<93> 強かさ

陽一は自分の胸で泣いている香織の背中にそっと腕を回し、優しく抱きしめた。

暫く何も言わず、香織の頭を撫でていた。


香織の嗚咽がおさまったころ、頭をポンポンと叩き、


「落ち着いた?」


と声を掛けた。


「・・・!ご、ごめんなさい!突然」


香織は我に返って、慌てて顔を上げた。

すぐに陽一から離れようとしたが、陽一は香織を放さない。


「ああ、熱烈な出迎えで感動したよ」


意地悪そうに笑って香織を見ると、今度は陽一が香織をぎゅっと抱きしめた。


「で?誰に、何を言われた?」


陽一は香織の耳元で囁いた。

その声には優しさではなく、怒りがこもっているように聞こえた。


「え、えっと・・・。その・・・」


香織は口ごもった。

感情に揺さぶられ、思わず抱きついて泣いてしまったが、今になって冷や汗が額に浮かんできた。


「えーっと、その・・・。すいません・・・。何でもないです」


香織は陽一の腕の中から逃れようとするが、陽一の力に全く敵わない。

ひたすらジタバタ足掻いてみたが、


「そういう明らかな嘘は、俺だけじゃなく世の中全ての人間に通じないぞ」


陽一の力は強くなる一方だ。

香織は諦めて力を抜いて、陽一に体を預けた。

陽一は満足そうに香織の両頬を包むと、自分に向かせた。


「で?誰に、何を言われたんだ?そんなに俺に言いづらい相手?」


「う・・・、その・・・ですね・・・」


「ふーん、相当言いづらい相手なんだな。じゃあ、佐田のじいさんか」


「!」


「やっぱりね」


目を丸めた香織の顔を見て、陽一はニッと笑うと、香織の頬を軽く摘まんだ。

だが、すぐに頬から手を離すと、もう一度香織を抱きしめた。


「まあ、何かしらお前に言ってくると思ってたよ。悪かったな、傍にいれなくて」


陽一の優しい言葉に、香織はまたじわっと涙が浮かんできた。


「何を言われたかは想像つくが、一応聞く。何て言われた?」


「・・・」


「言いたくないほど酷いことか?」


香織は首を振った。


「・・・そうじゃなくて、告げ口みたいで、情けなくって・・・」


「告げ口じゃない、報告だ」


陽一は香織を自分から離すと、顔を覗き込んだ。

そして、いつもの意地悪そうに笑うと、


「今更、悲劇のヒロインぶって自分の中だけに抱え込むな。もっと強かに立ち回れ。あのじいさん相手に素直でいい女である必要はない。舐められるだけだからな」


香織の額を弾いた。


「その様子だと、夕飯の支度はまだだろ?外に食いに行こう」



                  ☆



陽一は既に香織のツボは押さえている。

食事中も最初のうちは、葬式のような顔をしていたが、徐々に普通に戻っていき、デザートが来た時には、もう回復していた。


陽一は香織が全快した頃合いを見て、もう一度さっきの質問をした。


「で?佐田のじいさんは何だって?」


「私の『良心に期待している』って言ってました・・・」


多少言いにくそうだが、素直に白状した香織に、陽一は満足そうに眼を細めた。

しかし、すぐに肩を竦めると、


「ふーん、『良心』ねえ、大した言い方だな」


呆れるように呟いた。


「今後も全部俺に報告しろよ。告げ口だなんて後ろめたく感じる必要はないからな。お前に対して取った行動が、全部俺に筒抜けだという状況が大事なんだ」


「え~、でも、逐一チクってるって、感じ悪くないですか・・・?」


「いいって。さっきも言ったけど、強かに立ち回れ。相手は時代遅れの狸なんだ、ちょっと脅せば引き下がるって信じてるような。感じが悪いくらいが丁度いい」


「う・・・、それこそ良心に反する気が・・・」


「そういうところに付け込んでるんだって、向こうは」


「・・・そっか・・・」


香織は納得したような、していないような、難しい顔でケーキを頬張った。


(強かか・・・。確かにそうかも・・・。もっと神経を図太くしないと太刀打ちできそうにない)


「・・・でも、ラスボスを攻略・・・、いや、会長に認めてもらうのは大変そうですね」


香織はふ~っと溜息をつくと、


「別に認めてもらう必要もないだろ?」


「え!?」


澄ましてコーヒーを飲んでいる陽一に、香織は思わず声を上げた。


「で、で、でも・・・」


そうじゃあ、結婚できないんじゃ・・・と言いかけて、香織は口を噤んだ。

プロポーズもされていないのに、何を言おうとしているんだ。


(もしかして、そんなつもり無いのかな・・・?)


香織は俯いた。

将来についてヤキモキ考えていたのは自分だけなのか?

何だかんだ言って、陽一は自分を嫁にする気は無いのかもしれない。


そう思うと、目頭が熱くなってきた。


(だったら、さっさと会長の言う事を聞いた方がいいじゃん・・・)


そんな自暴自棄な思いが押し寄せてきたところに、


「じいさんだけじゃない、他の誰にも認められなくたって構わない。どっちにしろ別れるつもりは無いんだから」


「え゛・・・?」


「放っときゃいいって、周りなんか」


「・・・」


陽一の爆弾発言に、香織の涙は引っ込んだ。

一瞬でも陽一を疑った自分が恥ずかしくなった。


(この人のポジティブさを見習わねば!ネガティブに考える方がアホみたいだ)


香織は、相変わらず澄ましてコーヒーを飲んでいる陽一をじっと見つめた。


(この人を信じよう)


香織はケーキフォークを握りしめ、そう固く誓った。

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