第四十九話
リヴァイアサンの侵攻は続く。一つ、また一つと避難所を破壊してゆく。人々は訳も分からず、何も出来ず終わりを待つのみであった。
「……どうするつもりだ?」
「貴様、それは何だ……?」
ジークへ声を掛けたのは全身鎧のブラッドであった。普段から異様な見た目ではあるが、現在は鎧から黒い靄のような物が漏れ出していた。
「……アレに反応しているのだろう。強き存在をこの
「ふん、見た目だけは立派なようだな。……下手に刺激すれば撃ち合いになる。守りと攻め、両方が必要だがここにはゴミしかいない」
再び魔力がリヴァイアサンへと集まる。巨大な口を大きく広げ圧縮された高密度の塊を生成する。どうやら照準は第四避難所のようである。
「い、嫌だ……死にたくない」
「マリア様、どうかお慈悲を」
一か八か、助かるために運河へと飛び込む者までいる。荒波に飛び込んだところで助かる可能性は限りなく低い。正常な判断能力を失っていた。
「僕のせいだ。僕が余計なことをしたからだ」
膝から崩れ落ちるクラッツ。悔しさからか、自身の無力を嘆いたからか。瞳からは涙が流れていた。
家族のため、大切な人を守るため。命を懸けた戦いも全てが無意味だった。
「すまない、ジーク。関係のない君を巻き込んでしまった。僕が無能だったばかり、君まで死なせてしまう」
国の消滅。そのトリガーを担ってしまったと涙を流しながら謝罪する。
「自惚れるなよ。貴様の無能は今に始まったことではないだろうが」
ゆっくりと歩を進めるジーク。屋上の端、リヴァイアサンに一番近い場所へと立つ。
「顔を上げて前を見ろ。後ろめたさがあるなら視線を逸らすな。それが貴様の責任だ」
「……ジーク?」
ジークから感じる魔力の波濤。運河の荒波にも劣らない力強い魔力の流れが広がる。
「無茶だ。人が神に抗えるわけがないよ……」
「バカか貴様は。前に言ったことをもう忘れたか?
『インヴェルノゲート』
空に現れた魔法陣から冷き光が降り注ぐ。避難所全体を覆うように氷の聖域が形成され、周囲の運河は凍りつく。
「これは……結界?」
「貴様らのゴミと一緒にするな」
リヴァイアサンから力が放たれる。全てを塵へ変える竜のブレスとジークの魔法がぶつかり合う。
衝撃により激しく振動し、極度の温度差から霧が発生し視界を白く染め上げる。
視界が晴れた後、避難所と人々は無事であった。だが、周囲に存在していたワーテルの街並みは衝撃の余波により壊滅していた。
「街が……なんて威力だ」
「あの少年が俺達を守ってくれたのか?」
多くの意味を含んだ動揺が広がる。他国では蛇蝎のごとく嫌われる悪役も彼らにとっては希望の光として映る。
リヴァイアサンからすれば目に付く人間を破壊していたに過ぎない。優先度はなく、等しく塵芥であったがここにきて初めて認識した。ジークという敵の存在を。
「――っく、またあれを撃つ気か……⁉︎」
「駄目だ、防げない」
連続のブレスに対して、重ね掛けの魔法で対抗するジーク。激しい寒暖差により辺りには霧が立ち込める。
避難所である建物周囲の運河は分厚い氷に覆われ、水竜の周りは激流が渦巻く。
リヴァイアサンの一方的な蹂躙から二極の攻防へと戦局は変化していた。
全ての攻撃を防ぐジークではあるが、魔力には限りがある。氷の聖域は段々と規模が小さくなり、魔法の精度も低下してゆく。そもそも、巨大な竜と人間とでは魔力量に差があり過ぎるのだ。
「ジ、ジークッ⁉︎」
口から血が滴る。上級魔法の連続使用により体には大きな負荷がかかっていた。
勝利を確信したのか、これまでにない規模のブレスを放とうとするリヴァイアサン。高密度高圧縮の塊は球状となり、その大きさは第四避難所を遥かに上回る。
死を悟る人々。その表情には諦めの色が浮かんでいる。自分達は偶々生かされていたのだと思い直していた。
「何だよその表情は……どうして諦めてるんだ。……ジークは一人頑張っているというのに」
街の存続がかかっている状況で異国の外国人が先頭に立ち、文字通り命を懸けて戦っている。にもかかわらず、当事者である街の人間は全てを諦め死を受け入れている。それが無性に情けなく憤りをクラッツは感じていた。
「僕達にも何か出来ることが「おい、いつまで待たせる気だ?」」
「……遅くなった」
クラッツの声を遮りジークの声に応えたのはブラッドである。その手には巨大な槍が握られている。鎧から漏れ出した黒い瘴気を含む全ての怨念を槍に込める。
「……今の俺が正気を保てる限界だ。期待はするなよ」
「無駄口を叩く暇があるならさっさとやれ」
特別な動作は必要ない。鎧の持ち主が最適を導き出し、無駄のない流麗な動きで槍を投擲する。
攻撃に合わせてジークは部分的に魔法を解除する。槍の軌道を確保するためである。阿吽の呼吸であった。
攻撃態勢を取っていたリヴァイアサン。反撃など想定外であった。夜叉の怨念が込められた槍に胴体が貫かれ、大きくバランスを崩す。暴発した自らのブレスに巻き込まれる形で荒波に呑まれて消えてしまう。
✳︎✳︎✳︎✳︎
打ち寄せる激しい波が運河の環境を大きく変え、ワーテルの街にも被害をもたらしていた。
「アレを倒したのか?」
「助かった……?」
破壊の象徴であった巨竜を打ち倒した鎧武者。物語の一幕のように感じた者も多く存在していた。
「ブラッドさん……」
膝をつくブラッド。装備により表情は窺い知れないが、肩で息をする様子から相当無理をしていることが分かる。
「……どうなった?」
「あの竜はどうやら沈んだようです。最悪は免れたということでしょうか……」
黒い靄が再びブラッドから溢れ出している。まるで装備者を呑み込もうとしているかのようである。
「? ジーク、もう魔法は大丈夫じゃないかな? 運河はまだ荒れてるけど、高台のここなら届かないと思うし……」
「アレは神ではないが、ただの畜生でもない。――来るぞ」
轟くような咆哮、激しく渦巻く運河。
水竜は再び姿を現す。怒りに満ちたその瞳には殺戮の感情しか含まれていない。
「そ、んな……ほとんど無傷じゃないか」
傷は確かに刻まれている。出血も確認出来る。だがそれは一部分のみで槍によるものか、ブレスの暴発によるものかは不明確であった。
「おい、槍使い……もう一度だ」
「……見た通りだ。効果は無いに等しい」
先程の投擲を警戒しているのか、出の早い魔法や体躯を使った物理攻撃を主体に攻めるリヴァイアサン。
ひたすら防戦一方のジーク。ピシッという音と共に氷の聖域に亀裂が入る。限界は近い。
「バカか貴様は。貴様程度の攻撃でアレが沈むと思うのか?」
「……意味が分からない。お前は何を望んでいる?」
「アレが纏う障壁を貫いた。それだけで十分だ」
魔法を維持しながら己の魔力を練り上げるジーク。異なる魔力の波長を同時に扱う。本職の魔術師でも得難い高等技術に周囲の者達は息を呑む。
「……ぐっ⁉︎ 何をするつもりだ」
練り上げた魔力は奔流となりブラッドを包み込む。硬い鎧をこじ開けるように魔力が浸食する。魔力同士を無理矢理繋げ引き出すような感覚に思わずたじろぐブラッド。
「なるほどな。まだ色々と隠しているようだな」
「……これはまさか」
強引な結び付きから少しずつ影を重ねていく。異なる二つの力はやがて一つとなる。
「俺は
「……こうも変わるものなのか。
一投目よりも小さな槍がブラッドの手に現れる。禍々しい黒は冷気と混ざり合い、虹色の光に彩られる。
力に溺れ殺人鬼となったかつての持ち主。その怨念を抑え込み、新たな力へと変える悪役。
怨念に身を委ねる必要はない。数年振りに体感した自由と意思、そして命を預けられる戦友が背中を押してくれる。
『滅氷のグングニル』
虹色の軌跡を描きながら荒ぶる水竜へと迫る聖なる槍。竜が放つ魔法の全てを貫き、凍てつかせる絶対的な力。
寸分の狂いもなく、吸い込まれるようにリヴァイアサンの眉間へ槍が突き刺さる。
瞬く間に零下が体躯全体へと広がり虹色の光を帯びながら世界を染め上げる。
人間の都合で呼び起こされた神と謳われし竜は、人間の力によって再び冥界へと送り返された。
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