<108> プロポーズの力
翌日、天気は荒れていた。暗い空からみぞれが降っている。
香織はみぞれが好きではない。
雨なら雨、雪なら雪、どっちかにしてくれ!
いつもなら、そう空に向かって文句を言うところだが、今日は違った。
「わぁ、みぞれが降ってる~♪きれー」
ベランダのガラス戸を開け、朝だというのに薄暗く、ベタベタ、ボタボタとみぞれが落ちる空に向かって、深呼吸した。
昨日の夜は、陽一にまともに寝かせてもらえず、寝不足なはずなのに、元気いっぱいだ。
誰が見ても灰色の空にベチャベチャなみぞれも、今の香織には、爽やかなピンク色の空にキラキラと輝く光が舞っているように見える。
「超いい天気!」
香織は大きく伸びをした。
「どこがだよ・・・」
後ろから陽一の呆れた声が聞こえた。
「まず、戸、閉めろ。寒い」
陽一は香織の傍にくると、ガラス戸を閉めた。
香織に覆いかぶさるようにして、戸に鍵を掛ける陽一を見上げ、香織は口を尖らせた。
「え~、いい天気じゃないですか~」
「いや、雪だから」
「どんより曇った日本晴れですよ!」
「・・・分かったから。飯・・・」
「は~い!」
香織は陽一に敬礼すると、スキップするようにキッチンへ向かった。
そんな香織を見て、陽一はフッと噴出した。
香織の異様なまでのハイテンションの理由は、明らかに昨日のプロポーズだ。
それほどまでに喜んでくれていると思うと、自然と頬が緩む。
本来なら、ちゃんと指輪を用意してからプロポーズしようと考えていたが、とんだことで計画が狂ってしまった。
これも自分の計算が甘かったせいだが、ここまで喜んでくれたのなら、結果オーライか。
陽一は頬が緩んだままテーブルに着くと、新聞を広げた。
☆
「行ってきま~す!」
いつものように見送る陽一にチョンとキスすると、上機嫌で家を出た。
今の香織は無敵だった。
もしラスボスが襲ってきても、余裕で返り討ちできるのではないかと思うほど、体中に力がみなぎっている。
(プロポーズってすごい!最強!)
ただの恋人同士だって、好きな人の傍に入られれば、それだけで幸せだ。
それでも、確かな約束がないのは、どこか切ない不安が付きまとう。
なのに、
『結婚しよう』
この一言で世界が変わる。すべての不安が塵のごとく消え去ってしまうのだ!
将来の約束というものが、こんなにも心を穏やかにしてくれ、安心感で満たされるとは!
そして何より、こんなにも心が晴れやかになるとは!
プロポーズの絶大な威力を身に沁みて感じながら、香織はボタボタ降るみぞれの中をスキップしながら駅に向かった。
途中、雪で何度も滑って転びそうになり、スキップを止めて静かに歩くようにしたが、舞い上がる心は止められなかった。
フワフワな無重力状態で会社の自分の机に着くと、中川が傍にやって来た。
「おはよう!!原田さんっ!」
「おはようございまーすっ!!」
香織は中川に敬礼した。
中川も香織に敬礼した。
二人の異様なハイテンションに隣の席のお局様がすぐに声を掛けた。
「なになに?どうしたの?二人とも。朝から元気過ぎない?」
すると、中川がスッと左手の甲を見せる様に自分の顔の前に持ってきた。
その薬指にはダイヤの指輪が輝いていた。
「!」
「!!」
お局様と香織は目を丸めて、左手に見入った。
「プロポーズされました!!」
中川の後ろで田中がエア花吹雪を巻くフリをしている。
「お、お、おめ、おめ・・・」
「おめでとう!」
あまりにも驚き過ぎて、言葉が出ない香織の横で、お局様が拍手をしながらお祝いを言った。
そして、中川の左手を手に取って、うっとりと婚約指輪を見つめて、
「素敵ね~。綺麗ね~!」
と褒め称えた。
「ほ、ほんと・・・、おめでとうございます~」
「やだ、原田さん、何泣いてるの?」
「だって~、嬉しくて~」
あまりにもタイムリーで他人事とは思えない。
昨日の自分の感動を思い出し、涙が出てきた。
きゃあきゃあ幸せそうに騒いでいる香織たちを、数人の女子社員が白けた目でジトっと見ているが、そんな視線はまったく気にならなかった。
始業の鐘が鳴り、それぞれ席に戻ったが、香織は踊る気持ちが治まらない。
(プロポーズって本当にすごい!)
中川の幸せではち切れそうな笑顔からも、底知れぬ力を感じる。
(やっぱりプロポーズって最強!)
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