第180話 藤子・F・不二雄氏の逝去について

 1996年(平成8年)9月20日、藤子・F・不二雄氏が肝不全により62歳の若さで亡くなられた。

 逝去前の数年間、藤子・F・不二雄氏は体調不良で毎年連載していた『大長編ドラえもん』を休載する等、病気がちだったことは読者にも伝わっていた。しかし、これほど早くお別れの時が来るとは思っていなかった。


 執筆中だった『大長編ドラえもん のび太のねじ巻き都市シティー冒険記』は、F先生の残したシノプシスを元にマンガと映画が作られた。しかし、あと数回で完結だと伝わっていた『チンプイ』はそのまま中断され、本作最大の謎である、ヒロインのエリはマール星のルルロフ殿下と結婚するのかという問いは結局解決しないままとなった。二次創作でその後の展開を考えてみたいと思っているが、未だに機会はない。


 もちろん藤子ファンにも激震が走った。

 当時既にパソコン通信デビューしていた私は、メールで藤子ファンの友人たちと語り合った。ニフティサーブでは知り合いの藤子ファンが追悼会議室を立て、藤子ファンの利用者が多数書き込みに来た。

 追悼記事が載った新聞や雑誌等もできる限り集めた。昼間のバラエティ番組も録画し、弔問に来られた藤子不二雄A(正しくは○の中にA)氏や、つのだじろう氏のインタビューを確認した。


 1996年9月29日、上野寛永寺で藤子・F・不二雄氏の葬儀が行われた。一般人も参列できるということで、私は喪服を着、『ネオ・ユートピア』のメンバー数人と待ち合わせて参列した。

 たくさんのファンが参列していたが、子ども時代から愛用していたとおぼしきドラえもんの大きなぬいぐるみを持って並んでいた男性が記憶に残っている。

 参列者には藤子・Fキャラの描かれたテレホンカードの入ったお礼状が配られたと記憶している。


 F先生の霊柩車を見送った後も私たちは帰る気になれず、国立科学博物館の近くで呆然とたたずんでいた。


                ○


 当時私はアニメ『おぼっちゃまくん』から小林よしのりのマンガにはまり、連載中の『ゴーマニズム宣言』の載った雑誌『SPA!』も読んでいた。

 『おぼっちゃまくん』はコロコロコミック連載だったため、小林よしのりもパーティーで藤子・F・不二雄と話したエピソード等、尊敬の念が見えるマンガを描いていた。

 寛永寺でご焼香の列に並んでいた際、私の前を男性と女性が突っ切っていった。一瞬のことだったので顔が分からなかったが、後日『ゴーマニズム宣言』で藤子・F・不二雄の葬儀に、(確か)仕事の都合で遅れた小林よしのりとマネージャーが参列者の列を突っ切る様子が描かれていた。私は小林よしのりとニアミスしたのかもしれないと少し嬉しくなった。

 なお、『ゴーマニズム宣言』については内容の変化について行けず、雑誌『SAPIO』移籍を契機に脱落している。


 次回は二次創作とインターネットデビューの話を予定している。

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