第八話〜③

「こいつ等がここに来たのは照明弾が上がったからだろうよ。大方、現場に来るまで何があったのか、分かってもいやしねえ。けど、こいつはまだマシな方だ。師団本部が俺の逃走を知ったのは二十分前ってところだろ。俺がお前等の気配に気付いた辺りだ。その時間は見張りの交代がある。そこで初めて異変に気付いて、本部の敷地内で俺の捜索が始まったんだろうよ。お前等の通報は届いちゃいねえのさ」

 クククッとマートンは圧し殺した笑いを溢した。


「だが、じきに本部の連中もここに着くだろ。ロイソンもとんだ赤っ恥だぜ」

「貴様……!」

「で? どうするんだ? どっちが俺を連行する?」

「我々に決まっているだろう!」

 中隊長は声を荒げた。


 部下達は強引に第二連隊の隊員達を押し退けてマートンを奪った。

 隊員達はローフォークを窺うが、黒髪の上官は無言で事を眺めるだけだ。ただ、一言だけ、マートンを連行して立ち去ろうとする中隊長に向かって言った。

「今度は逃すなよ」

 中隊長と部下達は怒りを滲ませて睨み付けてきたが、ローフォークは全く意に介さず平静を保って彼等が去って行くのを見送った。


「少佐殿。折角の功績を、宜しかったのですか?」

 そう問い掛けたのは、マートンを追い込んだ中尉の一人だ。

 ローフォークに弾を込め直した拳銃を渡しながら、歳の変わらない中尉は遠ざかって行く第十師団の隊員達を複雑な表情で眺めていた。


「こんなもの功績でもなんでもない。余計な揉め事は避けた方が良いに越した事はない。肝心なのは重要な証言者を逃してはならないという事だけだ。今夜、我々はそれを阻止した。それで充分だ。だが……」


 ローフォークは部下に振り返って笑みを浮かべた。

「今夜の連携は見事だった。管轄外の街で急拵えの部隊編成にも関わらず、良く班を動かしてくれた。マートンを捕らえる事が出来たのはお前達の力だ。トゥールムーシュ中佐は良い部下を持った。今夜の事は誇るべきだ」


 中尉は背筋を伸ばして敬礼を施した。

 マートンを奪われた不満が多少は晴れた様で、彼はローフォークの指示に従い撤収の準備を部下に命じた。後の事は第十師団がどうにかするだろう。


 ローフォークは東の空を見た。

 陽が昇るにはまだ早い時間だ。


 別師団の連隊が管轄区域外で作戦行動をとることは、本来ならば御法度だ。

 しかし、ロイソンの油断がマートンの逃走を許し、トビアスに居合わせた第二連隊がそれを阻止した事実は確かだ。

 じきにデュバリーが宿泊する宿にロイソンが怒鳴り込んで来るだろうが、すでに第二連隊の通報はデュバリーとソレル達にも届いている。完璧に支度を整えて自分を出迎えた二人を見て、ロイソンは何を思うだろうか。


 マートンの言う通り、今夜の捕縛劇はロイソンと管轄連隊にとっては大恥をかく大事件となった。

 その上で、これらの失策をどう取り繕うつもりだろう。

「俺の知ったところではないな」


 グラッブベルグ公爵と共に悪事を働いた者は、等しく罰を受けるべきだ。

 誰一人、例外無く。


 ふと、長屋の屋根の上を駆け足で移動してくる兵士の姿が視界に入った。ローフォークは折れた剣を拾い鞘に収めてから、屋根から飛び降りた兵士達に近付いた。

「シェースラー」

 声を掛けて振り返ったジェズは緊張した面持ちだった。

 眉を顰めてこちらを一瞥したが、他の兵士達と同じく敬礼でローフォークを出迎えた。

「先程の……」

 そう言い掛けた時だった。


 鼓膜を破く轟音がトビアスの街に響き渡った。


 地面の揺れに足を取られ、長屋の壁に無数の亀裂が走った。

 顔を上げると街の空に黒煙が噴き上がっているのが確認出来た。その根元に当たる場所が赫く揺らめいているのが分かる。

「火事だ! 師団本部の辺りだぞ!」

 誰かが叫んだ。


 第十師団本部の近くには、第二連隊で貸し切っている宿屋がある。そこには今夜、師団本部での聴取後に治療院を見舞ったエリザベス達が、時刻が遅くなった事もあって大事をとって宿泊していた。


 再度、爆発が地面を揺らした。

 一度目の爆発で歪みが生じた長屋がさらに軋み、屋根瓦が次々と地面に落ちて砕けた。


「シェースラー!」

 びくりとジェズが反応し、青褪めた顔でローフォークを見た。

「この状況をトゥールムーシュ中佐、及び、師団長と軍団長に報告しろ。お前はそのままコールの護衛に加われ。混乱に乗じて宰相派が危害を加える可能性がある!」

 ジェズの両目が大きく見開いた。

「マートンの捕縛の件も忘れるな。行け!」

「は、はい!」


 真っ直ぐにエリザベスの元へ向かうその背を見送った後、ローフォークは残った第二連隊隊員を召集し叫んだ。

「これより我々は近隣住民の避難誘導を行う! 行くぞ!」

「はっ!」

 一斉の敬礼の後、ローフォーク達は駆け出した。


 マートン捕縛の現場を駆け出して間も無く、先程の中隊を見付けた。

 彼等も爆発に驚いたらしく動揺している様が見られた。だが、中隊長は怒声を張りながらも冷静に部下達に指示を出していた。

 ここの連隊とは確実に揉めるだろうと予想していたローフォークは、だが、これなら無駄に争う事無く責務を果たせると判断した。

 トビアスの街を知り尽くしているだろう中隊長に、指示を仰ごうとした時だった。

 数体の騎馬が中隊に飛び込んだ。


 彼等はローフォーク達の眼前で、第十師団の兵士達を馬で蹴散らし始めた。

 爆発で混乱を起こした馬が制御を失ったのだと思ったが、その内の二騎が拘束されているマートンと兵士達の間に割り込んで引き離した。そして、あっという間にマートンを馬上に引き上げ、屋根瓦が散乱している路地を走り去ってしまった。

 その時間は本当に僅かで、マートンが掻っ攫われた現実の理解に遅れが生じた。


 ローフォークは拳銃を抜いたが馬群は路地を曲がり、弾は長屋の壁の漆喰を粉砕しただけだ。騎馬が姿を消した曲がり角に走り込むものの、すでに馬蹄音は路地の闇の中にあった。

 激烈に込み上げた怒りに、ローフォークは拳銃を地面に叩き付けた。



     *   *



 二発の銃声が遠くから響き、エリザベスは窓辺に駆け寄って硝子窓を開いた。

 その瞬間、夜の闇を切り裂く白い閃光が奔り、室内を淡く照らした。眩しさに一瞬目を逸らす。

 光は第十師団本部の古城を漆黒に浮き上がらせ、作戦が想定通りに決行された事を知った。


 一時間程前、ローフォークの指揮下に置かれた兵士が『マートン脱走』の報告に現れた。

 これに第二連隊で借り上げた宿にて待機していたデュバリーとソレル、そしてトゥールムーシュは、改めて宿の警戒態勢の厳重化を指示した。マートン及び第十師団内の宰相派が、エリザベスを狙う可能性を考慮しての事だ。


 マートンの逃走を、ローフォークは予測していた。

 すぐにバレる嘘を上官に吐いてまで行った拷問の数々が、懲罰を受けるに相当する物である事はマートンも理解していない訳がない。

 だと言うのに、ロイソンが行動するまで逃げる事も、拘束の際に抵抗する事も無かったと聞いて、何かを企んでいると疑っていた。


 審問に掛けられる事は分かりきっていた。そして、それを甘んじて受け入れるマートンではない事もローフォークは理解していた。

 マートンは必ず脱走する。

 自身の拘束も計画の内で、事前に脱出の準備をしていたと考えるのが妥当だ。


 警戒しなければならないのは、そのタイミングだ。

 第十師団の警戒態勢、巡回時間、それ等の全てをマートンは把握しているだろう。そして、マートンの殺人の技術をローフォークは知り尽くしていた。

 苦痛に喘ぐ様を見るのが何よりも好きな男だが、人知れず相手の命を絶つ事も容易に遣り遂げる腕がある。


 軍務大臣派への当て付けを狙っているのならば王都への護送中に、という可能性もあったが、師団内部と異なり厳重な包囲網の中で味方も無く、監視を目の前にして填められた枷を外して逃走する事は困難だ。

 やるなら、深夜。

 誰もが寝静まった時間帯。

 それも、王都への護送直前の今夜だと予測したローフォークは、即席の部隊を前にトビアスの地図を広げた。


 ローフォークの案は、マートンを袋小路に追い込み逃げ場を奪うという、単純だが、不慣れな土地では成功率の低い作戦だ。

 だが、ローフォークは出来ると断言した。

 その為に、人目に付く事を厭うだろうマートンが選ぶ逃げ道を炙り出し、警邏が薄く、捕縛する際に多少暴れても民間人に被害が及びそうにない貧民街の少し開けた井戸端が選ばれた。


 逃走阻止の切り札はジェズの狙撃だ。

 その為の足止めを、ローフォークは自ら買って出た。大役を任されたジェズは戸惑っていたが、ローフォークの「お前以外に誰が出来る」という一言で黙った。

 そんなやりとりを、エリザベスは少し離れた場所で眺めていた。

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