<59> 絶対に秘密

翌朝、香織が朝食の支度を終えた頃、陽一が起きてきた。


「あ、おはようございます。良かった、今、起こしに行こうと思ってたんですよ」


当たり前のように、まるで夫婦のような挨拶をする香織に、自然と陽一の頬が緩んだ。

朝起きたら香織がいること、そして、自分の為に朝食を用意してくれていることで、幸福感と安心感に満たされるている自分に驚いた。


だた、香織を見ると、パタパタと動き回っていて、通常運転のように見える。

自分だけが浮かれているようで、少しだけ癪になった陽一は、香織を背中から抱きしめると、首筋にキスを落とした。


「うわっ!」


香織は驚いて悲鳴を上げた。

振り向いて陽一を睨むが、その顔はみるみる真っ赤になっていく。

陽一はその反応に満足して、香織の唇に触れるだけのキスをした。


「おはよう」


「う~~・・・」


真っ赤になっている香織の頭を撫でで、もう一度、頬にキスをすると、やっと解放して椅子に座った。


「そ、そうだ。陽一さん。ここの最寄り駅から会社ってどのくらいですか?」


香織は火照った顔を冷ますように、手でパタパタ扇ぎながらも、澄ました振りをして陽一に尋ねた。


「なんでだよ?社用車で一緒に出社すればいいだろ?」


「何言ってるんですか!人に見られたらどうするんですか!」


「別にいいだろ?俺はすぐにでも公表したいくらいだ」


それこそ澄まして陽一は答える。


「はあ?ダメ!ダメですよ!そんなことしたら私の平穏な会社生活が終わる!マジで刺されますよ!会社で殺人事件が起きてもいいんですか!?」


「何、大げさな事言ってるんだよ」


陽一はトーストを頬張りながら、呆れたように香織を見た。


「大げさじゃないですよ!自分がどんだけ人気あるのか知ってるでしょうが!特に秘書室のお姉さま方!」


香織は以前、秘書の二人が取引先の姪御さんに対して、目から発していた強烈なビームを思い出し、身震いした。


「すごかったんですからね!陽一さんが取引先のご令嬢と連れ立って歩いていた時!めっちゃ怖かったんですから!目からビーム出てたんですよ、ホント!」


香織は両手で目じりを吊り上げて見せた。


「あー、確かにあの二人なぁ」


「ほらほらほら!自覚してるじゃないですか!」


興奮気味に話す香織に対して、陽一は相変わらず澄ました顔で、


「ま、その時は骨を拾ってやるよ」


そう言うと、コーヒーを片手に新聞を広げた。


「う~~~」


香織はフォークを握り締めながら、陽一を睨んだ。

だが、さっき自分が言ったことで思い出したことがあった。


「・・・そういえば、その・・・」


「何?」


「・・・あの、例の取引先の姪御さん、いや、ご令嬢さんとは、どうなってるんです・・・?」


陽一は新聞から顔を上げて香織を見ると、意地悪そうに笑った。


「何?気になる?」


「ぐっ・・・」


香織は真っ赤になって、そっぽを向いた。

そしてガブっとトーストに噛り付いた。

それを見て、陽一は可笑しそうに笑うと、


「だから公表したいって言ってるんだよ、俺に女がいるって。毎回、昼時目がけて押しかけられて迷惑なんだよな」


頬杖を付いて香織を見つめた。


「別に、私だって公言しなくたっていいでしょう・・・。普通に彼女がいるって言えば・・・」


香織は恥ずかしそうにそっぽを向いて、モソモソとトーストを食べながら答えた。


「それだと真実味が足りないんだよ。実際に目の前でイチャ付いた方が効果あるからな」


「!」


香織はトーストをのどに詰まらせ、慌ててコーヒーで流し込んだ。


「ま、そのご令嬢さんとは何にもないから安心しろ」


陽一はいつもの余裕な笑みを見せると、新聞に目を落とした。



                   ☆



結局、陽一の「公表」するは却下された。

会社では二人の関係は絶対に秘密、出勤は絶対に別々と言い張り、香織は先に家を出た。


行ってきま~すと言って、玄関を出ようとした時、陽一に捕まった。


「出かけるときの挨拶ぐらいしていけ」


「え?だから、行ってきます?」


「そうじゃなくって、ほら」


陽一は目を閉じて香織の前に顔を近づけた。


「!」


香織は真っ赤になって固まっていると、陽一が目を開けて、


「お前からしないなら、俺からするけどいいの?」


そう意地悪そうに笑うと、自分の上唇を舐めて挑発してきた。

香織は慌てて首を振った。

朝から濃いものをされては敵わない。


「待って、待って!分かりました!分かりましたから!」


香織は急いで陽一の唇に、チョンっと自分の唇を合わせると、


「い、行ってきます!」


と叫んで、玄関を飛び出していった。


香織が出て行った後、陽一は自分の口元を押さえた。

自分の顔が熱くなっているのが分かる。


「今の、ちょっとヤバいかも・・・」


そう呟くと、リビングに戻って行った。

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