<32> ナンパ?
「佐田の奥様!」
綾子と香織がヒソヒソ話していると、綾子の後ろから、誰かが声を掛けてきた。
綾子は驚いて振り向くと、綾子と同じくらいの年齢で、恰幅の良いご婦人が嬉しそうに近寄ってくる。
「探しましたのよ!ご挨拶したくて!」
「ま、まあ!斎藤社長の奥様!本日はお越し頂きまして、ありがとうございます」
綾子は、慌てて香織を背に隠すように立つと、優雅に女性に挨拶した。
「あら、こちらのお嬢様は?お知り合い?」
斎藤社長の奥様とやらは、興味津々とばかりに香織の方を覗き込もうとした。
綾子は慌てて、それを制すように一歩前に出ると、
「いいえ、違いますの!知り合いのお嬢様と似ていたので、思わず声を掛けてしまったのですけど、人違いでしたのよ」
そう言うと、腰の近くで香織にだけ見えるように、シッシと手を振って、ここから離れるように合図を送った。
香織は作り笑顔で、ご婦人にちょこんと会釈すると、いそいそとその場から離れた。
香織は綾子に言われた通り、パーティー会場の隅の方で、ちんまりと立っていた。
いかにこの場から自分の気配を消すか、そのことだけを考えていた。
だが、隅にポツンと立っていても、何だか、場違いさが逆に目を引いている気がする。
(自然にしないと・・・)
香織は、ビュッフェのテーブルに目をやった。
美味しそうな料理がズラッと美しく並んでいる。
その周りには、何人もの人たちが皿を片手に楽しそうに談笑している。
一人で食している人も、思いのほかいるのに気が付いた。
(そうだ、あんな風にお皿持っていた方が自然かも!)
と、香織は自分に言い訳した。
なぜ言い訳なのか・・・。
なぜならば、さっきから一つのテーブルに目を奪われているからだ。
それは、魅惑的なデザートと宝石のように美しくカットされたフルーツが並んでいるテーブル。
プチケーキにタルトにムースにパイ、エクセトラ・エクセトラ・エクセトラ・・・。
あ~んど、苺にメロンにマスカット!もう、魅惑のオンパレード!
香織のお腹はいい具合に空いていた。
腹を摩ると「ぐ~~っ」と訴えかける音が聞こえる。
香織はフラフラっと吸い寄せられるように、そのテーブルに近づいた。
すると、近くを歩いていたボーイが、香織に飲み物のお盆を差し出した。
「どうぞ」
「・・・どうも」
グラスを受け取った途端、ポチっとイートスイッチが入ってしまった。
目の前にキラキラ光るビュッフェに胸が躍る。
(酷い目に遭ったんだもん。ちょっとくらい食べても許されるよね??)
そんな思いで、デザートに見入っていると、
「こちらをどうぞ」
と、横から声が聞こえた。
その方に振り向くと、一人の若い男性が、デザートを幾つか盛った皿を香織に差し出した。
「ずいぶん迷っているようだから。これ、僕のお勧めですよ」
「え?」
香織は躊躇して、周りを見渡したが、男性の傍には自分しかいない。
確実にこの皿は自分に差し出されている。
もう一度男性を見ると、にっこりと笑って香織を見ている。
「あ、ありがとうございます・・・」
香織はおずおずと皿を受け取った。
「あまり慣れていないようだね」
若い男性はにこやかに話しかけてきた。
「僕もあまりこういう場には慣れていなくて。今日は、格式ばったパーティーじゃなくてホッとしているよ」
(いやいや、めっちゃ、こなれている様に見えますけど?)
香織は怪訝そうに男を見つめた。
お洒落で品の良いスーツを率なく着こなしている。
どう見ても場慣れしている様にしか見えない。
「今日は誰と一緒に来たの?」
「え?えっと・・・」
まずい・・・。
香織は焦った。
誰とは絶対に言えない。
まさか本日の主役の孫だなんて、ここで言うわけにはいかない。
すぐにでも、トンズラする予定なんだから・・・
「ご両親の付き添いで来たの?」
「えっと・・・」
歯切れの悪い香織に、男は笑って、
「ごめん、ごめん。そんなに警戒しないで」
そう言って謝ると、香織との距離を詰めてきた。
自然に香織の横に並ぶと、もう一つ小さなケーキを取って、香織の持っている皿に乗せた。
「これもお勧めだよ。食べてみて」
そう言って、香織にフォークを渡した。
「・・・どうも・・・」
香織はフォークを受け取ると、軽く頭を下げた。
男はにこやかに香織を見ている。
香織は何を話していいか見当も付かず、その場の気まずさから逃れるように、お勧めのケーキを口に運んだ。
「ん!美味しっ!」
「でしょ?良かった」
口の中にブワッと広がった甘さに、香織の緊張は一気に解けてしまった。
思わず、顔がほころび、立て続けに他のデザートも頬張った。
「わ、これも美味しい!」
美味しそうにパクパク食べる香織を見て、男性は満足そうに笑った。
「美味しそうに食べる女の子って可愛いよね」
「うぐっ・・!」
歯の浮くようなセリフに、香織は思わず、喉が詰まった。
一度解けた、緊張感が再び戻ってくる。
香織は胸元をトントン叩きながら、ドリンクで喉の詰まりを流し込んだ。
「あ、失礼。食べてなくても可愛いと思ってたよ」
「・・・ははは・・・」
何?この人・・・。
と思いながらも笑って誤魔化していると、背後から長い腕に肩を抱かれた。
「悪い、一人にさせて」
驚いて顔を横に見上げると、そこには満面の笑みで相手の男を見ながら、自分の肩を抱いている陽一がいた。
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