたため、配下には包囲継続だけを命令し、自身は一人で陣所内に入る。
「我が弟はどこだっ、兄として生意気な口を二度と叩けないようにしてやる!」
諸葛瑾のそこ声が近づいてきたので、孔明は死を覚悟した。
だが、その足元ではいびき声が・・・
ガー・・・ゴー・・・ガー・・・
(風魯大将軍は変なお方だ。こんな騒ぎの中でも爆睡しておられる・・・)
と、ここで孔明は閃いてしまったのである。命が助かる唯一の方法を。
「見つけたぞ、孔明!我らが孫呉をたぶらかそうとした罪は重い!」
と叫びながら諸葛瑾が刀を片手に近づいてくる。
すると・・・
「そうか、ならば・・・このお方が死んでもいいのか!?」
と、孔明は風魯の体をむんずと掴み、自身の体の前面に置いたのだ。
「ふ、ふにゃ・・・?」
(う・・・!風魯大将軍は私にとっても、孫呉にとっても大の恩人・・・!)
「そうです、風魯大将軍は恩人なはずです。その恩人を私ごと叩き斬るのですか?」
「くっ!我が弟よ、随分と意地汚くなったな!」
諸葛瑾はそう吐き捨てるようにいったが、孔明は何一つ表情を変えず、
「さぁ、刀を振り下ろせば、私もさることながら、風魯大将軍も死にますよ?」
「どちらが良い判断かは、一目瞭然だと思いますが」
と逆に圧をかけた。
結局・・・
「・・・残念だが、私の負けだ」
とだけ言うと諸葛瑾は刀を収めて配下の兵士とともに去っていったのである。
(風魯大将軍!私はまたしてもあなたに救われました!)
孔明はそんなことを思いながら風魯の顔を見つめる。
いつもはあまり見たくもないおっさんの寝顔だが、その夜はひたすらに眺める孔明であった。
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