<40> 王子様

香織は盛大にビールを噴き出した。


「お、おい、大丈夫か?」


湊は慌てて香織におしぼりと手渡すと、咳き込むその背中を摩った。

その行為に香織は青くなった。


「・・・!だ、だい・・・じょぶ・・・だか・・ら」


香織はおしぼりを口に当てたままそう言うと、姿勢を正し、湊の手からそっと逃れた。


周りを見ると、全員が陽一の方を見ている。

今まで冷やかしていたお局様も先輩も、突然の陽一の登場に目を奪われていたらしく、自分たちを見ていなかった。

良かった・・・。これ以上冷やかされては堪らない。


だが・・・

一番見られたくない人には、絶対見られている・・・。

そう確信しながら、チラッと陽一を見た。


香織が見上げた時には、陽一はもう別の方を見ていた。


「よかった!副社長!ささ、こちらへ」


常務に促され、上座の席に向かって歩いていた。

陽一が席に座ると、すぐに秘書の女性が傍にやって来た。


「良かったです!副社長、来られないとおっしゃっていたから」


そう言って、おしぼりの袋を破り、陽一に差し出した。


「ありがとう。思ったより早く要件が終わってね」


陽一はにっこりと笑い、礼を言いながらおしぼりを受け取った。

その様子を他の女子社員はギラギラした目で見つめている。


もう一人の秘書が、店員が持ってきたグラスとビールをひったくるように受け取ると、


「どうぞ」


と、そっと陽一の前に置き、ビールを注いだ。

これに対しても、陽一はにこやかに礼を言った。


後れを取った女子社員は歯ぎしりをしながら二人を睨んでいる。


「まるで、ハイエナね・・・」


お局様がボソッと呟いた。



                  ☆



改めて乾杯をし直した後、陽一の席の周りは女子社員でほぼ満席状態になってしまった。


常務や専務ですら別の席に追いやられ、呆れたようにその様子を見ている。

そして独身男性陣たちを慰めるように、上役自らお酌に回った。


呆れたように見ていたのは香織も同じだ。

呆れたというより、唖然とした。

ここまでの人気ぶりとは・・・。


「す、すごい人気ですね・・・」


「副社長が来るといつもこんな感じよ」


お局様はもぐもぐ口を動かしながら、箸で陽一を指した。


「だって、あんなにハイスペックで独身男性ってそうそういないじゃない?」


「ホント、男の俺だって憧れちゃう」


先輩は笑いながら、グラスに残ったビールを飲み干した。

香織はビール瓶を手に取ったが、湊がサッとドリンクのメニューを渡した。

先輩はメニューを見ると、ハイボールを頼んだ。


湊の手際の良さに、香織は目が点になった。


「ふふ、ああして座っていると本当に王子様みたいよね~。女性陣に囲まれてさ~」


(王子様・・・)


お局様の言葉に、香織は陽一の方を見た。

傍にいる女性たちにあれこれ世話をやかれ、居心地がよさそうだ。


そして、チラッと湊を見た。

湊はお局様の空いたグラスを遠くへ下げ、メニューを渡している。

注文を聞くと、すぐ店員に知らせる。

幹事でもないのに、サッと動く行動に無駄がない。


それに比べで自分は何んだろう。

やってもらってばかりだ。

陽一にしても湊にしても・・・。


(あの人はやっぱり王子様なんだ・・・)


本来、世話をされる側・・・。

そしてそれが様になる。

秘書の女性の率ない動きを見ていると、とてもあんな芸当、自分にはできない。


(はは、私よりも加藤君との方がずっとお似合いかも・・・)


思わず、心の中で自虐的に笑った。


「ホント、ホント。王子様はどんなお姫様をお嫁さんに貰うのかしらね?」


「あの中から出るかしら?お嫁さん」


「いや、無いでしょ!どこかの社長令嬢でしょ!」


「そうよね~。でも、秘書の子はありうるわよ。結構いいところのお嬢さんらしいから」


「へえ!そうなの?」


香織はそんなお局様の会話に耐えきれず、フラ~と席を立つと、お手洗いに向かった。


香織はトイレの個室に暫く籠って、気持ちの整理をしていた。

陽一が視界に入っても動揺しないように、何度も何度も自分に言い聞かせた。

そして、お手洗いから出ると、廊下で湊が待っていた。


「大丈夫かよ?戻るのが遅いから心配したぞ。そんなに酔ったのか?」


「え?ごめん、ごめん!全然違うよ!」


香織は慌てて否定した。


「そうかぁ?」


湊は心配そうに香織の顔を覗き込んできた。

急に距離を詰められて、焦って半歩後ろに下がり、


「ホント!ホント!全然平気!トイレが混んでて、待たされてただけだから!」


つい嘘を付いてしまった。


「ならいいけど。大丈夫なら戻ろうぜ」


「う、うん」


戻る湊の後ろを、香織は後ろめたい気持ちで付いて行った。



                   ☆



懇親会も無事に終わり、店から出ると、すぐに若手社員が二次会の店を決め始めた。

その間も陽一は女子社員に埋もれるように囲まれている。


お局様たちなど、家庭を持つ女性陣はここでお開きのようだ。


「お疲れ様でした~」


と、にこやかに去っていく。

香織も後を追うように、


「私もこれで、お疲れ様でした~」


爽やかに去って行こうとしたが、あっさりと湊に捕まった。


「え?何だよ、行くだろ?二次会」


湊に腕を掴まれて、焦って陽一を見た。

だが、陽一は全くこちらを見ていない。

相変わらず、女性たちと楽しそうに話している。


「いや~、やっぱりちょっと飲み過ぎたって言うか・・・。今日は帰ろうかなって・・・」


「え?マジか?大丈夫か?」


「あ、うん!心配するほどじゃなくてね、二次会まではお腹いっぱいみたいな?・・・」


「送ってくか?」


香織はブンブンと首を振ると、丁度その時、後輩の男性社員が湊に声を掛けてきた。

二次会の店の相談のようだ。


今だ!とばかりに、香織はにっこり湊の腕をポンポンと叩くと、


「ごめん!今日は帰るね。二次会、みんなで楽しんできて!」


そう言って、速足で地下鉄の駅に向かった。

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