夜の海
水音のした方を見ると、海へと繋がる壁の裂けめのすぐ近くで万里が水面から顔を出している。
あの辺は見るからに深そうだ。
万里はもがくように手をばたつかせている。つまり――……溺れてる!!
そうだ、昼間に海で遊んだ時、あいつは浮き輪を装備してた! 泳げないんだ!!
ダニエルが叫ぶ。
「一馬と、あれは――……
千颯くんって……あ! 海で万里たちと一緒に貝殻を拾ったっていう、男の子の霊だ!!
その子が一馬と一緒に万里を助けようとしてくれてるのか!?
しかし水中に沈めようとする白い手には
「万里くんっ!!」
バシャバシャと水を掻き分け万里を追おうとするダニエルに、店長の制止が飛ぶ。
「待ちなさいっ! 近づいたら一緒に水中へ引きずり込まれるっ! 霊の数が多すぎるし、水中での祓いなんて分が悪すぎるっ!!」
「でもっ! 万里くんがっ!!」
泣き声のようなダニエルの訴えはまるで悲鳴だ。
俺は大きく一つ息を吸って、背中のリュックを下ろした。
「俺が行きます!」
水中へ引きずり込もうとする何本もの白い手……想像するだけで恐ろしい。
でも、俺なら……!!
俺は真っ直ぐに万里の方へと走り出した。
あっという間に水深が深くなり、水面が腰までくる。
俺は走るのをやめて泳ぎに切り替え、必死に万里へと近づこうとするが、万里はどんどん流されていく。とうとう万里は壁の裂け目から外の海へと出てしまった。
俺も万里を追って外へ出る。
夜の海は真っ黒で、浮き沈みしている万里の頭を見失いそうだ。
俺は夢中で手足を動かし、ようやく万里の傍に泳ぎ着いた。
「万里っ! 万里、しっかりしろ!」
「ゲホッ、ゴホッ……ッ、……」
万里は苦し気に咽せ、もう自分で手足を動かすことも出来ないようだ。
それでも何とか頭だけ水上に出ているのは、一馬と千颯くんが持ち上げているからだろう。
俺は万里の背中側から脇の下辺りを右腕で抱え、左手で力いっぱい水を掻いて砂浜の方へと泳ぎだした。
夜の海は水中の様子が全く分からない。
それに、Tシャツが体に纏わりついてとにかく泳ぎにくい。脱いでから飛び込めば良かった。
それでも必死に泳いでいると、砂浜に人影が見えた。
店長たちだ!
海の祠から出てきて、砂浜で俺たちを待ってくれてるのか。
ライフセーバーの資格なんて持ってないが、万里が疲れ果てて大人しくしてくれてるおかげで、俺はなんとか波打ち際へと近づいていく。
こちらを見ているダニエルが驚いたように目を見開いた。
離れていてもダニエルが青ざめているのが分かる。
「白い手がっ! 万里くんっ! 都築さんっ!」
「いや、大丈夫だよ……ほら、よく見て。あの手たち、都築くんに全く触(さわ)れてない……」
「あ……ホント、ですね」
冷静な店長の解説に、ダニエルは目を瞬かせて急にトーンダウンした。
二人とも何だか微妙な
白い手の方が可哀そうみたいな空気感……ヤメロ。
砂浜へと到着すると同時にダニエルが駆け寄って来た。
「万里くんっ!」
ダニエルと協力して万里を砂浜へ引きずり上げると、店長が万里の顔を覗き込んだ。
「意識はあるけど……ひどい霊障でショック状態だな」
店長は万里の胸に手を置き、何やら呪文を唱える。
「ゴフッ……ゲホッ、ゲホッ……」
万里は苦しそうに咳き込み、海水を吐き出す。
店長は万里の額に貼り付いた前髪をそっとかき上げた。
「よし、もう大丈夫」
万里はまだぼんやりしているが、苦しそうな様子は消えた。
ホッとすると同時に俺は地面に転がった。
一介のインドア派大学生には体力の限界だ。
「よか……った」
ゆっくりと息を整えながら、万里を介抱する店長を見上げた。
さっきは足を痛めてたようだが、そんなことは微塵も感じさせない。
砂で足が汚れるのも、海水でベタベタになるのも嫌だなんて言ってたのに、全く気にしてる様子もない。
砂まみれの店長の足を眺めながら、俺は安堵と達成感と色んなものを感じていた。
☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆
別荘に戻り、風呂に入らせてもらった俺はリビングのソファにだらしなく転がっていた。
五年分は働いた気がする。
手足がダルい……これ、絶対に筋肉痛になるなぁ……。
店長が階段を下りてきたが、俺は起き上がる気にもなれない。
行儀悪くても今日くらいは許してもらえるだろう。
「店長、万里は?」
「部屋で眠ってる。ダニエルが付き添ってるし、大丈夫だよ」
「良かった……」
店長はソファの横に無造作に置いたままだったリュックを手に取った。
中には海の祠から持ち帰った御神体が入っている。
「それ、どうするんですか?」
「とりあえず、祓いの間に安置して……明日からゆっくり対応にかかるよ」
なんと!
店とマンションそれぞれに『祓いの間』があるのは知ってたが、この別荘にもあるのか!
店長はリュックを手にいったん廊下へと消え、しばらくして戻って来ると、何事もなかったかのように微笑んだ。
「都築くんも疲れただろうし、早めに休むんだよ」
「あの……店長、たくさんの『白い手』は祓わなくて良かったんですか?」
俺の質問に店長は軽く肩を竦めた。
「数が多すぎる。あれは白波様の祟りで亡くなった人だけじゃなく、この辺りの水難事故で亡くなった人たち……何十年分が集まったものだ。白波様をしっかり浄化できれば、もうあの辺に溜まることもなくなるよ。たまに波長が合っちゃう人がいるかもしれないけど、そんなのは全国の海水浴場どこでも起こりえることだ」
「そうですか……」
「それに、町内会長からの依頼は『白波様の対応』のみ。ボランティアで祓いはしないよ」
「そうでした……」
この人は本当にブレないなぁ……。
疲れと安堵で、俺は猛烈に眠くなってきた。
そろそろ寝室へ行こうとソファから立ち上がると、店長は玄関の方へと向かう。
「店長? こんな時間からお出かけですか?」
「あぁ……うん」
「???」
なんだろう、店長にしてはやけに歯切れが悪い。
「店長?」
もう一度声をかけるも、店長は振り向かない。
「千颯くんの浄霊をしてくる」
「え? でも、ボランティアで祓いはしないんじゃ……」
「ボランティアじゃない。万里くんを助けてくれたお礼だ」
「…………行ってらっしゃい」
出ていく店長を見送り、俺はもう一度ソファに腰を下ろした。
帰って来た店長を笑顔で迎えて、「お疲れ様でした」と言いたい。
そんな気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます