然るべきタイミング

 数日後――…

 俺は再び夜の営業時間前の休憩タイムに病院に来ていた。

 今日はとりあえず、アレクが一佳いちかちゃんを霊として認識してるかの確認だ。


「ゴホンッ、……んん゛ーっ……」


 アレクの病室の前で咳払いした俺は、気合いっぱいでドアを開いた。


「アレク~、お見舞いに来たぞ~!」


「都築、また来てくれたのか!」


 嬉しそうなアレクの声が迎えてくれる。俺はニッと笑って持って来た紙袋を見せた。


「今日の差し入れは、店長特製カツサンドだぞ!」


「おぉーっ! ソース味が恋しくなってたところだ、尾張……分かってるなぁ」


 嬉しそうに紙袋を受け取ったアレクは、シャインマスカットが入っている容器と、サンドイッチがみっちりつまった二つを取り出した。

 ランチタイムの営業が終わり、俺が店の片づけや掃除をしている間に店長が揚げたカツは、まだサクサクのほかほかだ。ボリューミーなトンカツに合うちょっと甘めのソースと和辛子の絶妙なバランス。『肉を食べている!』という満足感たっぷりのシロモノだ。


 味見した俺が言うんだから、間違いない!


 アレクはさっそくカツサンドを豪快に頬張った。俺は見舞客用の椅子に腰かけ、幸せそうにモグモグしているアレクを眺める。


「そういえば都築、俺たちを殺そうとしてた奴等は尾張が話をつけてくれたんだってな……花だの菓子だの置いてあったが、どういう話になったんだろう……知ってるか?」


「ん? あぁ~~~、俺も良く知らないんだけど……あの組の親分さんが店長の知り合いだったらしい。あの人、顔広いからなぁ」


「ほぉ、そうなのか……」


 アレクは二切れ目のカツサンドを口に運ぶ。しかし、その手が止まった。


「あの坊ちゃん……、どうしたものか……」


「!!!!」


 俺はビクッと肩が震えてしまった。店長から『アレクには内緒だよ』としっかり釘を刺されている。


『まだアレクを失いたくないだろ? 世の中には知らない方がいいこともあるからね』


 店長の言葉が頭の中でリフレインする。


「えぇ~っと、坊ちゃんの方も……店長が、なんかこう……上手いことやってくれたっぽい。だから俺たちはもう関わらない方がいいらしい」


 俺のバカ! 曖昧すぎて怪しいだろ! もっと上手いこと誤魔化せないのか!?


 ダラダラ流れる汗に気づかれないよう、俺は椅子から立ち上がるとアレクに背を向け、窓へと近づいた。外を見るふりしてカーテンを開く。


「上手いこと? ……そう、なのか」


 背後から聞こえるアレクの声は、どこか腑に落ちない……といった様子だ。


「そうだな……俺一人の力でどうこうできる相手じゃないし、かと言って『ムーンサイド』に頼むには…………先立つものが、ない」


 そうだった。アレクは七瀬さんのビスクドール事件の支払いも分割払いの途中なんだ。……まったく、世知辛い世の中だぜ。


 アレク自身の安全のためとはいえ、嘘をついたり誤魔化したり……俺は上りたくもない『大人の階段』をまた一段、上ってしまった。


 たそがれながら窓の外へと目をやると、ちょうど病院の中庭が見渡せる。花壇の横のベンチに座って日向ぼっこしている患者の姿も見える。


「アレクシスさーん、入りますよ~」


 病室のドアが開くと同時に看護婦さんが入って来た。車椅子を押してきている。


「今日はお天気もいいので、お散歩に……っと思ったんですが、お見舞いの方がいらしてるならまた後にしましょうか」


「あ、それなら俺が行きます! ばぁちゃんが入院した時に、よく車椅子でお散歩連れて行ってたんで慣れてますから」


 俺の提案に、看護婦さんは「それなら」と笑顔で頷いた。


「お散歩が終わったら、車椅子はナースステーションに返却お願いしますね」


「はい……!」


 看護婦さんが出ていくと、俺は車椅子をアレクのベッド脇に寄せる。アレクは両足とも骨折しているが、元々筋力があるのとバランス感覚がいいのか、俺が軽く支えるだけでベッドから車椅子に移動した。


「悪いな、都築」


「気にすんなって!」


 冷えないようにと、アレクに上着を羽織らせてふかふかのブランケットを膝にかけてやる。俺は慎重に車椅子を押して病室を出た。


「窓から見えてた中庭に行ってみるか? 散歩コースになってるみたいだぞ」


「そうだな……、中庭に行く前にちょっと寄って欲しいところがあるんだが、いいか?」


「もちろん!」


 売店にでも行きたいのかと思ったが、エレベーターに乗り込むと、アレクは腕を伸ばして四階へのボタンを押した。案内パネルには手術室や集中治療室と書いてある。


「知り合いでも入院してるのか?」


「あぁ……」


 四階に着き、俺は車椅子を押してエレベーターから降りた。

 集中治療室は廊下から中の様子が分かるように壁に大きなガラスがはめ込まれた場所がある。その前でアレクは集中治療室の中を指さした。


「都築、あそこの女性……見えるか?」


 ベッドが並び、重篤な患者が寝かされている。どの患者も意識はなく、点滴や様々な計器類に繋がれていて、ピピッピピッという電子音だけが聞こえる。

 一番手前のベッドに寝かされている女性は、アレク以上に全身包帯で覆われていた。酷い怪我を追っているのが一目で分かる。痛々しい。そして、その女性のお腹は大きく膨らんでいる。


「妊婦、さん……?」


「あぁ、一佳ちゃんのお母さんだ」


「え……?」


 思わず聞き返す俺に視線を向けることなく、アレクはじっとその女性を見つめたまま言葉を続けた。


「一佳ちゃんを幼稚園にお迎えに行った帰り、交通事故に遭ったらしい……一佳ちゃんは亡くなってしまったが、あの母親はずっと意識がないまま、もうすぐ出産だそうだ。一佳ちゃんは赤ちゃんが産まれるのを楽しみにしていたのに……」


 一佳ちゃんが幽霊だって、アレクはちゃんと分かってたんだ。


「もしかして、アレクが一佳ちゃんを浄霊しないのは――…」


「あぁ、せめて……赤ちゃんが産まれるのを見届けさせてやりたくて、な……もう少しだけ、母親と一緒に…………、……」


 泣くな。

 俺は自分に言い聞かせた。辛いのは俺じゃない。

 一佳ちゃんも、アレクも、あのお母さんも……そして産まれてこようとしてる赤ちゃんだって……。

 俺は奥歯を噛み締めた。


「都築……この間はありがとう。一佳ちゃんのこと見えないのに話を合わせてくれて助かった。一佳ちゃんは決して強い霊じゃない、存在を否定すればそれだけで消えてしまうかも知れない」


「そう……なのか」


「もう少しだけ、俺たちに付き合ってくれるか?」


「もちろん」


 俺はアレクの車椅子を押して再びエレベーターに乗り込んだ。一階に着き、中庭へと向かう。アレクに何か声をかけたいのに、気の利いた言葉を思いつかない自分が情けない。


 無言のまま俺たちは中庭に出た。


 空気は冷たいが澄んでいて冬の柔らかい陽が優しい。ふいにアレクが花壇の方に向かって軽く手を上げた。


「一佳ちゃん、ここに居たのか」


 俺は優しく手招くアレクの車椅子を押した。見えないながらも一佳ちゃんとアレクと一緒に中庭をゆっくりと散歩する。会話に入ることは出来ないが、俺は精一杯の笑顔で車椅子を押した。


「冷えてきたな……都築、そろそろ病室に戻ろうか」


「分かった」


 雲が出てきて陽が陰り、少し寒く感じたところでちょうどアレクから声がかかる。俺は車椅子の向きを変えた。

 院内に戻ろうとした、その時――…


「あれ? 都築だ、また会ったね」


 声の方を向くと、『橘』が立っていた。可愛く小首を傾げて微笑んでいる。

 橘じゃない、こいつは……


万里ばんり……」


 車椅子のアレクは、驚きの表情で俺と万里を交互に見比べた。


「ん? んん? 橘じゃないのか?」


「あー、その人も京一のトモダチ? 俺は京一の弟で万里っていうんだ、よろしく」


 万里は話しながら近づいて来て、遠慮もなしにアレクの顔を至近距離で覗き込んだ。アレクは完全に固まってしまっている。

 橘の顔と声で、このくだけた雰囲気だもんなぁ……俺が万里に初めて会った時も、今のアレクみたいなマヌケな表情かおをしてたに違いない。


 しかしさすがにアレクの立ち直りは早かった、少し引きつってはいるが笑顔で万里に答えた。


「そうか、橘の弟か……俺はアレクシス・ナインハートだ。よろしくな」


 万里は観察するようにアレクをまじまじ見つめた。初対面にしてはちょっと不躾な気がする。


「ふぅん……エクソシスト、かな? 京一も顔が広いなぁ……」


 えっ!? 見ただけでそんな事まで分かるのか!?

 俺だけじゃなくアレクも驚いたように目を見開いた。そんな俺たちを面白がるように、万里は目を細めてふふっと笑みを漏らす。


「それに、ずいぶん可愛いを連れてるね。怪我してて祓えないの? それなら俺が――…」


 車椅子の横の空間に手をかざそうとした万里の腕を、アレクがガシッと掴んだ。


「不要だ。しかるべきタイミングで俺がきちんとするから……放っておいてくれないか」

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