第26話 苦渋のガーディアン

 その日の電話はサニーから秀平に入った。

「もしもし」

「秀平、どーゆーことだよ。美月さんに何にも話してないとか」

 開口一番責め口調とは、この男には珍しい、と秀平は思った。

「どういうって、言う必要あったか?」

「あーるーだーろー。対象が警護ガードされてると知ってるか知らないかで、警護ガードのしやすさが全然違うことくらいお前だって分かるだろ?」

 珍しく早口な友人に、何かあったのかな、と推測ができた。

「それはそうだけど、サニーならそのくらいのハンデ大したことじゃないだろ」

「……お前、美月さんには最後まで知らせないつもりだったのか。美月さんに気取られないように、妖精だか黒子だかみたいに、彼女に害為す者を取り除かせようと思ってたのか?」

「そうだけど」

 電話の向こうで、what a...…と呟くのが聞こえた。

 妖精とはなかなか上手い例えだ。

 海外生活が長いこの男は、時折面白い表現を混ぜてくる。その面白さ以外には意外性はない問いだったから、至極平然と答えたのだけれど、認識に齟齬そごがあったらしい。

 少し間があったので、秀平の方が口を開いた。

「美月にはこれ以上負担をかけたくないんだ。俺だと美月に気づかれないでって訳にはいかないけど、サニーならそれが出来るんだからしない選択肢はないだろ?」

「……」

 黙ってしまった。秀平はソファに腰掛けると、鞄の中からワイヤレスイヤホンを出して耳にかける。それから手帳を取り出して別冊のメモを開きながら、沈黙している相手に発言を促した。

「何かあった?」

「今日渡邉が美月さんに接触してきたよ」

「え?!何を……」

「大丈夫。密室に連れ込まれる前に追い払った。でも、やり方がかなり強引だったから、今後のことを考えて直接圧をかけておいた。しばらくはやたらなことはしないと思うけど、隠れて画策する危険はある。心配だろうけど、あいつはクロだよ」

 サニーが言うのなら間違いはないだろう。いずれそういう心配も増えるのだろうとは思っていたけれど、まさかこんなに早く、手の届かない場所から始まるとは。

 いろんな感情が渦巻いて整理がつかない……。

「……お前の目論見とは違ってしまって申し訳ないけど、美月さんには秀平に頼まれて守りに来たこと、話したよ。不審なことは全部知らせるよう頼んであるから、秀平は逐一中継して欲しい」

「美月の連絡先教えようか?」

 今日の日付をメモに書きながら、スマートフォンに手を伸ばす。

「いや、いい。こういう事は連絡系統が絞られている方がいい。拠点ベースは秀平で、美月さんや私はあくまで部隊ディヴィジョンだ」

「分かった」

手にしたスマートフォンをまた机の上に戻すと、メモの続きを片付ける。

『プップァープァプァーッ』

 車のクラクションのような背景音が聞こえた。

「サニー、お前どこにいるんだ?」

「聞こえた?Vergnügungsviertel.」

「え?」

「花虻を見つけてね」

 ハナアブ?確か、蜂に似た……蝿。

 相変わらずマイワールド突っ走ってるな、と訳が分からないまま秀平は呆れた。まぁいい、こいつは必要な時でなければいくら聞いてもこちらの欲しい答えはくれない。そして、必要な時であれば自分から説明する。

 メモに『ハナアブ』と書き足して、ペンを置くと、秀平はソファに全身を預けてから聞いた。

「他には?俺が出来ることある?」

 高い天井が、自分の無力さを突き付けてくるようだ。

「今のところはない。秀平は今どこにいる?」

「鎌倉の実家。すぐ動けるように、帰れる時は実家に帰ってる」

「……お疲れさま。なぁ、秀平」

 独りでこの家に居ると、静けさから眠気に襲われる。このまま眠ってしまえば自分が無くなって、すべてのかせから解放されるような、羽化登仙うかとうせんいざない。実際は後悔と疲労の朝が来るだけだけれど。

「……聞いてるよ」

 今俺を繋ぎ止めるのは、イヤホンから聞こえるサニーの声だけだ。

「美月さんが心配なのは分かる。全部分かるなんておごるつもりはなくて、それなりには分かるって意味で」

 ……いや、たぶん、お前は全部に近いくらい理解わかってくれてると思うよ。だから、俺の代わりを頼んだんだ……

「だけど、美月さんは強いよ。秀平が思ってるよりずっと強い。……今日会って思った」

 予期せぬ内容ことばに甘美だった眠気がすぐと散った。

「強いか?いつも肝心な時に強がるんだよ、あいつ……」

 『強い』と『強がり』は違う。強がりは弱い自分を隠そうとすることだ。

 本当は弱い美月に、俺が、強がらせている……。

 秀平は覚めた頭で手帳やペンを片付けると、夕食の支度を始めた。

「秀平、『強がり』と『強さ』は違うよ。美月さんのは『強さ』だと思うよ」

 サニーが言うのなら、そうなのかもしれない。思い違いをしているのが俺の方なら、俺の気持ちも少し楽になる。

「そうなのかな……。お前、夕飯食ったの?」

「いや、まだ。食べる店には困らないところに居るから、用が済んだら食べて帰るよ。秀平は?」

「今作ってる」

「何?」

「パスタ」

「良いね、こっちもパスタにするかな。だからさ、ちょっとは肩の力抜けよ」

 さりげなく文脈が合ってねーよ。

 手慣れた手つきのフライパンの上ではパスタが良い香りを絡め始めた。

「ガッチガチの秀平、レアで好きだけどさ、今回は少し休憩しよう?美月さんなら大丈夫だから。秀平が頑張りたくてもお前じゃあ解決しないってこともあるんだ」

「サニーおまぇ……」

「任せろ秀平」

 低く力強い声に、なんだよそれ、と茶化す言葉を遮られた。

 こいつのこーゆー直球なとこ、恥ずかしいけど嫌いじゃないんだよな……俺。

 秀平が返す言葉を考えていると

「待ち人来たり! じゃまた連絡する」

と言い残してサニーからの通話は切れた。

 ツー、ツー、と虚しい機械音が響く。

 ちょうど出来上がったパスタをテーブルに運びながら、スマートフォンのミュージックプレイを操作する。

 ほぼ同じタイミングでメッセージ着信の通知が入った。メッセージを確認すると、秀平は無言でスマートフォンをテーブルに置いた。

 8時か、あいつ、夜の繁華街で誰と会うんだろう。あいつの女の好み、どういうのだっけ……

 イヤホンからの音楽をBGMに、学生時代に思いを巡らせながら、秀平は夕食を始めた。

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