第29話 真実と嘘とマッド・ハッター
美月、香鈴奈、田中の3人がパンケーキの店を出たのは、午後4時を少し回った頃だった。
煙草を吸い終えたかと思うとさっさと部屋を出た田中は、慌てて追いかける2人を置き去りに、至極スマートに3人分の支払いを終えて店を出ていた。美月達が自分達の分は払うと言って現金を出しても、受け取ることはなかった。
「突然のお誘いだったのにこんなオヂサンとパンケーキ食ってくれたんだからさ。手間賃みたいなもん、気にすんなって」
田中はそう言うと背を向けて、学校とは反対方向へ歩き出した。
「ちょっと待っっ……あ! ……」
咄嗟に美月は田中の革ジャンの端を掴んでしまった。
振り向いた田中は、もー勘弁してくれる?といった面倒臭そうな顔をしていた。香鈴奈が顔を寄せ、美月やり過ぎ、と囁いた。2人に
「ごめんなさい、ご馳走さまでした」
ペコリと頭を下げる。香鈴奈も隣で「ご馳走さまでした」と頭を下げていた。
「金井さんの件はどうするんですか?」
この人が、どんなことでもいいから知りたい、と言っていた目は本気だった。
田中の目をまっすぐ見つめて美月は答えを待った。
「……別口をあたるよ」
田中はポケットから紙片を取り出すと、香鈴奈に差し出し、受け取ろうとしない香里奈のポケットに無理矢理押し込んだ。
「それより、ロリコンって君らが思ってる以上にそこら中にいるからさー、もっと気ぃつけた方がいいぜー。次オヂサンにパンケーキ誘われたら食われるの自分と思いましょー」
そう言うと、香鈴奈にウィンクして立ち去った。
「胡散臭い人だったねー」
学校への帰り道、ポケットに押し込まれた紙片を摘まみ出しながら香鈴奈は言った。
「それ、何?」
「パンケーキカフェのスタンプカードだった。美味しかったね! あとあの部屋ヤっバい。また行こ?」
「うん! 私も思った! 予約して行こ! あと2人くらいは誘えるよね」
何事もないお茶会に終わり、2人の足取りは自然に軽やかになっていた。
「社長とか絶対嘘だよなー。なんだっけB……」
「
「他の会社のお手伝いが仕事ってこと? なら、あるのかなー、でもあの格好でー? 顔は結構イケメンなのに」
「香鈴奈気に入られてたよね」
「からかわれてたんですー」
学校の正門を通り、そのまま外庭から寮の方へ向かう。学校内に入ったからか、香鈴奈は口調を少し変え話始めた。
「金井さんのこと調べてるとかビックリだね」
「うん、ただの事故なのか、て言われた時ビックリした。香鈴奈との話思い出しちゃって」
「私も……やっぱり渡邉先生かな。美月への態度とか見てるとちょっとおかしいもん。美月を怖がらせたくなくて言わなかったけど」
「……」
「田中さんに言った方が良かったかな? でも、田中一郎とか、やっぱり胡散臭いしなー、田中さんも……美月ロックオンしてたよね、金井さんの話の時」
「やっぱりそう?」
「うん。美月のこと、なんか伺ってたよ。金井さん、美月のことどんなふうに話したんだろう」
あの時、金井さんのことを知らないと答えた時、田中の目は、あぁそうなのか、と脱力した。
それまでの私への興味というか、熱意というか、そういうものが一切失くなったように見えた。
「多分、ほんとに名前くらいしか出なかったんだと思う……」
そう言えば、渡邉先生も、金井さんの話をって迫ってくるけど、具体的なことは何も言ってこない。
「田中さんは、私が金井さんのことを何か知ってると思って聞きにきたんじゃないかな。でも、知らないと分かって、用が失くなった。渡邉先生も一緒で、私から金井さんのことを聞き出そうとしてる……」
みんなが知りたがる金井さんの何か、それって、きっと金井さんが話したいと言っていた
秀ちゃんに慰めて貰ったあの翌朝、私が朝寝していた間に受信していたメッセージ。
電話もくれてたのに、私が寝ていたから……
そして、それが事故死の真相に関わる何かなんだ。
美月は悔しさと悲しさで唇を強く結んだ。
「そう……する……と、田中さんの話は全部ほんとで、渡邉先生が怪しいってセンが有力ってこと?」
「……分からない。逆だってあり得ない訳じゃなくない?」
「田中さんが金井さんを殺してて、美月がそれを知ってるんじゃないか探りに来たってセンだよね。それだと、渡邉先生はただのコナンくんになるのか」
物騒な言葉が混じったせいか、香鈴奈は殺人事件解決漫画の主人公の名前を出しておどけて見せた。
どちらにしろ、田中さんも渡邉先生も金井さんと親しかったことになる。
「……金井さんの彼氏だっていう年上の男の人、誰なんだろう」
美月はふと気になって呟いていた。聞こえたのか聞こえなかったのか、香鈴奈は深刻な顔つきで黙っている。
「金井さんの彼氏さんが出てこないのって、変じゃない? もしかして、田中さんや渡邉先生が知りたいのって金井さんの彼氏さんのことなんじゃっ」
美月は改めて香鈴奈に意見を求めた。
「それは、ありうると思うけど……田中さんに美月の話はしてるのに彼氏のことを話してないってあるかな? 田中さんだって『彼氏のこと知ってる?』ってはっきり聞いても良いと思うし。もし、美月から彼氏さんのことを聞き出そうとしたのなら、彼氏さんは怪しくはない可能性の方が高いと思う」
香鈴奈の顔は何だか曇って見えた。
香鈴奈自身考えがまとまらないのだろう。推理を組み立てるには情報が少なすぎる。
「田中さんか渡邉先生犯人説が順当かな!」
美月は現状で一番と思われる結論を出した。
気持ちはあっても、子どもに出来ることなど非力だと痛感した。
美月の表情に共感したのか、香鈴奈は微苦笑を見せた。
「見た感じだと、渡邉先生の方が断然怪しいなー。田中さん、金井さんのこと話してた時、雰囲気違ったもん。不覚にもちょっとかっこいいと思っちゃった!」
「そうなの?! 香鈴奈ってチョロい!」
「ひっどーっチョロくないよ! 普通!」
香鈴奈は顔を赤くして唇を尖らせた。
照れながらの仕草が可愛くて、話の後から香鈴奈ロックオンだった田中さんに共感した。
確かに、あの時の田中さんは信じてもいいような気になったし、金井さんを偲んで寂しそうに見えた。正直、美月も、渡邉先生犯人説が正解なんじゃないかと思い始めていた。
「だってめっちゃドラマチックじゃない。道を踏み外してしまった俺を、信じて、救ってくれた少女は突然の事故でもう居ない……彼女だけは特別だったのに伝説……っっ。話してたのが
「不可避でしょ」
「ほらー」
香鈴奈は得意気に笑った。
「って、田中さんは
「そーだけど、一般的に見たら結構なイケメンなの。チャラ悪そうなマイナスポイントも、この設定だとプラスに変換されるし。美月はイケメン耐性がついてるからそー言えるんだよ」
返す言葉はない。
「……訂正、香鈴奈はチョロくない。イケメン耐性が普通に弱いだけです」
「そーゆーこと! もっとイケメン耐性つけさせてーっ」
美月の腕に飛び付いた香鈴奈は、美月と顔を見合わせて笑い合う。
今日の話、秀ちゃんに言わなくちゃ。
ふと、秀平に電話する口実ができたことに嬉しくなった。
何から話そう、パンケーキ食べた話をしたらまた心配させちゃうかな、きっと怒りそうだけど、香鈴奈も一緒だったからと謝り倒そう。そうだ、今度あの部屋を予約したら秀ちゃんも誘ってみよう。美味しくて、可愛くて、素敵な空間だったから、秀ちゃんも連れて行きたい。
そんなことを思っていると、香鈴奈が空を見上げながら言った。
「15年で終わる一生なんて、短すぎて何もできないじゃんって思ったけど、人1人救って、誰かの心を支える特別になったなんて、金井さんは密度の濃い生き方をしてたんだね。すごいなー」
そうだ。平均寿命が70歳を超える現代では15年は短い。短いことは否定できないけれど、長生きしてたら良いってことでもないんだ。同じ1年でもどう生きたかで、きっと全然違うんだ……。
金井さんを思い浮かべて、ふ、と何かわからない違和感を覚えた。あれ、なんだろう、今、なにか……
「私も頑張ろっ! 今日温室寄ってく?」
香鈴奈の問いかけにもやもやした思惟からハッと引き戻された。
「え?! 行きたい!」
「じゃあ行こ!」
走り出す香鈴奈を追いかけるように、美月も走り出した。
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