<105> 約束

「すごい!すごい!お兄ちゃん、天才!」


香織も靴を脱いで小屋に入ると、懐中電灯を見上げて、たいそうな物を触るようにちょんちょんと触れた。そして楽しそうにケラケラ笑った。


「お兄ちゃん!明るくなったから、このままここで、おままごとしよう!」


香織は興奮気味に叫ぶと、隅に置いてあったおままごと道具を広げ始めた。


「はあ?ごっご遊びは嫌だって言ったじゃんか!」


陽一は怒ったように香織を見た。


「なんで?」


「なんでも!それより、俺はさっきの納屋をもう一回見たい」


「じゃあ、納屋を見たら、次はおままごしよう!」


「・・・」


陽一は呆れたように香織を見た。自分の言ったことが分からないのだろうか?


「ね?いいでしょ?納屋を見たらおままごとしよう!」


あまりのしつこさに面倒臭くなった陽一は、


「わかったよ・・・」


力なくそう言うと、小屋から出た。


「約束だよ!」


香織は満面の笑みで叫ぶと、急いで靴を履いて陽一の後を追った。


陽一が香織を引き連れ、納屋を探索していると、佐藤の祖母がやって来た。

真夏ということもあり、なかなか家に戻らない二人を心配したようだ。


「スイカが冷えているから。陽一も香織ちゃんもお家入ろうね」


と言い、まだ納屋から出たがらない陽一を無理やり家に連れて行った。

香織は渋る陽一を不思議そうに見ると、


「お兄ちゃん、スイカ嫌いなの?」


と聞きながら、陽一と祖母の後を付いて行った。



                ☆



結局、スイカを食べ終わったら原田の家を暇することになった。

ままごとに付き合わなくて済んだ陽一はホッと胸を撫でおろした。


香織の方はと言えば、スイカを食べてご機嫌のせいか、ままごとの約束など忘れているようだ。


帰り際、車の前で老婆と佐藤の祖母が挨拶をしているとき、香織は思い出したように、陽一のシャツを引っ張った。


「お兄ちゃん!香織の宝物、一個あげるよ!」


「え・・・、マジで要らないんだけど・・・」


陽一は迷惑そうな顔で香織を見た。

その様子を佐藤の祖母は面白そうに見ると、


「折角くれるって言っているんだから、貰っといで。小さな女の子の言うことは聞くもんだよ」


そう言って、香織に付いて行くように手を振った。

陽一は渋々香織に引っ張られながら、秘密基地まで行った。


香織は秘密基地まで来ると、また何かを思い出したようだ。


「そうだ!お兄ちゃん、香織とおままごとするって約束した!なのに、なんで帰っちゃうの?」


「チッ・・・」


陽一は香織が思い出したことに、つい舌打ちし、


「もう遅いから帰るんだよ。それより、宝物くれるんだろ?何くれるのさ?」


無理やり話を逸らした。

どうせ、くれるのは石か貝殻だ。分かっているが、ままごとに付き合わされるよりよっぽどいい。


香織は小屋の外に置きっぱなしだった箱の蓋を開けて、陽一に見せた。


「どれでも好きなの一個いいよ!」


やっぱり、石だ。

陽一は溜息を付きながら、箱の中を覗いた。

でも、見覚えのある石が目に入った。


「これにする」


陽一は迷わず緑の石を取った。

香織は自分の一番お気に入りのピンクの石ではなかったことにホッとしたようだ。


「香織の宝物あげたから、今度はおままごとしようね!約束だよ!」


(しつこいな・・・)


陽一は呆れたように香織を見た。そして観念したように、


「わかったから・・・。ばあちゃんが待ってるから、もう行く」


そう言って、緑の石をポケットに入れると、スタスタと祖母の待つ車の方へ戻っていった。

香織もその後を追いかけた。



               ☆



佐藤の家に着くと、汗をかいたから風呂に入るように祖母に言われ、素直に風呂場に行った。

そして脱衣所で、また溜息を付いた。


「また、やられた・・・」


シャツの背中に手の跡が付いている。

きっと納屋で掴まれた時だ。


「今度行くときは、白のシャツはやめよ・・・」


そう独り言を呟くと、風呂に入った。


しかし、『今度』はなかった。

次の週末には父と母が海外から帰ってきたからだ。

その後は佐藤の家に行くこともなく、夏休みは終わってしまった。


夏休み以降も、たまに佐藤の家に遊びに行くことはあっても、祖父も祖母も原田の家に連れて行ってくれることはなかった。


あの納屋のトラクターも香織との約束も気になったが、自分からあの農家へ連れて行ってくれと頼むのは気恥ずかしくて言えなかった。


年が明けて春になり、佐藤の家に遊びに行くと、原田さんからもらったと言って、祖母が筍ご飯を作ってくれた。

それを食べながら、去年の夏を思い出した。


(このタケノコもあの子が採ったのかな?)


そんなことが頭を過る。

そして香織との約束も思い出す。

まだあの子は自分の約束を待っているだろうか?

スイカを食べたくらいで忘れてしまうほど頭の持ち主だ。

きっと覚えてはいないだろう。


陽一も筍ご飯の度に香織を思い出していたのは、一、二年の間だった。

中学生にもなれば、思い出すこともなくなり、高校生の頃には顔などもすっかり忘れて、夏の出来事も遠い思い出となり、ともすれば、現実ではなかったのではと感じるほど、遥か遠い出来事になっていた。


ただ、捨てられずに部屋に置いてあった緑の石が、あの夏は夢ではなく、紛れもなく現実だったという事を証明していた。

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