第八話〜②

     *   *



 頸部への一撃目はギリギリのところで躱された。

 返す剣で左大腿部を狙ったが、ナイフで受け止められて弾かれた。

 距離を取ろうと退がる相手に一気に詰め寄り、胸部への突きを撃つ。それを半身で躱されて逆に間合いを詰められ、マートンのナイフがローフォークの喉を狙った。

 ローフォークは突き出されたナイフを握った手首を掴み、踏み込んでいた右脚を軸に左脚で脇腹に蹴りを喰らわせようとしたが、体当たりを受けて失敗した。

 体勢を崩したローフォークは、だが、掴んだままの手首は決して離さず、後ろへ倒れる勢いを利用して相手を屋根瓦に叩き付けた。


「クソがっ!」

 悪態を吐いて起き上がったマートンの手を蹴り上げた。

 握っていたナイフが回転しながら宙を舞って、屋根の端に当たって地上に落ちた。

 二発目の照明弾が上がる。

 マートンは腹立たし気に唾を吐いた。


「ケッ。よくもまあ、シュトルーヴェはお前を寄越せたもんだ。お前が俺達と一緒に何をしたのか知ってるだろうによ!」

 マートンの指がローフォークの目を狙って突き込まれた。身を屈めて避けると同時に鳩尾に柄尻を打ち込むが、逆手で防がれ空いた脇に渾身の一蹴りを喰らった。今度はローフォークが瓦を破壊して屋根に倒れた。一回転して素早く立ち上がり、マートンが拳銃を構えているのを瞬時に確認して横に飛び退いた。

 直前まで足を置いていた瓦が甲高い音を立てて砕け散った。


「下手くそが」

「言ってろ! 俺は捕まれば洗いざらい喋るぞ。てめえが何人殺したか、何人誘拐したか、何人の女を公爵様に献上してきたか。自分のしてきた事を忘れた訳じゃねえだろうが。どれ一つとっても、この国じゃあ問答無用で死罪だ」

「元より言い逃れをするつもりは無い。だが、当然、公爵もお前も道連れだ。お前に全てを白状させる為に、我等が連隊長は俺を此処へ寄越した」

「笑えねえ妄言だな!」


 言葉の応酬の合間にもローフォークとマートンの攻防は続く。

 マートンは銃身を握って拳銃を鉈の様に扱い、剣を振り難い間合いで攻めてくる。それに対してローフォークは柄を逆手に持ち替えて攻撃を防いでいた。


 ローフォークの黒髪目掛けて銃床が振り下ろされた。腕ごと斬り撥ねてやろうと瞬時に持ち手を変えて切先を突き上げた時、マートンは用心金トリガーガードに指を引っ掛けて手の中で銃を回転させた。

 拳銃の燧石機構フリントロックがサーベルの剣身を噛み、捻り上げられた瞬間、サーベルは中程から真っ二つに折れた。

 剣身が乾いた音を立てて屋根瓦に落ちた。


 マートンは癖のある笑い声でローフォークを嘲笑した。

「今の国王がグラッブベルグを突き放すと思うか? なんでフィリップ十四世があいつを宰相にしたのか分かってないのか? 戦闘狂の国王には執政能力が無かったからだよ。あの国王は政治に興味がねえんだ。シュトルーヴェがどんなに証拠を集めてあの豚を告発したところで、首を斬り落とされるのは精々俺やお前だろうよ」


「それでいい」

 ローフォークは折れた剣を足元に捨てた。


「俺とお前は死ねば良い。わざわざ生かす価値も無いだろう。だが、グラッブベルグ公爵は早晩、失脚する。シュトルーヴェとスティックニーが手を組んだからな。悪食の飽満公爵は田舎で隠居でもしているのがお似合いだ」

「公爵領はビウスだ。忘れたのか?」

 マートンは嫌味のつもりで言ったのだろう。しかし、それはローフォークに動揺も苛立ちも与えなかった。


 ローフォークは不敵に笑んだ。

「ビウスならば、都合が良いだろう」

「あ?」

 マートンが訝しげに表情を歪めた時だった。

 一発の銃声と共に、マートンは足を滑らせて屋根に膝を着いた。

 遅れてやってきた激痛に右脚の膝上を撃たれたと気付き、苦痛で呻き声を上げた。

 ローフォークがマートンから数歩離れると、代わって第二連隊の隊員達が屋根の上に駆け上がった。


「ビウスには公爵の傍若を許さない者が大勢いる。その弾丸はその内の一人から、お前への復讐の贈り物だ」

 三発目の照明弾が上がり、ローフォークの視線を追ったマートンは、通りを二本挟んだ貧民街の長屋の上に、数人の兵士が立っている事を知った。


 その中に見覚えのある兵士の姿があった。

 数日前に揶揄った山吹色の髪の下級兵士だ。兵士は傍に立つ別の兵士に硝煙を立ち昇らせる小銃を渡した。代わりの小銃を受け取り再び構える間も、一秒もマートンから視線を外さなかった。

「うちの天才狙撃手に舐めた口をきいたそうだな」

 ローフォークは腰から自身の拳銃を抜いて、その銃口をマートンに向けた。

「その腰に差しているもう一丁から手を引け。大人しく逮捕されれば、これ以上痛めつける事はしない」


「ケッ。甘い事この上ないな。俺を生かしておいてお前に何の利益があるってんだ。言っただろうが。俺は喋るぞ。てめえが守りたくて仕方なかったローフォーク家は、今度こそ御家断絶だ」

「勘違いするな」

 濃紺の冷たい瞳がマートンを見下ろす。


「治安維持軍としての責務を全うするまでだ。情報を引き出そうとしている相手を殺して何が得られる。断絶? 上等だ。ローフォーク家が滅んでも国は滅びない。我が一族は代々王家に忠誠を誓い仕えてきた。グルンステイン王家の存続に必要であれば、罪を重ねてきたこの命など幾らでも捨ててやる」

 ローフォークが言い切ると、マートンは両目を見開いて満面に笑みを浮かべた。

 眉間に皺を寄せたローフォークの前で、爆笑したいのを必死で堪えているかの様に、マートンは屋根に伏せて肩を揺すっていた。


「王家が? ククッ。そこまでする価値があると思ってるとか、冗談だろ? お前、自分達が誰の所為で王宮庭園を追われる事になったか分かってるのか? 誰の所為で闇仕事に手を染める事になったと思ってるんだよ。ヒヒッ。あいつらの所為だろうが。あいつらのクソみたいな事情で、お前はクソみたいな扱いを受けて来たんだぜ? 生贄の羊って言葉知ってるか? 知らねえって損だよなあ。あいつらが王族である限り、お前の王家への忠誠が報われる事はねえよ。心の底から同情するぜ、カレル。なあ、お前、王太子一家が本当にレステンクール人に殺されたと思ってるのか?」

 ドンッと音が鳴り、マートンの手から拳銃が吹き飛んだ。


 右手を押さえて呻く朱殷色しゅあんいろの髪をローフォークは見下ろす。銃口から硝煙が上がっていた。

「貴様の巧言に惑わされると思うのか? 以降は王都へ着いてから話を聴こう。第二連隊! オリヴィエ・マートンを捕縛!」

 ローフォークの号令で隊員達が駆け寄り、マートンを後ろ手で拘束した。


 屋根の上から、照明弾の残光の中に第三七連隊の姿が確認できた。第二連隊を威嚇する怒声が貧民街に響き渡る。

 ローフォークは、マートンが屋根から引き摺り下ろされる様子を見守ってから地上に降りた。夜の闇を取り戻そうとしている貧民街の路上で、憤怒を露わにした第三七連隊の中隊長と向かい合う。


「これは一体どういう事だ! 何故、第二連隊が我々の管轄区域で作戦行動を取っている!」

「そちらの師団本部から逃走者が出たと報告を受けたからだ」

「我々は第二連隊へ捕縛の協力要請などしていない!」

「こちらも受けてはいない」

「は⁉︎」

 意味が分からない、といった表情の中隊長に、ローフォークは冷たい視線を向けた。


「言い方が紛らわしかったな。『逃走者あり』の報告は、『偶然』師団本部の近くを『散策』していた第二連隊の者から受けた。当然、第十師団は直ちに捜索を開始するだろうと踏んでいたが、一向に動きを見せなかった。故に、マートンの逃走に気付いていないと判断し、代わって捕縛作戦を決行したまでだ」

「逃走に気付いたのであれば、何故、我々管轄区の中隊に通報しなかった! 偶然だと? それにしては手際が良過ぎる。どうせ監視をしていたのだろう。シュトルーヴェ御得意の功績の横取りか⁉︎」


「はっ! 勘違いをするな。通報はした。ただし、師団本部にだ。マートンは本部で拘束されていた。当然だろう。マートンを目撃したのは一時間前。第十師団への通報もそれと差異は無い。我々の捕縛作戦の開始は三十分前だ。こちらとしては、通報を受けて、尚、行動にこれほどの遅れが生じた、そちらの事情を知りたいくらいだ。我々の通報はロイソン師団長に届かなかったのか? 何処で滞った。トビアス師団はマートン大尉の脱獄を何故許した。看守は何をしていた。警備は? 我々のこの行動は、貴様等がマートンの逃走を許さなければ遂行される事はなかった! 答えろ! 貴様等は、一体何をしていた!」


「師団本部との連携は取れてねえよ」

 ローフォークの叱責に反論出来ずにいた中隊長に代わり、横合いから失笑を溢したのはマートンだった。


 右脚と利き手を負傷していたマートンは、両脇を第二連隊の隊員に支えられて立っている。

 ローフォークの冷ややかな目と中隊長の怒りに満ちた目を向けられていながら、口端を引き上げて笑っていた。

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