<76> 格差恋の恐ろしさ

社用車の後部座席で、香織は頭を抱えていた。


(終わった・・・。私の平穏な会社生活が終わった・・・)


チーンと沈んでいる香織の頭を、陽一はくしゃくしゃっと撫でた。


「いい加減、諦めろ。いつかは知れることだろ?」


「いやいやいや!上手くいってれば知られませんでしたよ!」


香織はガバっと顔を上げると、陽一を睨んだ。


「それに、こんなにも盛大に暴露することもなかったでしょう!酷いですよ~!月曜日から会社行けな~い!!」


そう叫ぶと、膝に顔を埋めた。


「じゃあ、あのまま、じいさんに会長室に連れて行かれてもよかったのかよ?」


「う~~~、それはダメです~・・・。それはホントに助かりました~・・・」


香織は顔を膝に埋めたまま答えた。


「俺からしたら、じいさんの行動は遅かった方だ。もっと早くこうなるかと思ってたけどな・・・」


「え?」


「もっと早くお前に接触してくると思ってたよ。もしかしたら、俺が本気じゃないとでも思っていたのかもな」


香織が顔を上げて陽一を見ると、陽一は腹立たし気に車の外を眺めていた。


(・・・)


香織は陽一の手をそっと握った。

陽一は驚いたように、香織に振り返った。


「何?どうした?」


香織は俯いたまま、首を横に振った。


「別に、何でもないです・・・」


そう言うと、握った手にさらに力を込めて、ぎゅっと握った。


「ふーん」


陽一は空いている手で俯いている香織の顎を持ち上げて、顔を覗き込んだ。

香織はすぐに目を閉じた。

陽一はフッと笑うと、触れるだけの優しいキスを落とした。



                  ☆



香織を家まで送ると、陽一は会社に戻っていった。

車の中での甘い余韻が残り、フワフワした気持ちで家に帰った香織だが、暫くして平常心にもどると、今の自分の立場を思い出した。


「・・・そうだ・・・。とんでもない緊急事態なんだった・・・」


思い出した途端、血の気が引いて、倒れ込むようにソファに座った。


「どうすんの?私・・・。月曜日、どの面下げて出社すればいいの・・・?」


香織は再び頭を抱えて、ソファのクッションに顔を埋めた。


総務部の女性陣はどう思っただろう?

彼女たちが陽一の事をきゃあきゃあ言っている横で、素知らぬ顔して、その男と付き合っていたわけなのだから、絶対に良い感情は持たないはずだ。


総務部だけではない。

7階のフロア全員がさっきの出来事は見ていただろう。

あっという間に、噂は広まるはずだ。

今頃、きっともう秘書の二人の耳にも届いている・・・。


「う・・・、きっと、あのビームで焼き殺される・・・」


香織はギューッとクッションを抱きしめた。


(だからと言って、あのまま会長室に行っていたらどうなっていたんだろう?)


おそらく、陽一と別れるように説得されていたことだろう。

いや、説得なんて生易しいものではなかったかもしれない。

YESと言わざるを得ないほどの圧力を掛けられていたかもしれない。


そう思うと、香織は身震いした。


綾子に認めてもらったからと言って、全てが上手くいったわけではない。

そのことは、頭では理解していたが、実感が伴っていなかった。


香織は、陽一自身には求められても、佐田家には求められていない存在なのだ。

会社での自分の立場ばかりに気を取られ、一番大きな難関が頭から離れていた。


正則の自分を見つめていた顔が頭に浮かぶ。

古希祝のパーティーの席で自分を見ていた苦々しい顔。

今日の、にこやかな顔にも関わらず、まったく笑っていない目。


(会長って、ラスボス・・・?)


彼を攻略すれば、もう難局は全面クリア?ハッピーエンド?

それとも、次のステージがまだある??


今回改めて、自分の恋は想像以上に前途多難だということを思い知らされた。

もともと恋愛上級者でもないのに、なぜこんなにもハイレベルな恋になってしまったのか?


(ああ、やっぱり格差恋って恐ろしい・・・)


香織はもう一度クッションを抱きしめて、顔を埋めた。

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