<90> 秘密基地
宴会が始まると、すぐに二人の爺さんのテンションは上がり、ガハハハッと笑いが絶えない。
あっという間に、賑やかになった。
暫く、食事とお酒とおしゃべりを楽しんでいたが、いつの間にか、綾子の姿が見えなくなった。
トイレで中座したには、長く戻ってこない。
香織は気になって、廊下に出た。
トイレに行っても、台所に行っても綾子の姿が無かった。
「あれ~?どこ行ったのかな?」
玄関の前を通った時、コート掛けにかけていた綾子のコートと靴が無いことに気が付いた。
香織は驚いて目を見張った。
「え・・・!?うそ?帰っちゃったのかな?」
香織は慌てて外に飛び出した。
すると、丁度裏庭から綾子がこちらに戻ってくるのが見えた。
「あ!お母さま!」
香織は綾子に駆け寄った。
「よかった!どこにもいないから、帰っちゃったかと思っちゃいましたよ!」
「そんな、何も言わずに勝手に帰るなんて、失礼なことをするわけがないでしょう」
綾子は呆れ顔で香織を見た。
「酔い冷ましで、散歩してたんですか?」
「それもあるけど・・・。裏の桜の木を見てきたのよ・・・」
「桜の木?」
香織は首をひねった。
確かにあの桜はちょっとした大木だ。形もなかなか良い。
だが、真冬にさくらの木を見ても何が楽しいのだろう?
「私と香世子ちゃん・・・、あなたのお母様との思い出の場所なのよ」
「え!」
香織は目を丸めた。
そう言えば、昌子が綾子と香世子が小さいころ遊んでいたと言っていた。
「お母さんとお友達だったんですか?」
「・・・そうね。私はそう思っているわ。とても短い時間だったけれど・・・」
綾子は目を細めて、畑の方を見た。
「ここの畑でもあなたのお母様と悪戯をして遊んだのよ。私が帰った後、香世子ちゃんはおばあ様から相当怒られたでしょうねぇ」
懐かしそうに畑を見つめる綾子に、香織の胸に熱いものが込み上げてきた。
「ふふ、他にも、秘密基地なんてあったわ。あれはどこだったかしら・・・?」
「秘密基地!?」
香織は思わず叫んだ。
「秘密基地ならあっちですよ!私の秘密基地!お母さんと同じ場所です!」
香織は納屋の方を指差した。
そして、はち切れんばかりの笑顔で綾子の腕に飛び付くと、納屋の方に引っ張って行った。
☆
綾子が連れて来られたのは、納屋の裏だった。
そのすぐ奥には竹林だ。
香織は納屋にくっ付いている様に建っている小さな小屋があった。
「昔は、屋根は板を置いているだけだったんけど、おじいちゃんが危ないからって綺麗に屋根を付けてくれたんですよ。その時点で秘密基地ではないですけどね」
香織は笑いながら、綾子を傍に連れて行った。
中を覗くと、子供なら二人は入れるだろうかと思われるほどの広さの中に、ゴザが引かれ、端には玩具やガラクタの類が綺麗に整頓されて並んでいる。
天井は低く、大人ではしゃがんでも頭が付きそうだ。
その天井には、懐中電灯が上手に括り付けられている。
綾子がおぼろげに覚えている風景とはまったく違っていた。
香世子の秘密基地はもっと汚くて、玩具やガラクタは適当に転がっていた。
二人が座るためにそれらを足で蹴とばし、端に寄せていたのを思い出した。
天井にはもちろん電気なんて無かった。
小学校の授業で使った豆電球の実験セットで明かりを灯し、薄暗い中で、わざわざ家から持ってきた駄菓子をそこで食べたり、次の悪戯の作戦を練ったりしていたのだ。
「あなたは香世子ちゃんより綺麗好きなのね。ちゃんと整理してあるわ」
「ちゃんと並べておかないと座れないんですよ、狭いから」
綾子は思わず噴き出した。香世子が聞いていたら、どう思うだろう?
自分よりずっと良くできた娘だと感心するだろうか?
綾子は天井を見て、
「この懐中電灯もおじい様が付けてくれたの?普通のお部屋みたいに明るくなるわね」
懐中電灯のスイッチを入れてみたが、もちろん電池切れで付くことはない。
「えっと、これは確か・・・」
香織は首をひねった。
「近所のお兄ちゃんだったかな?それとも友達のお兄ちゃんだったかな?おじいちゃんではないです」
香織はう~んと思い出すように腕を組むと、さらに首を傾げた。
「遊んでいた時に、暗いからって付けてくれたんですよね、確か」
「上手に付いてるわね。器用な子だったのね」
「これのお陰で、ここで本とかも読めるようになったんですよ。漫画とかわざわざここに持ってきて読んでました」
香織は思い出したように笑った。
綾子は小屋の中をもう一度眺めた。
ここはもう香世子の場所ではなくて香織の場所だった。
自分の思い出がここには無いことに、ちょっとした寂しさを感じたが、新しく引き継がれていたことに感慨深い気持ちにもなった。
「ありがとう。もう、戻りましょう。寒いでしょう?」
綾子が立ち上がり、小屋の入り口から離れると、香織は何かを思い出したのか、
「ちょっと待ってください、お母さま」
そう言うと、這いつくばって小屋の中に入ると、一つの袋を取り出した。
「これ!これはお母さんのおままごと道具ですよ。キティちゃんなんです」
そう言って袋を開けて、綾子の前に広げて見せた。
綾子は恐る恐る中を覗いた。
そして、思わず両手で口元を押さえた。
「ああ・・・、覚えてるわ・・・」
そう呟くように言ったが、ほとんど掠れて声が出ていなかった。
新しく変わってしまった場所に、まだ自分の思い出はちゃんと残っていた。
消えてはいなかったのだ。
目を真っ赤にして声も出さず、肩を震わせて、ただただ、袋の中を覗いている綾子に、香織の目にも涙が浮かんできた。
しかし、寒さは感動の上を行くのだろうか。
香織はコートも着ずに外に出ていたことを忘れていた。
盛大なくしゃみをして、感動の沈黙を打ち破った。
綾子は我に返り、思わず噴き出してしまった。
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