第九話〜⑤

 その為にも、グラッブベルグ公爵はまず国王と王太子に面会し、昨夜の揉め事の謝罪とシャイエ家との和解の意思を表明せねばならない。そして、シャイエ家にも遣いを出し、和解の為の場を設ける切っ掛けを作るのだ。


「その役目はベルナール様が適任でしょう」

 カナートは、足元の丸められた手紙を見下ろした。

 グラッブベルグ公爵もまた、視線を床に転がる紙屑に向ける。

「旦那様のお役に立ちたい様ですので」

 公爵はにんまりと笑った。


 大叔母様と喧嘩をしてしまった。

 仲直りがしたいので、様子を窺ってきてほしい。


 そう言えば、ベルナールは喜んでシャイエ家へ向かう。

 可愛い孫も同然のベルナールに促されれば、あの公爵夫人も無碍には出来まい。

 確実に和解出来るかどうかは重要ではない。そういった姿勢を周囲に見せる事が肝心なのだ。


「よし。良いだろう」

 グラッブベルグ公爵は呼び鈴を鳴らして側仕えを呼んだ。

 王宮へ出仕する為の身支度をするのだ。


 運ばれた洗面器の水で顔を洗い、両目にギラついた光を宿した公爵は、カナートに言い付けた。

「ベルナールを呼べ」

 カナートは恭しく御辞儀をした。

 部屋を出て行く際、足元の手紙の回収は忘れなかった。



     *   *



 祖父の護衛が扉を叩き、シャルルの訪問を告げる。

 間も置かず祖父の近侍が部屋内から扉を開き、シャルルと侍従の青年を招き入れた。


 すっかり陽は昇り切っていたが、祖父は目覚めたばかりの様で、寝台の上で朝食を摂っている最中だった。

 シャルルの目に祖父の顔色は良く映ってはおらず、体調は優れないようだ。食事も進んでいない。

 それも仕方ない。昨夜の今朝だ。

 シャルルと同様にあまり眠れていないのだろう。


「お祖父様、お早う御座います」

 シャルルと侍従は、深く頭を下げて挨拶をした。


「ああ。お早う」

「グラッブベルグ公爵がお祖父様と私に面会を求めています。昨夜の事で私達の手を煩わせた謝罪をしたいと」

「フランセットからは?」

 シャルルはちらりと侍従を見た。侍従は横に首を振った。

「……いいえ。まだ何も」

「そうか」


「体調が思わしくないのであれば、私だけでも」

「いや、会おう。そなたにばかり負担はかけられぬ」

 そう言うと、祖父は毛布を剥いだ。


 近侍とその配下の宮廷使用人が動き出し、瞬く間に祖父の身支度が整う。

 身支度の最後に、襟元にグルンステイン家の家長にのみ使用を許される大鷲の徽章を装着した祖父は、国王フィリップ十四世として王太子シャルルの前に立った。


「グラッブベルグ公爵は何処にいる」

「ガウラの間に通すように言い付けました」

「分かった。では、行こう」

「はい」

 王太子シャルルは返事をし、国王へ最上の礼を捧げたのだった。



     *   *



 色とりどりの花々が、けして広くはない室内を優雅に彩る。

 小鳥の囀りのような楽しげな御喋りの声に、エリザベスはホッと胸を撫で下ろした。


 前日から、シュトルーヴェ家は目の回る忙しさだった。

 招待客名簿に洩れは無いか、手配していた土産は足りているのか、誰がどの席に座るのか。

 会話を途切れさせない為に、一人一人の趣味や特技や性格を、短期間で頭に叩き込んだ。高位貴族の令嬢も招いているので、改めて作法の勉強もした。ひたすら追い立てられ、極度の緊張の中で迎えたお茶会は、つつがなく進行し、穏やかで心地好い時間となっていた。

 ただ、一つだけの難題を残して。


 エリザベスは、白いクロスが敷かれた長卓の端に座る、焦茶色の髪の令嬢に視線を向けた。

 ホイト男爵令嬢カロリーヌ・ホイト。

 例のハンカチの令嬢だ。

 今日のお茶会の名目はコール家への支援に対する感謝となっているが、ホイト男爵令嬢から王太子シャルルのハンカチを受け取るという任務も秘められている。


 本来ならば、男爵令嬢は他の令嬢達よりも早く、シュトルーヴェ家を訪れる手筈になっていた。だが、彼女は約束の時間に間に合わず、多くの令嬢達よりやや遅れての到着となってしまった。

 その時、エリザベスとアリシアは接客の最中だった。


「リリー」

 紅茶を淹れるふりをして、アリシアがエリザベスにそっと近付いた。

「顔に出ているわ。焦っちゃ駄目よ。まだ時間はたっぷりあるのだもの。笑顔よ、笑顔」

「は、はい」


 不安を察して励ましてくれるアリシアに、エリザベスが強張った顔で頷いた時だった。

「ただいまエリザベス! 今、帰ったよ‼︎」

 激しく元気な大声を上げて、ジェズが乱入してきた。


 誰かに聞いて走って来たのだろう。

 息を弾ませて室内に飛び込んだジェズは、眼前に広がる光景にビクリと身を震わせて硬直した。

 大勢の令嬢達の視線が、一斉に突然の闖入者に注がれる。あれだけ楽しげだった会話も途切れ、静寂が満ちた。


「ジェズ!」

 静寂を破ったのはエリザベスだ。

 小広間の入り口であたふたするジェズに走り寄ろうとした。しかし、そんなエリザベスよりも早く、アリシアがジェズに接近し動揺している少年の手を掴み、室内へ引き入れると背後に回り込んで扉を閉めた。

 恐ろしく速い動きだ。


 あっ、と焦ったジェズが、咄嗟に振り返り扉の取手に手を伸ばしたが、横合いから別の手が伸びてそれを制した。

 顔を上げると、ウジェニーがにっこり微笑んで立っている。

 慌てて反対を見れば、シャルロットが好い笑顔で立っていて横に首を振った。

 気付けば、周囲はアリシアと彼女の友人達に包囲されていて、すでに逃げ道は無い。


「ちょうど良いところに来たわね、ジェズ。協力してちょうだい」

 にっこり笑顔のアリシアはそう言って、ジェズの背中をぐいぐい押した。両脇はウジェニーとシャルロットが、がっしりと腕を絡めていた。

 部屋の中心に引き立てられたジェズは、顔面を真っ赤に染めて激しく狼狽えていた。


「皆さん、紹介します。彼はジェズ・シェースラー。私の兄フランツの下で軍人として働いておりますの。兄自慢の天才狙撃手ですわ」


 途端に、わあっと令嬢達の表情が華やいだ。

「お名前を何度か伺った事はあるわ。同期の星なんですってね。兄が別部隊だけど、第二連隊に所属しているの。お会いできて嬉しいわ!」


「私、七月の軍選抜会を観ましたわ。とても、素晴らしい射撃でした。上級の士官も含まれた中で緊張したでしょうに。あの時の会場の空気と言ったら。ねえ」

「ええ。あの競技で私の弟なんてすっかり貴方のファンよ。今日、家に帰ったら自慢しようかしら。うふふ」


「トビアスから戻ってらしたのね。任務中にお怪我をしたと聞いたわ。もう平気なのですか?」

「野戦服も行動的で良いけれど、常装服もお似合いね。素敵だわ」


「ジェズ。せっかくだから、貴方のお話を皆さんに聞かせてさしあげて? 今、お茶を淹れるわね」

 一斉に集まった令嬢達にあわあわたじろいでいたジェズは、アリシアの言葉に絶望の表情を見せた。


「ア、アリシア様! そんな!」

「ジェズさん、こっちにいらして。貴方の話をもっと聞かせて欲しいわ」

「あの、あの、僕、ちょっ……!」


 令嬢達に引き摺られ、ジェズは陽当たりの好い応接セットの長椅子に押し付けられた。

 ザッと、前後左右、二十人余りの令嬢がジェズを取り囲んだ。

 両脇ではウジェニーとシャルロットが、ジェズが逃げないように控えている。

 二人はそっと手を添えているだけだ。自分達の手を振り払うような乱暴な事を、ジェズはしないと分かっている。


 はしゃぐ令嬢達のドレスの隙間から見えるジェズの目が、エリザベスに救いを求めていた。

 おろおろするエリザベスに、紅茶を淹れたアリシアが片目を閉じて見せた。

 目配せにハッと気付き、ジェズを取り囲む集団とは少し離れた場所で、その光景を楽しそうに眺める別の令嬢達に視線を向けた。


 彼女達の中にいる、ホイト男爵令嬢の顔色が優れない。

 エリザベスはアリシアの意図を理解し、男爵令嬢に近寄って声を掛けた。

「ホイト男爵令嬢、あまり顔色がよろしくないようですが、別室でお休みしますか?」

「いえ、私は……。いえ、御言葉に甘えさせていただきます」

 ホイト男爵令嬢はそう答えて立ち上がった。同席していた令嬢達に離席を告げて、二人はお茶会を開いている小広間から廊下へと出た。


 廊下で控えていたシュトルーヴェ家の使用人に声を掛けようとした時、男爵令嬢がそれを止めた。

「ごめんなさい。でも、具合が悪いわけではないのです。あの、これを……」

 男爵令嬢は、ローブ下のペチコートのポケットから、綺麗に折り畳まれた布地を取り出した。


 布地は木綿製の令嬢のハンカチだ。ホイト家の家紋の戦乙女が刺繍されていた。

 ハンカチを広げると、中にはもう一枚の、一目で最上質の絹地で仕立てられたと分かるハンカチが隠されていた。

 ハンカチの隅の『F・C・G』の刺繍に、慌てて男爵令嬢を見上げる。


「これを、いつお渡ししようか。その機会が計れなくて、困惑していただけなのです。心配を掛けてしまって、ごめんなさい」


「いいえ。無理をお願いしたのはこちらです。私共の方こそ、環境を整えなくてはいけなかったのに、貴女様を煩わせてしまって……。申し訳ありません」

 エリザベスは深々と頭を下げた。


「悪いのは私です。事前にその機会を設けて下さったのに、こちらへ来るのが遅くなってしまって、返って気を遣っていただいて」

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