第七話〜④
「馬車の手配は僕がします。一時間とアリシア様は仰っていましたが、四十分後くらいが妥当な時間だと思います。支度はもう整っているし、手紙もすぐに書き終えると思うので。手紙の配達はトゥールムーシュ中佐の部隊に定期連絡と一緒に運んでもらう方が安全で確実なので、寄り道せずに向かう事になります。だから、少佐はすぐに中佐への先触れの指示を出して下さい。
向こうに着いたら中佐と合流して、すぐにみんなのいる治療院に向かいます。意識を取り戻しているとの事ですから、向こうも今日エリザベスがトビアスに来るだろうと予測して待ち構えている筈です。当初はフランツ様やトゥールムーシュ中佐が対応してくれていたけど、最近はわざわざ向こうの連隊長様が中佐を別件で呼び出して引き離そうとする動きがあります。
きっと今日もそういうやり方でエリザベスと従業員達との会話の邪魔をするだろうから、その間、グラッブベルグ派の向こうのお仲間と仲良く御喋りでもして、足止めしてて下さい。もしかしたら……」
「…‥向こうが俺を内通者と捉えて、色々と裏事情を暴露してくれるかもな」
ローフォークの返しにジェズは目を丸めた。
「だが、それは適切か?」
ジェズのあからさまな反発と嫌味に、不思議と不快感は覚えなかった。
寧ろ、エリザベス達の行動を良く理解した上での発言と、ローフォークという人間の立ち位置を把握しての指示内容に感心し、フランツがこの少年を何がなんでも士官にしようとしている気持ちが理解出来た気がした。
「俺が向こうにこちらの情報を流すとは考えないのか」
口にしてから、ふと、以前にもフランツに似たような発言をした事があったなと思い出した。
「フランツ様は貴方を信頼しています。そのフランツ様が貴方をここに寄越したんだ。信じるほかないでしょう?」
「お人好しと言われないか?」
おちょくられていると思ったのだろう。
一層、眉間に皺を寄せて耳を赤くした少年は、怒った様な泣きそうな顔でローフォークを睨んだ。
「……お人好しなのはエリザベスだ。僕は貴方がこの屋敷にいる事自体が不愉快で堪らない。マシューが淹れてくれた紅茶を何で平気な顔で飲めるんだ。朝食を作ってくれたのは、ヴァンの奥さんと今回巻き込まれた従業員の妻達だ。みんな、第二連隊がきっと自分達を救ってくれるって信じているから、積極的に屋敷内の事を手伝ってくれてる。自分達が宮廷の揉め事に巻き込まれて、こんな目に遭ってるなんて知らないからだ」
食卓に乗せた両手が拳を作り、怒りで震えていた。
「僕は、今回の事件はあの日の延長にあると思ってる。そうでもなきゃ、コール家ばかりがこんな辛い目に遭うわけない。みんな正直に懸命に生きてきただけなのに……」
ジェズの芥子色の瞳は、食堂内を忙しく動き、第二連隊の隊員達に給仕をして回っているマシュー達を捉えていた。そんなジェズの視線を感じ取ったのか、マシューがこちらに振り返った。
柔らかい笑みを湛えた老執事が、目敏く空になったジェズの食器を発見し、迷いのない足取りで近付いてくる。
ジェズは立ち上がった。
「貴方は職務に忠実な人だ。表にいる限り、貴方はフランツ様を裏切らない。だから僕達は裏側から伸びた手をまた取らない様に、貴方を監視し続ける。こんな事が二度と無いように」
そう言って、足早に食卓を離れた。
立ち去り際、マシューにエリザベス達がすでに自室に戻っていると告げて、食堂から出て行った。
やはりお人好しだな。
ジェズ・シェースラーという人間の誠実性を好ましく思った。
「ローフォーク様、紅茶のお代わりは如何ですか?」
「いや、もう充分だ」
ローフォークは茶器に残った紅茶を飲み干して立ち上がった。
食堂を後にしようとして、エリザベス達が使用した食器を下げるマシューに声を掛けた。
「美味しかった。有り難う」
その一言に、マシューは満面の笑みを浮かべてローフォークを見送った。
* *
「ですから殿下。殿下からも陛下へ進言して頂きたいのです。シュトルーヴェ伯爵夫人は王太子妃付き女官長に相応しくありません」
胸を張って主張する壮年の貴族に、フィリップ・シャルル・グルンステインは『声を掛ける相手を間違えてしまった』と自身の選択を後悔した。
月末の大収穫祭に先んじて、王宮の小宮殿では王太子主催の園遊会が催されていた。
この宴に祖父フィリップ十四世の参加の予定は無い。
それでもシャルルの次期国王としての裁量を見極める一つの指標となるだけに、多くの招待客の中には国内の貴族は当然として、同盟各国の大使は勿論のこと、今年はコルキスタの大使夫妻も招待されていた。
茶会の一つもまともに采配出来ない無能か否か。
彼等からの鋭い視線が自分に向けられている事は充分に承知していた。それでも、場を弁えた彼等がそれを表に出さない強かさを持っているお陰で、概ね、園遊会は順調で穏やかに進行していた。
シャルルがその貴族に声を掛けてしまったのは、主だった賓客との挨拶を終え、侍従や護衛兵達と共に会場となる庭園を見回っていた時の事だ。
庭園の一画で五人程の男女を見付けたシャルルは、その中の一人と目が合ってしまった。
離れた場所から恭しく礼を施されては、手を軽く上げるだけで終わらせるには礼儀に欠けると思い、彼等に近付いて声を掛けた。
その中の一人は国の行政官で男爵家の当主だ。シャルルも幾度か面識があった。その貴族はシャルルが近付いて来ると察すると、さり気なく年若い美しい女性を前に押し出した。
「こんにちわ。皆さん、楽しんでおられますか?」
「これは、王太子殿下。ご機嫌よう。本日は御招きに預かり恐悦至極に御座います。ちょうど今、今日の園遊会の華やかさについて話していたところでした」
「そうですか。今日はトマソー侯爵夫人に企画依頼をしたのです。彼女は立場上、外国との交流が豊富なので、変わった趣向を取り入れて招待客を楽しませてくれるだろうと信じていました。今年はコルキスタ王国の大使夫妻も招待していますから。特に一口菓子にはコルキスタ特産の銘酒や素材を使用した物もあり、大使夫妻はとても喜んで下さいました。皆さんは各テーブルに飾られた花々を御覧になられましたか? あれは全て飴細工でして、食べる事が出来るのです。今日は飴細工にも我々にも程良い天気で良かった」
一本どうですか? と、シャルルは近くのテーブルから自身の手で花を一本取り上げた。
秋の花であるサザンカを模した飴細工を、ナフキンに乗せて差し出す。
それを貴族の男は、自分の娘と思しき令嬢に受け取らせた。
飴のサザンカを取り囲んで眺め、彼等は大袈裟に感嘆の溜息を吐いた。
「驚いた。私はてっきり精巧な硝子細工だとばかり思っておりました」
「これも侯爵夫人の人脈で集められた職人の技です」
「いやぁ、素晴らしい。我が家の夜会でもその職人の菓子を是非提供したい。後で侯爵夫人に御挨拶に伺いませんと。本日の料理を用意した職人達にも賛辞を贈りませんとな」
「それは良いですね。きっと彼等も喜ぶ事でしょう」
「ああ、侯爵夫人の様な外国の文化に明るい方が女官長ならば、コルキスタの花嫁も安心でしたでしょうに」
この瞬間、シャルルは自分の顔から笑みが滑り落ちたと思った。
側仕えの侍従がそれを見逃さず、「殿下、御自重を」とさりげなく助言してくれたお陰で、気を取り直す事が出来た。
「候補の一人に上がっておられたのでしょう。何故、引き受けて下さらなかったのか、残念でなりません。シュトルーヴェ伯爵夫人と知己との事で、遠慮なさったのでしょうか」
貴族はシャルルの変化に気付かなかったのだろう。
伯爵位が女官長ではアン王女がお可哀想だ、と言い出した。
「トマソー侯爵夫人は、初めからシュトルーヴェ伯爵夫人を推挙しておられましたよ。勿論、公爵家や侯爵家から最適な人材が得られなければ、と言う前提でしたが。私もシュトルーヴェ伯爵夫人に不満はありません」
そもそも、シュトルーヴェ伯爵夫人の王太子妃付き女官長就任は、自分と祖父王、王室長官、総侍従長、総女官長、コルキスタ大使と繰り返し相談した上で決定に至ったものだ。
確かに伯爵位は決して高い地位とは言えない。
それ故にコルキスタ大使は最初こそ難色を示したが、シュトルーヴェ家の歴史、国家への貢献度、かつて王家の姫が降嫁し、本来であれば王族公爵の地位でもおかしくない家柄の重厚さと謙虚さ、忠誠心の高さを繰り返し説明した。
さらに、亡き王妃である祖母の女官長を勤めたシャイエ公爵夫人と伯母アデレードからの推薦の影響は大きく、また、幾度か国家行事での交流を通して伯爵夫妻の人柄を知ってもらい納得させたという経緯がある。
王室長官に至っては初めから伯爵夫人一択だった。
ただ、守るべき礼儀を守る為に、各上位貴族に声を掛けていただけに過ぎない。
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