第八話〜④

 今、エリザベスは万が一の事態を想定して軍服に身を包んでいる。

 しかし、実際はローフォークの作戦に参加する事は無く、屈強な高級士官達にただ守られるだけだった。


 二発目の照明弾が上がった。

 少しして三度目の銃声が届く。


 隣に並んだアリシアと一緒に遠くで輝く照明弾を眺めていると、トゥールムーシュが二人に声を掛けた。

「心配かね」

 その問いにエリザベスは横に首を振った。

「いいえ。少佐が出来ると仰ったのですから、作戦は必ず成功します。ただ……」


 四度目の銃声が鳴り、やや後に三発目の照明弾の打ち上げが行われた。

 エリザベスは改めて窓の外を見た。

 閃光に照らされた第十師団の古城は、影絵の様に真っ黒だ。

 その向こう側で、ローフォーク達は命懸けの任務を遂行しようとしている。

 宿の外では、立て続く銃声と照明弾に、何事かと近隣住民が表に出始めていた。早急に片を付けなければ、作戦現場の住民達に怪我人が出てしまうだろう。


「少佐はどんな気持ちで、この作戦の指揮を執っているのだろうと気になりました」

 マートンを捕らえて裁きにかける事は、共に犯罪を犯してきたローフォーク自身の首をも絞める。だが、ローフォークはマートンを逃さない。

 王家と国家への忠誠があるからだ。

 武器の密輸入という国家転覆に繋がりかねない事件を、保身の為に放置する事は出来ない。

 ローフォークの行動は矛盾するのだ。


 五発目の銃声が届いた。


「その事か」

 トゥールムーシュは眉根を寄せ、だが、口髭の中の唇は笑っている様だった。

「その事なら、ローフォーク殿はとうに腹を括っておるよ。王宮庭園での一件があっただろう。その翌日に連隊長殿は大隊長達に、あんたとシェースラーの後見人になった経緯を改めて説明しなされた。その時にローフォーク殿は、自分がその実行犯である事を告白したのだよ」

 エリザベスはアリシアと顔を見合わせた。


「で、でも、私が出仕した時、皆さんの少佐への態度は何も変わりありませんでした。私に対しても同情的な態度ではなく、これまで通りに接して下さいました」

 戸惑うエリザベスに、トゥールムーシュは可可と笑った。

「儂等を舐めてもらっちゃ困るよ、お嬢。儂等はこれでもフランツ・シュトルーヴェという人物に見出されて大隊長をやっとるんだ。何をすべきで何をすべきで無いかくらい弁えとるよ。ただ、まあ……。随分と揉めはしたがね」

 と豊かな口髭を撫でて言った。

「ボナリー殿は物凄く腹を立てておったな。殴り飛ばしそうな勢いでローフォーク殿の胸ぐらを掴んだよ。あの方は曲がった事が許せない質だからな」


 ボナリーは分かりやすい正義感の塊だ。良いものは良い悪いものは悪いと、はっきり区別を付ける。それ故に、黒い噂の絶えないグラッブベルグ公爵が嫌いで、宰相派であるローフォークへの態度は厳しかった。


 だが、自分が責められると分かった上で、ローフォークはビウスの事件を打ち明けた。それが何を意味するのか、ボナリーにも分かっていた。

「全てが明るみになった時、ローフォーク殿は極刑を免れない。ボナリー殿は怒りはしたが、結局、あの方を責める事はせんかった」


「少佐は、グラッブベルグ公爵と訣別すると言うのですか? でも、それだと少佐のお母様が……!」

「心配せずとも、その辺りも手を回しておる」

 トゥールムーシュは今度ははっきりと、ニンマリと笑った。


「ローフォーク夫人は、今日にでもグラッブベルグ公爵夫人と共にシャイエ公爵領に旅行に行く事になっている」

 そう言ったのは、ソレルと長椅子に座って会話を聞いていたデュバリーだった。

「実際に手を回したのはシュトルーヴェ伯爵夫人だ。宮廷人事の相談と称して、シャイエ公爵夫人に簡単に事情を説明する機会を作り、夫人達をグラッブベルグ邸から引き離してくれる様に頼んだのよ。快く引き受けてくれたそうだ」

 シャイエ公爵夫人は姪の結婚に最後まで反対していた。

 また、ローフォークの母親のオーレリーも、シャイエ公爵夫人にとっては王妃付き侍女官長だった時代の信頼のおける部下でもあった。


「ですが、よく公爵様は旅行をお許しになりましたね」

「いや。公爵は知らん」

「え?」

「とにかく急いで、さも今思い付いた、善は急げといった風を装って欲しいと依頼したそうだ。知られたら反対されるのは分かりきっているからな」


「それって誘拐じゃないのかしら」

 呆れるアリシアに、デュバリーは不敵な笑みを浮かべた。

「叔母が可愛がっている姪とその子等、そして教育係を誘って遊びに出掛けただけだ。本人達が楽しんでくれれば良いのだ。滞在は一週間程度。ここの出来事が王都に届くのは、どんなに早くとも丸一日は掛かる。公爵がカレルの離叛を知った時には、夫人はグラッブベルグ邸にはいない。シャイエ家の家紋付きの馬車で旅路の途中だ。厳重な私兵付きのな。気付いて連れ戻そうとしてもシャイエ公爵家とグラッブベルグ家では格が違う。アデレード様を説得出来れば別だがな。以降の事はこの間に何とか考える、との事だ」

 エリザベスとアリシアは唖然とした。


「当面は間諜の役目を果たしてもらうつもりで、母君の事はもう少し計画を練って救出する予定だった。だが、今回の一件でそうもいかなくなったからな。少々強引な手口だが、頼もしい協力者を得られたお陰で何とかなりそうだ」

 そう言って笑い合う士官三人に、娘二人は顔を見合わせるばかりだ。ただ、アリシアはすぐに眉根を寄せて口を尖らせた。


 腰に手を当て、

「全く! お父様もお兄様もまだ分かっていないわね。そういう事はちゃんと話すと約束したばかりなのに!」

 と怒ったのを見て、エリザベスもジェズの昇級を揉み消した一件をアリシアにバラしてしまおうか、と一瞬考えてしまった。


「……静かになったな」

 ソレルの言葉にエリザベス達は窓の外を見た。

 気付けば、いつの間にか照明弾の光も絶え、銃声も聞こえなくなっていた。

「さて、どのくらいでロイソンが怒鳴り込んで来るか。アリシア嬢、コール准尉、私とソレル准将は下へ降りるが、二人はここで待機していなさい。トゥールムーシュ中佐は二人がお転婆をしないように、よくよく目を光らせていてくれ」


「まあ、オーギュスト小父様!」

 そうアリシアが憤慨した時だ。

 頭を叩き割る様な轟音と同時に、エリザベスは見えない力で吹き飛ばされた。


 部屋中の窓硝子が室内に飛び込み、床に倒れたエリザベスとアリシアに降り掛かった。慌てて駆け寄った士官三人が硝子を払い落とし二人を支えて立たせようとした時、再び大きな爆音と揺れが起こった。

 すでに硝子を失った窓枠が外壁に叩き付けられ、真っ逆さまに路上に落下していった。


 トゥールムーシュ達に支えられて窓辺から離れた娘二人は、古城が赫い光に照らされて揺らめいている姿を目撃した。



     *   *



 狭い通りに人が出始めている。

 困惑と不安の表情を見せる貧民街の住人達を横目に、ジェズは瓦が散乱している路地を走り続けていた。


 夜空に棚引く黒煙は、最初の爆発から間も置かず起こった二度目の爆発で勢いを増し、トビアスの街を飲み込もうと広がって行く。

「みんな落ち着いて! 火はまだ広がっていない! 落ち着いて家族や隣人の安全を確認して、風上へ避難する準備を! 慌てないで! 慌てると必要の無い怪我をする! 落ち着いて避難の準備を!」


 走りながら呼び掛けていたジェズは、後方から迫る複数の馬蹄音に気付いた。

 四、五体の騎馬が貧民街の奥から現れて、通りに出ていた住人達をお構い無しに蹴散らして迫ってくる。狭い路地に出ていた彼等は悲鳴を上げて隅に逃げ、ジェズも長屋の壁に張り付いてやり過ごそうとした。


「馬だ! 母ちゃん見て!」

 子供が路地に飛び出そうとしたので素早く服を掴んで引き止め、傍にいた女性に預けた。直後に第十師団の団章を付けた二騎が立て続けに走り抜け、女性は青褪めた顔で子供を叱り付けた。


 トビアス師団の隊員が乱暴な事をする、と内心で苛立ったジェズは、新たに迫った二人乗りの騎馬に目を瞠った。


 後ろに乗った男が、騎手の腰から拳銃を抜いた。

 土色の外套を羽織っていたが、顔は隠す事はなく、朱殷色しゅあんいろの髪と人を馬鹿にした陰惨な笑みが、その男が間違いなく先刻捕縛したばかりのオリヴィエ・マートンであると一瞬で認知させてくれた。

 マートンの銃口は、ジェズではなく隣の母子を狙っている。

「何で……!」


 拳銃のフリントは白煙と共に赤い火を散らした。

 ジェズは咄嗟に母子を突き飛ばす。発砲音とほぼ同時に疾った左脇の激痛に歯を喰い縛った。

 倒れ込んだ三人の横を、怒涛の如く騎馬が駆け抜けて行った。

 馬が去ったあと、近所の人々が慌てて寄って来た。

 母子は無事らしい。

 ジェズの身体の下から引っ張り出された彼女達は、青褪めた顔で地べたに座り込んでいた。ジェズもどうにか上体を起こすが、痛みを堪えきれずに前のめりに蹲って呻いた。


 被弾した箇所を手で押さえていると、野戦服の左脇の下から肩甲骨の辺りが、徐々に生暖かく湿ってゆくのが分かった。

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