<50> 一区切り

綾子との最後の晩餐を終えて、香織は今までのウジウジした気持ちが、少しだけ楽になったような気がした。


(これですべて終わったんだ・・・)


ひとつの区切りがついた。

いつまでも陽一を引きずっていても仕方がない。

前を向かないと。


香織はそう自分に言い聞かせた。


とは言え、新しい恋愛を始める気にはならない。

敢えて、今更ミッション1の『恋人を作る』必要はないわけだ。


(あれから、加藤君も何も言ってこないし・・・)


香織は自分のデスクから、湊をチラリと盗み見た。

ホッとしている自分に、香織は思わず苦笑いした。


(気のせいだったんだな、きっと。いやはや、自惚れちゃって、恥ずかしいったらないわ・・・)


湊に対して大変失礼なことを思っていたなと大いに反省した。


だが、それは油断だったらしい。


翌日は久々の残業だった。

もうかなり慣れてきたので、そう遅くはならないだろうと思って仕事をしていると、


「原田、残業?手伝うよ」


と湊が傍にやって来た。

香織は慌てて、


「大丈夫だよ!多分すぐ終わるし。加藤君は終わったんでしょ?お疲れ様!」


そう言って、湊に帰るように促した。


「二人でやった方が早いじゃん」


「そうだけど、悪いよ。流石に」


「・・・俺が手伝うのって、迷惑?」


(う・・・)


この返しはズルくない?

何も言えなくなるじゃないか。


「いや~、そんなことないけど、悪いな~なんて思って・・・」


「悪くないって。終わったら飯行こうぜ」


(え・・・?)


サラッと夕食に誘われて、香織は戸惑った。

だが、断る理由がない。

香織は愛想笑いをしながら、OKするしかなかった。



                   ☆



仕事が終わって香織が連れてきてもらった場所は、洒落たイタリアンレストランだった。

想像以上に早く終わって、流石に立ち食い蕎麦屋はないだろうとは思っていたが、普通の居酒屋でもなく、小洒落た店で驚いた。


「前も思ったけど、加藤君って、お洒落なお店よく知ってるね~」


「そうかぁ?」


まわりを見渡すとカップルばかりだ。

女子同士はチラホラいるが、野郎同士はほとんどいない。


(・・・なんか妙に雰囲気のあるお店だけど・・・。たまたまだよね・・・?)


ついつい身構えて湊を見るが、とても慣れた様子だ。

よく来ているのかもしれない。


(ははは、自惚れ過ぎだって、私。大してモテない女だってこと思い出せ)


香織はペンペンと自分の頭を叩いた。

ここ最近の状況が変だったんだ。

ハイスペック男子にロックオンされて思考回路がおかしい方向に行っている。

警戒し過ぎだ。


そんなことを思いながら案内された席に着くと、湊はサッと香織にドリンクのメニューを差し出した。


「飲むだろ?ワインにする?」


「・・・」


香織は渋い顔でメニューを受け取った。

先日の失態をまざまざと思い出す。

あれはかなり不味かった・・・。


「今日は止めとく。明日もあるし。ジンジャーエールで」


「そうか」


香織がメニューを返すと、湊は残念そうだ。


「加藤君は飲めば?」


「おー、じゃあ、ビール一杯だけな」


食事も終わりを迎え、香織がデザートのジェラートを幸せそうに食べている時、


「なあ、明日連休前じゃん。また映画行かないか?」


と湊に誘われた。

香織は一瞬何を言われているか分からず、瞬きして湊を見た。


あれ・・・?

やっぱり、加藤君って、もしかして・・・自惚れじゃなかった?


「・・・?もしかして用事ある?」


何も答えない香織を、湊は残念そうに見つめる。

それは何とも子犬のようだ。


「え、えっとね、ごめんね。明日は先約があるんだ」


香織は咄嗟に嘘を付いた。

湊に対して嘘を付くのは何回目だろう?

香織は罪悪感で胸が痛くなった。


「そうかぁ。じゃあ別の日は?」


(べ、別の日?)


香織は焦って新しい嘘が思い浮かばない。


「そ、そうだね、別の日なら・・・」


ついそう答えてしまった。


「良かった!じゃあ、来週にしようぜ!」


「・・・」


湊の笑顔に反して、困惑している自分の顔を隠すように、香織は食後のコーヒーを口にした。

砂糖とミルクを入れているはずなのに、罪悪感いっぱいで苦い味しかしなかった。



                ☆


レストランを出たところで、香織は財布を開いた。


「加藤君、お会計ありがとうね。幾らだった?」


財布の中を覗いて、千円札何枚あるかな~などと数えていると、


「ああ、いいよ、いらない」


湊は手を振った。


「ダメだよ!払うよ、悪いって!」


それこそ立ち食い蕎麦じゃあるまいし、何百円の話じゃない。

それに今までちゃんと割り勘だったじゃん!


「だって、結構高かったでしょ?」


どうしてだろう。

奢られることに、妙な焦りを感じる。

素直にご馳走になることに抵抗を感じてならない。


陽一にですら、毎回、奢られることに抵抗があった。

だが、それとはまた違う感情だ。


どうにか食事代を受け取ってもらおうと頑張る香織に、湊は笑って、


「いいって!今日は俺の奢り!な?」


ポンポンと香織の肩を叩いた。


「でも・・・」


「じゃあ、来週、映画見た後の食事は原田が奢ってよ」


「・・・」


優しく笑う湊にもう何も言えず、香織は仕方なく財布を閉じた。


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