大人の仕事

 アレクが車から運んできたのは大きな風呂敷包みだった。宴会場の真ん中で、店長がしゅるりと風呂敷を解いた。全員が覗き込む。

 出てきたそれに俺は目を瞬かせた。


「あれ? これって……」


 この桐の箱、どっかで見た記憶がある。

 俺の隣で橘が不思議そうに呟いた。


「これは、お爺様――…あ、いえ、先代から尾張さんへお贈りした物だったはず」


 俺は「あっ!」と声を上げた。

 そうだ!

 俺が京都で橘の手伝いをして、そのお礼にと橘家の先代から「ムーンサイド」へ贈られたものだ。


 橘がわざわざ京都から持ってきて店長に渡してたやつだ。

 京都銘菓じゃなくてガッカリしたのを覚えている。


 店長はそっと桐箱の蓋を開いた。

 やっぱりそうだ、中には不思議な装飾の施された鏡が入っている。


「店長、この鏡がお座敷様の代わりになるんですか?」


「うん。これは結界の有効期限が切れるのを見越して、五年前からご隠居……先代の橘家当主が力を込めて用意していたものだ」


「えっ!? 五年も前からっ!?」


 俺、橘、十和子さん、そしてアレクまでが驚きの声を上げた。

 店長はゆっくりと頷き、指先でそっと鏡の縁をなぞる。


「橘くんは、『橘家備忘録』でお座敷様のことを知ったんだよね? 三代前の当主がお座敷様を閉じ込めたという記録を見て、どう思った?」


「……お座敷様に申し訳ない、と思いました。でも、お仕事として仕方なかったのかも、とも」


「そう、君はただ『申し訳ない』と思っただけだ。『橘家備忘録』にはお座敷様を閉じ込めた術式も記してあったはず。それをきちんと読み解いていれば、結界が今年有効期限になるのもあらかじめ知ることができたと思わない? ご隠居は有効期限が切れるこのタイミングでお座敷様を解放し、ここの依頼主も納得する方法を考えて、五年前から準備してらしたってこと」


 橘は驚きの表情かおで店長の説明を聞き、鏡へと視線を落とした。

 拳をぎゅっと握った橘の横顔は、明らかにショックを受けている。

 こいつの事だ、また自分の至らなさだの何だのを痛感して落ち込んでしまうだろう。


 俺は思わず店長と橘の会話に割って入ってしまう。


「ちょ、ちょっとストップ! 店長、それならそうと最初から言ってくれれば良かったじゃないですか! 何で黙ってたんですか? 橘がこの鏡を持ってきた時も、普通に京都で世話になった『お礼』として持って来てたし、先代と一緒になって秘密にしてたって事ですか?」


 思わず問い詰めるような俺の言葉に、店長は軽く首を傾げて悪戯っぽく笑った。


「ご隠居のご意向でね。色んな意味で当主としての橘くんの成長を確認したいって……。だから、今回は僕が鏡をお預かりして来たってわけ」


「そんな――…っ、……」


「橘くんも今回の件で、備忘録の情報を活かすも殺すも自分次第だって、よーく分かったんじゃないかな」


「はい。僕は、未熟で……お恥ずかしいです」


 申し訳なさそうに俯いてしまった橘に、店長は軽く目を細めた。


「まぁ今回は、僕にそむいてお座敷様を解放するかどうかが合格ラインだったから……ギリギリ合格、かな」


 意地の悪いテストだな……。

 つまり、お座敷様の代わりになる鏡を持ってきておきながら、店長はかたくなにお座敷様を捕まえようとしてたのか? 橘が悩んで迷って、どうするか見るために?


 いや、この人のことだ……面白がってノリノリでやってたような気がする。


 不満気な俺の表情に気づいているだろうに、店長は素知らぬふりで橘へと言葉を続ける。


「ところで、さっき都築くんが僕を止めなかったら……本気で僕とやってた?」


 どこか楽しんでいるような、それなのに酷く冷たく聞こえる店長の声に、橘は俯いたまま緩く首を振った。


「僕の手足何本か……いえ、僕の命を差し上げてもいいと思いました。その間に、十和子さんがお座敷様を連れて逃げて下されば、それでいいと……」


 は!? 無抵抗でやられる気だったのか!?

 それはそれで違うだろ! 橘め!!


 橘の返答に、店長はため息を吐いた。


「さっき、ギリギリ合格って言ったけど前言撤回! 減点、マイナス、不合格!」


「えぇっ!?」


 真っ青になって困惑の声を上げた橘に、店長は呆れ声で続けた。


「都築くんに叱ってもらいなさい」


 店長に言われるまでもなく俺は橘に襲いかかり、その頬っぺたを掴んでムニ~ッ! とつねってやった。


「いっ、いひゃいれすっ! いひゃいれすっ!!」


「おーまーえーなーっ! この前も言っただろ! そんなあっさり自分の命を使うな! 手足だって二本ずつしかないんだぞ! もっと大事にしろっ!!」


「すっ、すみませんっ!」


 俺の手が離れても、橘の頬っぺたは真っ赤に腫れあがったままだ。

 前に俺が叱りつけたのを、今思い出したとばかりに橘は慌てて謝った。


 アレクと十和子さんは苦笑しつつ俺たちを見ていたが、店長だけが桐箱に蓋をし、それを抱えて宴会場の出口へと歩き出す。


「店長?」


「ん、女将にこれを渡してくる。そうしたら今回の仕事は完了だ。今日はもう遅いから、今夜もう一泊させてもらって明日の朝に帰ろう。せっかくの三連休だし、フルに温泉を楽しまないとね」


 扉の前で立ち止まり、振り返って綺麗に微笑む店長は、完全に『旅行気分』の顔をしていた。





☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 夕食のための広間には、女将も姿を現した。女将はそりゃもうニコニコと見るからに上機嫌だ。


 お座敷様の『代わり』が、お気に召したようで良かった。


 橘の姿を見つけた女将は、笑顔で近づき丁寧に頭を下げる。


「橘様、尾張様から確かに鏡をお受け取り致しました。ご隠居様にどうぞよろしくお伝え下さい」


「はい」


 ちょっと複雑そうな橘……まぁ、仕方ない。


「それにしても、鏡をフロントに飾っておくだけで、お祀りもお供えも必要ないなんて本当にありがたいですわ。あの別館も改装して客室として使えるように致します」


 なるほど……そりゃ上機嫌にもなるわな。


 お座敷様を解放したい、『仕事』だけど、それでも自由になってもらいたい! って、橘はあんなに葛藤して悩んで……あの素直で優しい橘が店長に歯向かうなんて、もの凄く勇気のいる決心だったと思う。


 そうやって俺と橘が青春の荒波でもがいてる時に、店長やご隠居――…大人たちはちゃんと抜かりなく『仕事』を遂行してたってわけだ。

 

 俺や橘もいつか、そんな風に『仕事』ができる大人になれるんだろうか……俺はちょっぴり複雑な気分で、女将と話している橘の横顔を見つめていた。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




 十和子さんと橘は泊らず帰るとのことで、俺たちは旅館の立派な門の外まで見送ることにした。


「それでは、私はこれで……またお仕事でご一緒できるのを、楽しみにしていますね」


 柔らかく微笑んだ十和子さんは、店長、アレク、橘、俺のそれぞれに丁寧にお辞儀をして迎えの車に乗り込んだ。

 十和子さんが乗った車が見えなくなると、橘は改めて店長に頭を下げた。


「今回は大変勉強になりました。ありがとうございました」


「うん、ご隠居によろしく」


「はい」


 電車で帰るという橘は、最寄り駅まで番頭さんが車で送ってくれるらしく、旅館の車に乗り込む。

 俺は車が見えなくなるまで手を振っていた。


 今回、俺は自分の正義感と価値観を正しいと思い込んでいた。依頼主の意向なんて気にせず、何がなんでもお座敷様を解放するべきだと思ったし、そうやって橘をけしかけてしまった。


 でも店長は、俺の知識や価値観の全く外側から『答え』を持って来た。俺も橘と同様、反省しなきゃいけない部分がたくさんある、……ような気がする。


「都築くん、今からアレクと外湯めぐりに行くけど、都築くんも一緒に来る?」


「えっ!?」


 店長の声に振り返ると、二人は着替えなどを入れた外湯めぐりセットをすでに手にしている!

 いつの間にっ!?


「うわっ! 俺も行きますっ! ちょ、ちょっと待って下さい~っ!」


 俺は慌てて着替えを取りに走り出した。

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