第11話 烈火:前編

 膝をついた。私には何も出来ない。出来なかった。

 焦げ臭さが鼻を突き、遠く見える私の家だったシェルターは黒い煙を上げていた。まだ直接見たわけではない。だが分かる。一五と書かれた青い看板がひしゃげた道路を横切る。

 そこから見た限り、立ち上る黒煙はその距離から大体の位置を察することが出来た。

 〝瓦礫の壁〟と呼ばれる高層ビルの廃墟群が横浜と川崎を分断しており、それは川崎と横浜の汚染の差を作り出している。

 この壁の北と南では最早世界そのものが違って感じるほどだ。

 川崎が工業的な部分で主要都市のひとつであり、軍の基地がある横須賀等と東京を繋ぐ通り道としても重要な場所であったのか、酷く攻撃された痕が三百年以上経った今でも色濃く残っている。

 この土地自体が汚染が酷いというよりも、東京から流れてくる汚染された空気が横浜まで届かず、瓦礫の壁に阻まれ川崎に滞留していると言われている。

 それが分かったとして、私達が出来る事など何も無い。


 一緒の空のはずなのに、川崎の地上から見た空は淀んだ灰色に見える。全てが歪んで見えるのは私が涙しているからだろうか。

 最後に泣いたのはいつの頃だったか思い出せない。『強くあれ』そう散々教え込まれてきたから。

 でも、駄目だ。私の両膝はひび割れたアスファルトに縫い付けられて動かない。

 ただ呆然と空を見ていた。私の前ではゆっくりと進む武装した救急隊が足音を殺しながら川崎駅へと進んでいる。


「気をしっかり持て」


 後ろから肩を掴まれ、私は漸く体を動かすことが出来た。

 首だけで後ろを向くと赤い髪が視界に飛び込んでくる。横浜で出会った男、神威の姿があった。

 瓦礫の壁を越える直前で装着したガスマスクのガラス越しに見える赤く燃える炎の様な瞳は私を真っ直ぐ見ている。

 声は無感情と言っていいほどに冷たく、ごく普通に日常で会話するような感覚と重なり私は不快だった。

 掴まれた肩を振り、手を払う様に向き直る。


「自分の故郷がやられたのに……平気でいられるわけがないでしょ!?」


 声を出すのがやっとなほどに動揺していることに今気付く。声を出すのに力が必要だった。捻り出す様に出した声は震えていたからだ。

 私の様子を見て神威は肩に掛けたライフルを手にして鋭い視線を私の背後、黒煙立ち上る川崎駅へ向けた。

 その表情は相変わらず眉間に皺を寄せた気難しそうな顔であったが今まで出会った人間には無い強い意思を瞳に宿しているように思えた。

 活力だ。

 生きる者が本来持ち合わせているであろう精力を宿した熱い瞳。

 神威は私の事など最初から眼中に無さそうに私の横をすり抜ける。そのすれ違い様だ。


「留まっていても、何も変わらない」


 その言葉に私はなんて応えれば良かったのか。今の私には何も言い返せなかった。

 確かに、このまま立ち尽くしていても仕方が無い。

 震える拳を振り上げ空を切る。胸のつっかえは取れる事は無く、ただ仕方なく神威の背を追った。


 一人ならば通らないような開けた道を進む。

 気が立っている時は広い場所にいると落ち着かない。ましてや近くにブリガンドがいるかもしれないと言う状況ならば尚更。

 左右にそびえる廃ビルの窓から銃口がこちらを向いていて直ぐにでも攻撃される様な事になりかねない。

 流石に四〇人近くいるこの部隊の全員が敵の気配に気付かないなんて事は無いと思うが、確実にそうと思えない辺り、私はそれほど他人の能力に期待をしていないのかもしれない。

 侮っている訳ではない。

 あの男、バヨネットに会うまではブリガンド数人を相手にしても苦労した事が無かった。

 集団同士の戦闘の経験が無い私が最後尾からぶらぶらとついて行った所で、仮に戦闘になったとしたら、味方の動きを気にしながら立ち回る事なんて出来ない。

 私に出来ること、それは……。


「おい、お前……!」


 神威に呼び止められたが、私は一瞬たりとも足を止めなかった。駆ける足は背後の神威を直ぐに遠ざけた。

 冷たい空気を走る度に吸い込む。前を行く兵士達が私に気付き振り返る。

 マスクをつけろと言う声が聞こえたが私にはどうでもいい事だった。警告の声も遠くなっていく。


 ただ闇雲に自分のヴィレッジへと向かう。

 静かに後をついて来るジャッカーが攻撃の態勢をとれば、あの光線を撃つ前にモーター音の様なものが聴こえるだろう。

 それで敵の強襲があれば対応することが出来る。死角はジャッカーがカバーしてくれる事に期待する。

 僅かな足音、服の擦れる音、銃を構えるまでの動き、それが空気を揺らし耳に届く。考える前に体が動く。七〇メートル程前方の右手側の廃ビル、その三階部分からこちらを狙う気配がした。

 肩から斜めに掛けたベルトを引っ張りヘビーバレルを引っ張り出す。

 かつてこの地が日本と呼ばれていたひとつの国家であった時に唯一国内で作られていた大口径のボルトアクション式ライフルは独特の重みを両手に与える。

 目の前の瓦礫に飛び込みながら、弾を装填し、目標へ銃口を向ける。スコープを覗く必要は、ない。




 引き金を引けば飛び散る血飛沫。遠く小さく見えた血は灰色の世界で鮮やかな赤。気付けば敵など存在しなかった。

 元々は広い通りだったであろうコンクリートで固められた道はひび割れ、左右に立つ建造物の残骸が幅を狭くしていた。

 瓦礫を隠れ蓑にしていた奴らが銃声を聞くなり顔を出す。それが命取りにして間抜けな行動とも気付かずに。

 頭が飛び出した瞬間に私の銃から放たれた銃弾が二つの頭を吹き飛ばした。その後から頭を下げようとした男の頭を瓦礫ごとジャッカーが粉砕する。

 ジャッカーの砲撃は発砲音こそ静かであったがその破壊力は最初に見た時から分かっていたが強力だ。身を隠す瓦礫ごと木っ端微塵にすればその破壊音は大きく響き渡る。

 すると自然と私の前後が騒がしくなる。やはり相当数のブリガンドが残っていたらしい。

 救助隊も戦闘が始まったと流石に察したようで多くの靴音が空気を揺らした。

 ブリガント連中は掃除が済んで余裕こいて収獲が無いかヴィレッジ内部を漁っているか、それとも浄水器を破壊せずに飛びついているか……。

 後者ならそのまま私のヴィレッジがブリガンドの一大拠点にされかねない。そんな事させてなるものか。


 瓦礫が比較的少ない道を進むもそれでも割れて隆起したアスファルトを駆け抜けるには足元にも気を配らなければいけない。

 更には廃ビルや前方に並ぶ瓦礫から飛び出す敵にも神経を尖らせなければならない。

 状況的にはこれが初めてと言うわけではないし、多数の敵を相手にする事も今更苦手意識も無い。

 ただひとつ、自分の帰るべき場所が危険にさらされている点だけで私を焦らせる。

 今までブリガンドに狙われなかったと言えば嘘になる。幾度と無く地上の脅威からヴィレッジは守られてきた。

 だが私がヴィレッジを出る時、南部の言葉を思い起こすとこの脅威は今までに無く私を不安にさせる。


 アスファルトに横たわる事切れたブリガンドを横目に駆ける。

 その際にその装備を確認したがただのブリガントではないのは明らかだった。武装が充実しすぎなのだ。

 敵が来たと言うのに無警戒に飛び出してくる雑魚であったがそんな末端の人間にも支給される代物ではない装備だった。

 全身をプロテクターで固め、腰にはポケットが連なったベルト。

 その中身までは分からないが全てがパンパンに膨らんでいるところを見るに予備弾薬や傷薬の類などを潤沢に渡されていたに違いない。

 これが一人で活動しているブリガンドや小規模の集団を束ねる頭領であると言うなら納得ではあるが、そんな装備の充実している斥候が一人や二人なんて数ではなく少なくとも私の銃の弾倉一つは使いきれる分はいた。

 つまりは装備を端まで行き渡せられる豊富な物量と戦力を保有する大型のブリガント集団が相手となる。南部が警戒していた〝五芒星革命軍〟だろう。

 所詮はならず者の集まりの癖に大層な名前で何が革命だと内心馬鹿にしていた。

 それがよもや此処までの脅威になるとは思わなかった。

 南部に対して何をそんなに恐れる必要があるのかと思っていたが後悔しかない。


 新たな弾倉を装填しつつ、私は漸く川崎駅ロータリーに出た。その瞬間周囲を確認し、こちらに銃口を向ける敵に銃を構えた。

 だがその次の相手の動きは私に向けての発砲ではなかった。

 その場で倒れ伏し、砂埃を血液で湿らす男の額には煙草を吸う穴が一つ増えていた。後ろから何人か救助隊の連中が追いついたようだ。

 確認する為に後ろを振り返る訳にはいかない。私に向けられる殺意を宿らせた視線はひとつではない。

 銃弾が空気を裂いて標的を射抜くように、真っ直ぐ空気を伝って弾より早く走る視線に直感的に体を動かし遮蔽物へと飛び込みながらジグザグにだが確実に前進する。

 幸い、応援が来た為に私に集中していた殺意は分散するのを感じていた。


 ガラス張りの近代的で無機質な印象のある地下街への入り口は戦争による大破壊によって骨組みだけになり、その存在を貧相に見せるだけで割れたガラスはなんの防弾性も無く無意味に散らばっている。

 川崎駅から真っ直ぐ降りれる様に階段が作られている為にロータリー側から来た私は回りこんで降りる必要があった。

 ぐるりと回りこむが目の前にいくつもの銃口が目に留まり、急ぐ足を止めて死角に身を潜める。

 まもなくして一秒も経たないうちに私が立っていた場所を数多もの弾丸が通過した。しかし、ただ通り過ぎただけではない。

 数え切れない数の弾丸が凄まじい威力で空気を抉り、私の隠れた手すりの端をガリガリと削り、通り過ぎた弾丸は駅の円柱を文字通りに破壊した。

 一発一発は小口径の弾丸だろうがなぎ払うように放たれた数百発は超えるであろう弾丸はその面による攻撃によって半径一.五メートルはあろうかと言う駅の支柱の一本を容易く砕いたのだ。

 激しい発砲音の連続は耳障りでそれは銃の発砲音と言うよりもドリル等の掘削音に思えた。私の見た物を合わせるならば、私が瞬間的に見た複数の銃口は一挺の銃……。


「隠れてないで出てきたらどうだ! クソアマァ!」


 階段下から怒号が聞こえる。恐らく、一瞬しか見えなかったがあの凄まじい破壊力を持つ銃の持ち主。

 重い金属音と共に均等な感覚で聞こえる足音は真っ直ぐこちらに向かって来る。階段を上がってくる。屈んだ身を起こしながら私は仕方なくロータリーの方へと引き返す。


 引き返したロータリーでは既に救助隊の中の戦闘部隊の大半が追いついてきており、ロータリーの地下に存在する地下街へ往来する為にいくつも作られた小さな出入り口から現れた五芒星革命軍の別働隊と混戦状態になっていた。

 真っ直ぐロータリーに侵入した部隊を囲むように出現した敵部隊を更に囲う様に救助隊の別働隊が廃ビルや路地の影から攻撃を開始しており、サンドイッチの様である。

 敵も味方も前後に敵を抱える様な形であり、比較的平たく広いロータリーでの戦闘は混沌としていた。

 高架の柱や三世紀もの間放置されてきた廃バスを盾に、真っ直ぐ私を追って進入して来た中央の部隊に合流する。


「全く! 向こう見ずにも程があるぞ!」


 隊員の一人が私に気付き声を荒げる。至極当然の怒りに私は反論する事は出来ない。

 恥の上塗りと覚悟した上で私はその声に言葉を被せる。今は愚痴を聞いている場合ではない。

 下手すれば次の瞬間、この怒りの声すら上げられなくなるだろうからだ。


「機関銃持ちが地下から上がって来るぞ! 周りの奴らを迎撃しながら後退しろ!!」


 そう、私が見たものが確かであの威力がただの駅の経年劣化で見えたもので無ければ、あの銃は戦前に米軍が使っていたであろうM一三四と呼ばれるガトリング砲やら機関銃と呼ばれる銃の後継銃だろう。

 古い図鑑でしか見た事が無かったが少なくとも六本のバレルを束ねた銃身と凄まじい破壊力と連射性は間違いない。

 大きな銃身だったが回転する銃身と別に回転しない装甲に廃熱の為の肉抜きが見えた。

 その装甲にベルトをつけ、リュックの様に両肩に通して前に掛ける様にして銃を携帯しているようだった。

 しかしあんなもの、携帯性等考えなくとも最悪であり何より生身で持ち歩くような代物ではない。

 銃本体と別に弾倉も含めれば二〇キログラム以上もする重さがあった筈で、台座などに設置しておく〝砲〟だ。

 私や周りの連中が持つような自動小銃なんかでは比較に出来ない物であんなものをまともに正面から当たれば一瞬で人間など挽き肉にされてしまうだろう。

 だが、そんな物でも地上を焼き尽くした核爆発にすら耐えたヴィレッジの壁を突破する事は出来ないはず。

 その威力から無痛ガン等と言われて痛みを感じる前に死ぬらしい。死んだ人間の撃たれた感想でも聞いたのだろうか。

 どちらにせよ死んでしまえばおしまいだ。

 横浜で聞いた事を思い出す。確か通信の途中で障壁が突破されたと言っていた。そして通信が途中で切れたと。

 無痛ガンの他にも何か持っているのかもしれない。予想以上の相手の武装に私は嫌な汗を額に浮かべていた。


「機関銃だぁ!? んなもん持ち込めるか!」

「うだうだ言ってないで走れ! 死ぬぞ!」


 ロータリー中央を駆け来た道を戻る。その姿を見て漸く私の言葉が嘘ではないと分かったのか私の背後で戦闘員達も走りだす。が、しかしそれでは遅かった。

 地下街の中央階段を見る。

 そこには既に砲身を回し、こちらに銃口を向けた男の姿があった。


「っ!! 伏せろおっ!!」


 言葉と同時に私は廃車の陰に飛び込み、コンクリートの地面に腹這いになった。

 思いっきり飛び込み膝や腕に軽く擦り傷を作った様な熱い痛みがじわりと感じたがほぼそれと同時だった。

 激しい稲妻の様な銃声。それはそれほど長くはなかった。十秒にも満たなかったかもしれない。

 だがその稲妻はあらゆるモノを打ち砕いた。砂埃と血煙が舞い上がり、叫びをかき消す稲妻はその威力を持って地獄の蓋を開けた。

 恐怖と銃声がほんの僅かであろう時の流れを遅くした。

 頭を低くし、頭上を通り過ぎる地獄への快速電車が通過しきるのを待った。そして、ゆっくりと警戒しながら頭を上げる。


 広がる光景は穴と呼ぶには生ぬるい、力ずくで無理やり引き裂かれたかのように砕けた高架の柱と廃車と肉片。

 灰色の地面に広がる鉄臭い真紅の絵の具は絵画の様で、それは正に地獄に広がる烈火の様だった。

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