<42> ミッション
突然陽一に唇を奪われて焦った香織は、肩を押さえている陽一の手をどかそうと必死で暴れるが、ビクともしない。
それどころか、両手首を頭の上に縫い留められ、もっと身動きができなくなった。
その間も陽一の口づけは止まらない。
それは今までと違って容赦ない。
無理やり割って入ってくる舌は、乱暴に口内を荒らしていく。
逃げようとする香織の舌を捕まえて、どんどん攻めてくる。
乱暴な貪り方からも陽一の怒りが全身に伝わる。
香織はこの怒りに溶かされそうになった。
(ヤバい・・・。理性が飛ぶ・・・)
香織が理性と必死に戦っていると、陽一の唇は香織から離れた。
だが、そのままなぞる様に首筋へ下りていく。
空いている一方の手が、香織のスカートをまくり上げると、するっと太腿を撫でた。
「ダメです!ダメですって!」
香織が必死に叫ぶも、陽一は止めようとはしない。
首筋を攻めていた唇と舌が、うるさい香織の口をもう一度塞ごうとしたとき、
「ミッションが・・・!ミッションがあるんだから・・・」
香織が絞り出すように言った
「・・・ミッション?」
陽一は怪訝そうに香織を見た。
(し、しまった!)
香織の狼狽した顔に、陽一はますます顔をしかめた。
そして、体を起こすと、香織から手を離した。
「なんだよ?ミッションって」
香織はその隙に急いで陽一から離れると、ソファの隅に小さく膝を抱えて丸くなった。
体が火照って、腹の下が疼き出しているを必死で押さえるように、ぎゅっと膝を抱えた。
「えっと、それはですね・・・」
「・・・」
「その・・・、えっと・・・」
「・・・」
はっきりしない香織にイライラした陽一は、じりじりと香織に近づいていく。
香織に向かって手を伸ばしたところで、香織は慌てて、
「だから、私に課せられたミッションです!」
そう言って、陽一の手を振り払った。
「は?」
「一つは『恋人を作る』で、もう一つは『嫌われる』で・・・」
「・・・」
陽一は額に手を当てて、脱力したようにはぁ~と息を吐くと、呆れたように香織を見た。
「で?誰に課せられたんだよ?そのミッション。お袋か?」
「!」
「だろうな・・・」
陽一はゆっくり立ち上がると、もとのソファにドカッと座った。
「・・・ったく。アホなのかよ、お前ら」
軽く香織を睨むと、コーヒーを口に運んだ。
「そんなくだらないことで、俺を振り回すなよ」
「振り回しているのはどっちですか!?」
「お前」
「はあ?」
納得がいかない香織は陽一を睨みつけた。
陽一は澄ました顔でコーヒーを飲んでいる。
「そんなくだらないミッションなんて放っておいて、さっさと俺に落ちればいいんだよ」
「くだらなくないですよ!だって・・・」
「だって?」
香織は一瞬言葉に詰まった。
だが、キッと顔を上げて陽一を見据えた。
「だって、陽一さんは私を落とすことだけが目的でしょう?」
「は?」
「私に振られてプライドが傷ついたから、私に執着しているだけでしょう?お母さまもそうおっしゃってました!」
「・・・へえ、お袋が?」
陽一はマグカップをテーブルに置くと、目を細めて香織を見た。
「で?お前もそう思うの?」
「・・・私もそう思います」
「ああ、そう。じゃあ、今までお前にしてきたことは、俺のただの道楽だったてこと?」
「う・・・」
香織は言葉に詰まり俯いた。
「ふーん、お前はずっとそう思ってたんだな」
香織が顔を上げると、陽一は今まで見たことのないような冷ややかな目で香織を見ていた。
「分かったよ、降参するよ。もうお前から手を引く」
「え?」
「『お遊びで落とそうとした女を落とせませんでした。だから降参します』これでいいんだろ?」
「・・・」
香織は言葉を失った。
さっきまで火照っていた体が、急速に冷めていくのを感じた。
「じゃあ、そういうことで。悪いけど帰ってくれる?」
陽一は立ち上がると、冷たい目で香織を見下ろした。
香織は青い顔で陽一を見上げた。
何も言葉が出てこない。
ただただ陽一を見つめた。
「なに?その目」
陽一は意地悪く口角を上げた。
だが、今までの意地悪な笑みとは程遠い。
本当に侮蔑しているようだ。目の奥に怒りが潜んでいる。
「ああ、さっきので体が疼いちゃった?どうせなら、最後に一回やっとく?」
「結構です!」
香織は慌てて立ち上がった。
「そりゃ、良かった。俺もお前みたいな女、抱きたくない」
その一言に香織は心臓がえぐられる思いがした。
苦しい胸を手で押さえながら、落ちていたバッグを拾うと、目の前に一万円が差し出された。
「タクシー代」
「・・・結構です・・・」
香織は顔も上げず、陽一に軽く会釈をすると、玄関に向かった。
当然、陽一は見送りに来ない。
香織は靴を履いて、玄関から出ようとした時、右手首が目に入った。
未練たらしく、毎日身に付けていたブレスレットが光っている。
香織はそれを外すと、何の飾り気のないすっきりとした下駄箱の上に、そっと置いた。
そして静かに玄関の扉を開けると、外に出て行った。
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