第28話 アリスのいないお茶会②

 チャラさ振りきったような成人男性とお嬢様女子校の制服を着た女子中学生2人、がパンケーキカフェの一室でテーブルを挟んで相席している。かなりシュールな光景だと美月は思った。

 しかも、お店に1室しかない個室のプレミアムテーブル。

 部屋全体が不思議の国のアリスをイメージして作られていて、調度品もアリス趣向ですごく可愛い。いつも予約で埋まっていて、ほぼ入れない人気の部屋だ。

 香鈴奈は明らかにテンションが上がっていて、部屋に入ってから席に座るまでの間に、部屋の装飾や調度品をかなり見て回っていた。美月は平静を装っていたが、今度予約してゆっくり来よう、と決意していた。

 頼んだパンケーキと紅茶、コーヒーが配膳され、店員の姿が消えると、男はやおらパンケーキを食べ始めた。

 ……食べるんだ……

 香鈴奈も美月も少しびっくりして顔を見合せた。

「んー? ほら、食べて食べて。温かいうちに食べないとフワッと感が落ちるぜー」

 口の中にパンケーキが入ったまま、男はクチャクチャとそう言った。

「話があるんじゃないんですか?」

 美月がそう言うと、

「んー? 食べながらでも話は出来るだろ?」

香鈴奈が少し呆れたように口を挟む。

「口の中に食べ物が入ったまま話をするのは、マナー違反です」

「え? そうなの? へー、ほんとにお嬢さまなんだねー。めんどくさいね」

 男は美月達をしばらく見つめると、

「俺気にしないから食べてよ」

とまたパンケーキを口に運んだ。

 美月と香鈴奈はまた顔を見合せて、

『食べますか』

とパンケーキに手を運んだ。

「美月ちゃん、とお友達は何ちゃん?」

「ハナコです」

 香鈴奈はパンケーキが口にないタイミングで答えた。

「ハナコちゃんね、2人はさ、栞ちゃんのことどう思ってる?」

 しおりちゃん??

 しおりちゃんなんていたっけ? と美月達は目配せする。どちらも心当たりがないらしい。記憶をたどることにして、パンケーキを口に運ぶ。

 適度な弾力のある口当たりと、その後のとろけるような食感、ほんのり残る甘味、ここのパンケーキは人気なだけあって美味しい。

 パンケーキを飲み込んだ後、紅茶を口に含むと、パンケーキが残した甘味と紅茶のマリアージュがふんわりと広がって、ほっこりと満たされた気分になる。こんな時は誰に対しても優しくなれる気がする。

 ついこぼれる微笑みで美月は答えた。

「しおりちゃんって誰ですか?」

「……なんか、この会話のペース、ミスったなぁ」

 男はフォークを持ったまま両手で髪全体をかきあげると、

「栞ちゃん、知らない?金井栞、こないだ死んじゃった子」

 金井さん?!

 美月と香鈴奈は再び顔を見合せた。

「金井さんなら知ってます。学年も部活も違うので、話すことはない先輩です」

 香鈴奈が答える。

「先日事故で亡くなって、皆びっくりしてるので、金井さんのことを知ってる生徒は多いと思いますけど、どう思ってるって……多分それだけ?」

 香鈴奈が美月に同意を求め、美月はそれに頷いた。

 またパンケーキを口に入れて男は喋る。

「2人は栞ちゃんのこと、どんなこと知ってる?」

 少し、不穏な質問だな、と美月は思った。

 香鈴奈の方を見ると、香鈴奈も同じことを思ったらしい。今度は美月が口を開いた。

「これは何の調査なんですか? 貴方は何者なんですか? きちんと話していただかないと、私たちも答えられません」

「まぢかー。パンケーキじゃ釣られないかー」

 男は口を大きく開けて笑った。

 見たくないものを見せられてしまった。今絶対なんか飛んだ!

 コーヒーをズズズとすすると、ガチャンっと乱暴にカップを置いて、男はズボンのポケットから財布を出した。財布の中から紙片を1枚取り出すと、片手を突き出して美月達に取るように催促した。

 香鈴奈が嫌がるので、美月が受け取る。名刺だ。

 『BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)

  (株)IT企画 代表取締役

  田中 一郎』

と書かれている。覗き込んだ香鈴奈が、『ない、ない』という表情かおをした。

 警戒の解けないまま、美月が田中を見ると、田中は美月達などお構い無しといった風にパンケーキを頬張っていた。

 すごっ。もう完食してる。

 最後の一口をコーヒーで流し込んで、ふぅ~っと食事終了の陣貝じんがいを鳴らした。騒々しい人だ。

「俺さ、栞ちゃん、あー君ら的には金井さん? の友達なんだよね。こんななりしてるけどさ、栞ちゃん、差別しないで仲良くしてくれるいい子でさ」

 急に美月達に向き直ると、2人に目線を配りながら話し始めた。今までと違う雰囲気に2人が手を止めると

「あ、俺が喋るから、食べてて、食べてて」

と促した。

「俺さ、小さい頃に両親離婚しててさ、ありがちなんだけどぐれちゃってさ、半グレみたいな大人になったわけ」

 目の前の食器が気になったのか、空になったお皿をひとまとめに積み重ねてテーブルの脇へ置きながら続ける。

「そんな時に栞ちゃんが俺に更正を進めてくれてさ、栞ちゃん、お金持ちだろ? 結構助けて貰ってさ。お前なんか絶対更正無理だーって言われてた俺を信じてくれてさ、やっとまともになれたわけ」

 テーブルの上で手を組んで真摯に話す姿からは、そんなに悪い人ではないのかな、という印象を受けた。

「ていってもさぁ、初対面の君らに信用して貰えるとは思ってないから、変な気は遣わなくていーからね。俺のこと信じてくれた栞ちゃんが……特別だったんだ……」

 伏し目がちにコーヒーに逃がした視線が、なんだか寂しそうだった。

「俺はさ、栞ちゃんがなんで死んだのか、本当のことが知りたくて調べてるんだ」

 え?!

 ドキンッ!と心臓が跳ねた。咄嗟に香鈴奈と顔を見合せる。香鈴奈が何か言いたそうな顔をしたけど、その瞬間鋭い視線を感じた。

 田中さんだ。田中さんがこっちを見ている。

 慌てて田中に視線を戻すと、田中は美月と香鈴奈両方の様子を注視しているようだったが、間もなく美月にロックオンした。

 すごい目力……何もかも見透かされそう……

 目を逸らしたいけど、逸らしたら隠し事があるって思われてしまう。きっとこの人は全てを聞き出すまで諦めないだろう。でもこれ以上関わりを持つのは良くない、と直感が告げている。

 美月は必死で田中の目を見つめ返していた。

「なんかよく分からないけど、事故で落ちて死にました、じゃサヨナラも出来ないだろ? ……ほんとに事故なのかだって……見た人がいた訳でもないし……」

 美月と目を合わせたまま田中は続けた。

 この人は、事故じゃないって疑っている? それとも、事故であるという事実を納得したいだけ?

 ドクンッドクンッドクン

 鼓動が爆発しそうなくらい大きく響いている。

 私が金井さんの死に疑問を持っていることを、田中さんは見抜いてしまうだろうか。

 どうせ目を逸らせず相手に機会を与えるなら、私だって読み取れる限りのことを読み取ってやる。

 田中の心を読むくらいの覚悟で、美月は田中を見つめた。

「何でもいい。どんなつまんねーことでもいいから。栞ちゃんについて知ってること、教えてくれる?」

「……そう言われても、本当に私たち、金井さんのことそこまで知らないんです」

 まっすぐ田中の目を見返したまま答える。

 田中の瞳がゆらっと揺らいだように見えた。

 美月はチラッと香鈴奈の方を見て

ハナコ・・・、何知ってる?」

と促す。

「んーと、3年生ってことでしょ? 部活は……天文部だっけ。あと、……大人っぽい綺麗系って評判だったことと、……特定のグループ作ってないって話、くらい? ですけど……」

 なんかごめんなさい、と申し訳なさそうに香鈴奈は田中を上目遣いで見た。

「栞ちゃん、特定の友達いなかったの?」

「噂の範囲ですから、断言出来ませんけど、広く浅くのタイプなのかと思います。女子校には一定比率いるんです」

 そっかー! とまた大袈裟に両手で髪をかきあげると、コーヒーを飲み干した。

「田中さんはどうして美月に会いに来たんですか?」

 紅茶に角砂糖を入れながら、何気ない風に香鈴奈が続けた。

「金井さんのこと聞きたいなら、もっと近い人が他にたくさん居ると思うし、美月のフルネームとか写真? 見たことあるとか、謎なんですけど」

 紅茶を一口すすって、甘さ加減に満足した表情を見せると、

「新手のナンパかぁ~? なんて思っちゃいました」

といたずらっぽく田中に笑いかけた。

 ブァッハッハッ

と田中の吹き出し笑いが部屋中に響いた。

 やっちゃった、と気まずそうに紅茶をすする香鈴奈と、同調して紅茶をすする美月に、田中は笑いながら答える。

「それはドキドキさせてゴメンね! 栞ちゃんから聞いたことがある学校の子の名前が美月ちゃんだけだったんでさ。仲良いのかなと思ったんだよねー、君たちみたいに。違ったみたいだけど」

 え?と田中を注視する美月と目が合うと田中はニッと笑った。

「どっちかっていうと俺ハナコちゃんみたいな子の方が好みだし。ロリコンじゃないから残念だけどなー。10年後を見越してラインする?」

 現金なもので、もう美月には一瞥いちべつもくれず、パンケーキを食べる香鈴奈をジロジロと見続けている。

 少し照れた香鈴奈が田中に言う。

「食事中の女性をじろじろ見るのもマナー違反ですよ」

「まぢ? 食べてるところってセクシーじゃない? あーだからマナー違反なのか。ハナコちゃんっておうちお金持ち?」

「うちは庶民です。お嬢さま学校にも一定比率います」

「あー、背伸びしちゃってる庶民ね。大変だね」

 香鈴奈は無視して食べ続けている。いや、相手をして食べるのを中断するのに疲れたのか。

 美月も香鈴奈に合わせて食事に専念する。もう、あとは、パンケーキを食べ終えて、紅茶を飲みほして、ここを出るだけだ。

 2人に田中の話し相手をする気がないと悟ったのか、2人への興味がなくなったのか、田中はコーヒーのおかわりを頼んで一人で話し始めた。

「知ってる? この店評判良くてさ、女の子に人気ーなんて繁盛してるけど、経営母体ヤクザさんなんだよなー。知らないでしょ? 結構多いんだぜ、オシャレで女の子受け良い人気のサービス業なのに、実はヤクザって。ブライダル業とか新しい業界には特に多いかな。反社ーとか閉め出しーとか言ってるけどさ、結構みんな知らずにヤクザさんを儲けさせてるんだよね。どう? 知ったらもう来るの止める?」

「失礼します」

 可愛い制服を着た店員さんが、コーヒーのおかわりを持って部屋に入ってきた。

 愛想良く田中さんにコーヒーを出すと、お紅茶のおかわりはいかがですか? ごゆっくりお楽しみください、とパンケーキを満喫中の美月達にも笑顔を配りながら退室していった。

 文句のつけどころのない接客だった。

「大元がヤクザっていってもさぁ、そこで働いてる人がヤクザな訳じゃないしさ、普通の人が普通に一生懸命働いてるだけだから、ぶっちゃけ関係ないよねー。働いてる人だって知らないで働いてる人の方が多いんだろーし。美味しきゃ来るしさ。楽しきゃ使うよね。」

 コーヒーを美味しそうに飲む。あの勢いでは、またすぐ飲み干してしまいそうだ。

「あのお姉さんと俺、並んでたらどっちがヤバい仕事してると思う? ま、どー見たって俺だよねー」

 ハッハハッと可笑しそうに笑う。美月も香鈴奈も少し困惑して笑えていないが、そんなこと気にもしていなそうだった。

「めんどくさい世の中だよねー。俺めんどくさいの疲れるから嫌いなんだよなぁ、ヤクザさんなんだったらさ、その紅茶の中に覚醒剤シャブでも入れて出せばもっと簡単に儲けられるのにねー! て思わね?」

 美月達からは同意は得られなかった。困惑する2人はただの小さな中学生だった。

 そして気がつけば、テーブルの上の食器はすべて空になっていた。田中がおかわりしたコーヒーも含めて。

「お、終了?満喫した?じゃー帰りますか。5分したら出るから支度して。俺、ちょっと煙草吸うわ」

 田中は革ジャンの胸ポケットから煙草を取り出すと、部屋の出窓を勝手に開けて、煙を外へ吐きながら煙草を吸った。店は全席禁煙だったけれど、美月たちは黙って見て見ぬふりをするしかできなかった。

 外から入る風に乗ってほんのり部屋に煙草臭さが漂った。

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