オリヴィエ・マートン 三
三、マートンという名
先の戦争で、この村の出生に関わる書類は焼き払われていた。
届けを出す役所も、洗礼を行う教会も、誰かが生まれたという痕跡は建物ごと燃えて消えちまっていた。
それでなくとも、戦争に孤児はつきものだ。何処からか流れてきたのか分からない薄汚えガキが、ぼちぼちいた。もしかしたら、本当にレステンクールから逃げて来た奴も居たかも知れねえ。
少し離れた町の教会ではそんな孤児を集めて面倒を見ていた。俺はそこに紛れ込んで、良い子でいるように言い渡された。
言われた通り、俺は大人しく、良い子で、気を利かせ、誰にでも親切にしてやった。
教会では孤児達に多少の読み書きを教えていて、俺は何も分からないふりをしつつ、努力家で、一を教えて十を知る、そんな優秀なガキを演じて見せた。
俺は大人共がどんな子供を望んでいるのか、よぅく分かっていた。
教会には慈善事業で色んな立場の人間がやって来る。俺の最初の任務は、その中でも特に裕福な奴等に気に入られ、その家に入り込む事だった。
機会はすぐに訪れた。
御上品なおっさんとおばさんが、俺を気に入って養子にと希望した。
その夫婦には子供が出来ず、どうしても老後を安心に過ごす為の子供が欲しかったんだそうだ。
三番目の親が出来て、俺は『オリヴィエ・マートン』になった。
俺は三番目の親の金で学校に通った。
大体が一度は習った事だ。優秀な成績で卒業した。
二番目の親は、度々俺に接触してきて密かに指示を与えた。その指示に従って、俺は士官学校の入学を希望した。
平民の士官学校への入学は貴族の保証が必要になる。
俺は初めて、グルンステインの貴族階級と接点を持った。
そこで俺は、その貴族と対等に議論をしてみせた。
貴族の世界に放り込まれてもやって行ける。お前の保証を裏切らず、名誉を与えてやれる存在だと知らしめる為に。
そいつは基本的に紹介料さえ貰えれば、簡単に推薦状を用意してくれる程度の奴だった。頑張って損した気分になったが、貴族の保証を得る事が出来た俺は、士官学校に入学を果たした。
* *
それなりに上手くやっていたある日、あの事件が起きた。
『王太子夫妻暗殺事件』だ。
旧レステンクール王国領への視察旅行の際、旧王家所有の城に滞在中に、かつてのレステンクール貴族に襲われたって言うアレだ。
その事件を知って、三番目の親は嘆き悲しみ、二番目の親は狂喜乱舞した。
だが、少し悔しそうでもあったな。
「私はそれを私達の手で成し遂げたかった。先を越されてしまった」
だが、まだ国王も他の王族も生きている。報復先はまだまだあるな、と笑っていた。さっさと先に逃げ出した奴が変な事を言いやがる。
暗殺事件の犯人がレステンクール人だって事で、国中で大虐殺が起こった。
その危険を察知した二番目の父親は、またもや素早く国外に脱出した。逃げ遅れた連中が憎悪の矛先を向けられてズタボロになって死んだ。
立場上、俺はそれを眺めるだけにとどめた。
けど、本心はそわそわして、わくわくして、ニヤけが止まらなかった。
街を歩けば、肉塊がある。路上にも民家の壁にも血が飛んで、乾いている。鉄の匂いと暫く放置された肉が徐々に腐敗してゆく臭いが、俺を興奮させた。
市民に混ざって、かつての同国民を滅茶苦茶にするのはどれだけ楽しいだろう? 胸が苦しくて苦しくて堪らなかった。そして、そのもどかしさも、俺を楽しませる娯楽の一つになった。
俺は継続して潜伏を続ける事になった。とにかく、軍の上層部に喰い込むように命令された。
そういえば、士官学校の同期に王宮近衛連隊長の息子がいた。
形だけでも友達になっておこうかと考えてはいたが、行動に移さなくて良かったと思った。何せ事件があったのは、入学してわずか二ヶ月後の事だったんだからな。変に巻き込まれちゃ拙い。
それに、取り巻きの金髪の勘がなかなか鋭そうだ。宰相の孫らしいが、流石に教育の高さが違うんだろうな。ヘラヘラしていても、どこか油断ならない印象を受けた。
王宮近衛連隊長の息子は、父親が責任を問われて処刑され、王宮庭園を追放された。士官学校もこのまま辞めちまうのかと思っていた時、急に復学してきやがった。
なんでも、行き遅れのアデレード王女を嫁にした、成り上がりの公爵が後見人になったんだそうだ。
へえ、と俺は俄然興味が湧いた。
まず、その公爵様の事を調べた。
元々は何処かの貴族の庶子で、頭の出来が良かったので大学まで通わせてもらい弁護士になった。富裕層を中心に活動し、その縁で資産家の未亡人と結婚。そこから徐々に活動を貴族階級に広げていって、荒稼ぎしていたようだ。それから売りに出されていた官爵を買いモーパッサン伯爵になって、法務省の官位と土地を得た。
興味深かったのは、ここからだ。
伯爵になって間も無く、最初の妻が急死した。
そして、資産を親族に分ける事なく独り占めだ。勿論、異議の申し立てはあった。亡妻の連れ子にまで遺産が遺されないのはさすがにおかしい。
自分の母親の死に不審を抱いた連れ子は訴えを起こした。だが、その連れ子は事故に遭って死んだ。
資産を独占する事に文句を言う奴は居なくなった。
モーパッサン伯爵は法務省での官位を確実に上げて行った。
少なくとも、能力は高かったんだろう。それと同時に、宮廷に出入りするようになって、徐々にアデレード王女に接近する機会も増えた。
モーパッサン伯爵は密かにアデレード王女を口説いていたようだ。
だが、護衛や女官達がそれを許さなかった。妻が謎の死を遂げ、連れ子が都合良く事故死している。弁護士時代の仕事も、素行の悪い富裕層や貴族共の尻拭いが殆どで、それを盾に大金を背占めていた奴だ。
そんな怪しい奴を、いくら行き遅れだとしても大事な王女様に近付ける愚か者は、グルンステイン宮廷にはいなかったって事だ。
モーパッサン伯爵を毛嫌う連中の代表的な存在が、同期のカレル・ヴィルヘルム・ローフォークの家族だ。
王女が三歳の時から侍女官を勤めていた母親は言わずもがな、代々近衛の長を一族で受け継ぐ事を許された父親も兄も、徹底してモーパッサン伯爵を近付けなかった。
そんな両者の立場は、暗殺事件を機に逆転した。
片や、智慧を出し国を救った英雄。
片や、その役目を果たせずに王太子夫妻を死なせた、役立たずの裏切り者。
中央を追われた一族が、散々卑下した平民の成り上がりの庇護を受ける立場になったんだ。そりゃ、わくわくするに決まってんだろ!
モーパッサン伯爵はグラッブベルグ公爵を叙爵された。
功績もさることながら、王女の伴侶として相応しい立場が必要だからだ。それに併せて出世もした。
法務大臣だ。
俺は迷わず、グラッブベルグ公爵に接近した。
俺の予想は大当たりだった。
グラッブベルグ公爵は、その地位に
ずっと抑えていた欲求を解放出来る場所を、俺はようやく見付ける事が出来たんだ。
事前に調べた情報を元に、公爵を強請っていた奴の家に忍んでそいつを殺してきた。信頼を得る為にそいつの指輪付きの指を一本失敬してきて、それを持って郊外の別邸に侵入し、俺を使って欲しいと売り込んだ。
最初は胡散臭そうにしていたが、士官学校でのローフォークの行動を監視出来る立場にある事。公爵を裏切らない証明に、俺が士官学校を卒業したら、俺の三番目の両親を事故死させて、遺産の半分を公爵に譲る事を約束して、やっと仲間に入れてもらった。
ここにきて、俺の日常は充実し始めた。
国籍を偽り、軍人としての訓練を受ける合間に人殺しをする。
女を知ったのもこの時期だ。これはこれで別の楽しさがあって興奮した。面倒を起こした家の娘を拐って公爵様が楽しんだ後、それを仲間と分けあってから始末するのは、尚、楽しかった。
首を絞めるとより締まると教えてくれたのは、どこぞの貴族の放蕩息子だ。
コイツもコイツで頭のおかしい奴で、とにかく女とヤル事ばかり考えているような奴だった。
ガキだった頃に領館の女中に手を出して、それから歯止めが効かなくなって抵抗出来ない女児を拐って連れ込んでは突っつき回していたことがバレて、親が弁護士時代の公爵に頼み込んで、事件を有耶無耶にしてもらったらしい。
それがきっかけで親に勘当され、以降、ずっと公爵の下で汚れ仕事をやって来た。コイツの悪癖を分かっているからか、公爵は女を拐ってきたら優先してコイツに下げ渡していた。
普段の寝起きは娼館なんていう、面白い奴だ。
まあ、コイツは何年か後に女に肺病をうつされて死んじまったけどな。
始末の際に、死体をバラす事もあって、その役目は俺が率先して引き受けた。
そして、士官学校の第三学年になった年の暮れ。
俺達に、新しい仲間が加わった。
カレル・ヴィルヘルム・ローフォークだ。
マートンという名 終わり
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