ついて来る霊

「お久しぶりです、十和子さん! どうぞ!」


 俺は驚きながらも、十和子さんを奥のソファセットの方へと促した。

 百園さんは『先生』と聞いて慌てて頭を下げる。


「百園と申します! よろしくお願いしますっ!」


 店長は十和子さんと百園さんを笑顔で見比べた。


「こちらは涼宮十和子さん、霊媒師だよ。今、百園さんは『見る』ことしか出来ない。僕の見立てからいっても力技でねじ伏せるタイプじゃなさそうだし……十和子さんみたいな人に色々と教えてもらうのが一番いいと思うんだ」


 確かに、そうかも知れない。


「それに、前から『お手伝いの子が欲しい』って十和子さん言ってたから……十和子さんにとってもちょうど良いんじゃないかな」


「えっ? そうなんですか?」


 初耳情報だ。

 思わず聞き返した俺に、十和子さんはちょっと恥ずかしそうに着物の袖で口元を隠した。


「尾張さんと都築くんを見ていたら、羨ましくて……」


 ……店長と俺のいったいどこを見て羨ましく思ったのか、全く見当もつかない。

 しかし十和子さんは何かに気づいたように動きを止めた。

 一瞬で顔が強張ってしまう。


「あ、あの……都築くんに、何か……もの凄く怖い気配が憑いているような……大丈夫なんですか?」


 十和子さんは心配そうに俺の顔をまじまじと見つめてくる。

 なんと! パトラッシュはハウスしたはずなのに、十和子さんは気配を感じることができるのか!! さすが十和子さん!


「は、ははははっ! 大丈夫です! ちょっと怖いかも知れないけど、悪い奴じゃないんで!」


 まったく、どんだけ怖いオーラ出してるんだか……。

 見ることも感じることも出来ない俺には、パトラッシュの怖さがさっぱり分からない。しかし百園さんや十和子さんの様子から見てかなりのものなんだろう。

 怖がらせてしまって申し訳ない気持ちを抱えつつ、俺は十和子さんの分のお茶を用意しにカウンター奥の厨房へと向かった。




 急須からお客様用の湯呑にとっておきの玉露を注ぎ、トレイにのせて店内へ戻ると、ソファセットで十和子さんと百園さんが話し込んでいた。

 店長は少し離れてカウンターの方から二人を見守っている。

 俺は十和子さんの前に湯呑を置き、話の邪魔にならないよう店長のいるカウンターへと移動した。


「十和子さんも小さな頃から、ずいぶん大変だったようだから……百園さんの良い相談相手になってくれるんじゃないかな」


 十和子さんと百園さんを眺めて呟く店長の瞳は、優しいのにどこか寂し気だ。

 店長には相談にのってくれるような人……いなかったんだろうか。


 俺はふと、最近やたらと店長の過去が気になっていることに気づいた。

 店長はほとんど自分のことを話さない。

 祓いや呪術のことに関して質問すれば、それはもう饒舌に懇切丁寧に説明してくれるが、話題が店長自身のことになると途端に話を切り上げてしまう。

 

 秘密主義かも知れない。

 語りたくもない過去なのかも知れない。

 何にしろ俺は空気を読む大人だ、詮索はしない。


 俺は店長専用の湯呑に玉露を淹れ、カウンターにそっと置いた。




☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;☆*:;;;:**:;;;:*☆




「十和子さんと店長はお互いの仕事を手伝ったりしてるし、俺達もこれから一緒することあると思う。その時はよろしく!」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 正式に十和子さんの「弟子」兼「お手伝い」になった百園さんは、どこか足取りも軽く、俺と並んで夜道を歩いている。

 十和子さんは店長に別件の仕事の相談があるとのこと。臨時休業で仕事のなくなった俺は、帰る百園さんを家まで送ってあげることにしたのだ。


 女の子が一人で帰るのを心配するほど遅い時間ではないが、今の百園さんは「見える」状態だ。

 一人では心細いだろうということで付き添いを申し出た。

 百園さんだけでなく十和子さんまで「よろしくお願いします」と頭を下げたので、俺はちょっと恐縮してしまった。


 大通りから脇道へ入ると一気に人通りはなくなり、二人並んで住宅街を抜けていく。

 ふいに百園さんが足を止めた。

 前方の電柱を見つめ、青ざめている。

 何か見えるのだろう。


「大丈夫?」


「は、はい……」


 百園さんはきゅっと口を結んで意を決したように歩き出した。

 俺は百園さんを庇う形で自分が電柱側を歩き、少し早足の百園さんに歩調を合わせる。


 この子は今までずっとこんな風に怯えながら生活してたのか……。


 しばらく歩いてから、ようやく百園さんは軽く振り向き、小さく息を吐いた。

 無事、通り過ぎることが出来たようだ。

 俺も少し緊張を緩めて歩き続ける。


「さっきみたいなの、……ついて来ちゃう事もあるんです」


「えっ!?」


 マジか……。

 百園さんの言葉に俺は思わず顔が引きつってしまった。


「そういう時はどうするの?」


「前は近くの神社に逃げ込んでました、中までは追って来ないので……。しばらくして居なくなってから家に帰るようにしてたんです。家まで来られたら嫌だし……」


 あぁ、そうか……鳥居の中は神域だから悪いものは入れないんだった。

 百園さんなりの精一杯の対策なんだろうな。


「でも、夏になって……何故か鳥居の中にまで入って来るようになったんです」


 あぁ~! 絵馬事件の頃か!

 あの時は神様がお留守にしてたから、鳥居の内側にも低級霊がうろうろしてるって店長言ってたもんなぁ……。

 あの時の店長の話だと、神様はお留守になさる事も珍しくないって事だった。


「今は大丈夫だと思うけど……、いつでも絶対の『安全地帯』ってわけじゃないんだよね」


 話しながら歩き続け、公園の横を通り過ぎた時――…。


「都築さん、あの……公園におじさんが居るの見えますか?」


「おじさん?」


 百園さんが小声で問いかけてきたので、俺も思わず小さく聞き返しながら公園の方へと目をやる。軽く見渡したが、おじさんどころか人影の一つもない。


「いない……と思うけど。見えるの?」


「はい。……もしかしたら霊じゃないのかもと思うくらいに、はっきり見えるんです。……でも、こちらをじっと見てて不気味で……怖いです」


 うわ……目が合っちゃってるのか。それは怖い。

 俺には見えてないってことは確実に霊だな……。


 再び早足になった百園さんに合わせて俺もスピードを上げる。

 公園を完全に通り過ぎ、角を曲がってから百園さんはチラリと振り向いて、顔を強張らせた。

 ほとんど小走り状態になって夜道を急ぐ。


「百園さん?」


「ついて来てますっ!」


「!! ――…急ごう!」


 俺は左手で百園さんの手を掴み、スピードを上げた。

 右手でポケットからスマホを引っ張り出し、店長への通話ボタンを押す。

 すぐに店長が出てくれた。


「都築くん? どうしたの?」


「今、百園さんと一緒なんですけど……やっかいなのに追われてますっ! どうしたらいいですかっ!?」


 一瞬の沈黙の後、店長の声のトーンが低くなった。


「店に戻って来るのと、神社に行くの、どっちが早い?」


 走りながら周囲を見回し、俺は位置関係を頭に思い浮かべた。


「えぇ~っと、ここからなら……神社かな」


「じゃあ神社へ! 宮司と千代ちゃんには僕から連絡しておく。僕もすぐに向かう!」


「分かりました!」


 俺はスマホをポケットに突っ込み、百園さんの手を引いて神社へ向かって走り出した。


「都築さんっ! あの霊、すごく速いっ! 追いつかれそう!!」


 百園さんが涙声になっている。


「もうちょっとだ! 頑張れっ!!」


 俺と百園さんは息を切らしながらも必死で走った。

 悔しい……。

 俺は見ることも感じることも出来ず、百園さんの辛さを分かってあげられない上に、店長のように祓う力もない。

 今の俺に出来ることは、ただ――…百園さんを連れて逃げるだけ。


 えぇい! こうなったら、何がなんでも逃げ切ってやる!!

 俺は百園さんを引っ張る手に力を込めた。


 この坂を上りきれば神社の鳥居が見える。

 必死で息を吸ってるのに全然肺に入って来ない。足がもつれる。

 でも、百園さんを神社に届けるまでは絶対に止まらない!


 よろめいて転びそうになる百園さんの腕をグイッと強く引っ張ると、百園さんは何とかバランスを取り、持っていた学生カバンを投げ捨てた。


「都築くんっ!」


 鳥居が見えたと思った瞬間、千代ちゃんの声が耳に飛び込んできた。

 宮司さんと千代ちゃんが鳥居の前で手を振っている。


「千代ちゃんっ!!」


 千代ちゃんと宮司さんはギョッと目を見開いた。

 俺達の背後を凝視している。

 そんな怖いモノが追いかけて来てるのかっ!?


「きゃっ!」


 百園さんが悲鳴と共にとうとう転んでしまった。

 強く手を握っていたのが災いして、百園さんは勢い良く地面に転倒してしまう。


「百園さんっ!」


 宮司さんと千代ちゃんがこちらへ走って来るのが視界の端に映る。

 俺は百園さんを助け起こそうとするが、百園さんの瞳は俺達が走ってきた方に釘付けになっている。

 

 ――…来たか!!


「きゃあ~~~っ!! 助けてっ!!」


「都築くんっ!!」


 百園さんの悲鳴と千代ちゃんの叫び声がほぼ同時に響いた。

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