第十八話
町中に降り注いだ銀の光が次第に消えてゆく。魔法が治まり辺りを確認すると各所から煙のような黒い靄が立ち込めていた。
「火事……? しかし町中から同時にこのタイミングで?」
「バカが。よく見ろ」
アピオン全体で黒い靄を確認できるが隔離施設がある方角や対策本部は特に顕著だった。
ジークがあごで指す先には偶々巡回中だったのであろう兵士が倒れている。その兵士からも他と同じように靄が吹き出て空に昇る。
「まさか、これが呪い?」
「精が出るな。よくこれだけの呪いをばら撒いたものだ」
ジークが言うようにこれが呪いであるなら脅威的な規模となる。人からだけではなく、建物や噴水、地面からも靄が出てきている。直接人を狙うだけではなく食物や水から間接的に呪いを浴びせることも可能。
そもそもが地方都市だけで解決出来るような問題ではなかったのだ。
「――⁉︎ 空中に集まっている?」
「出てきたようだな」
溢れ出た呪いが一点を起点に重なり合う。分散していた呪いが再び一つになろうと踠いているように映る。
「呪いの気配をはっきりと感じます。ここで絶たなければまた多くの被害が!」
先程の感覚を思い出しながら魔力を紡ぐシエルだったが思うように体が動かない。顔色は悪く頭痛がする。典型的な魔力欠乏の症状だった。
「数分前の話をもう忘れたのか? ……貴様の役目はあれをあぶり出すことだ。端から戦力として期待はしていない」
アピオンの各所に潜んでいた呪いが集結し巨大な影を形成する。その姿はどこか人のようにも見える。
「正面から叩けないから呪いは面倒なんだ。それを馬鹿正直に実態を現すとは……笑えるな」
呪いから呻き声のような音が聞こえる。怨嗟を含むその響きからは積年の恨みを感じる。
「笑えませんよ! あれからは強い負の感情を感じます! 放置すればまたアピオンが」
「喚くな……直に終わる」
呪いに気を取られジークの動きを見落としていたシエル。よくよく確認してみればジークは既に魔法の構築を完了していた。
「いつの間に……しかし神聖術でなければ呪いは」
「驕るなよ。効果的なだけで他の魔法が効かない謂れは無い。……やっと集まり終わったようだな」
魔法を直ぐに放たなかったのは全ての呪いが集結するのを待っていたからのようだ。
魔法を準備しながら冷静に状況を分析する。自分では到底成し得ないその離れ業に畏敬の念を抱く。
「……もう消えろ。アイスプロジオン」
冷気を帯びた爆発が呪いの中心へ炸裂した。爆風に呑み込まれた呪いの残片は再び集まることなく消えてゆく。
――決着は一瞬だった。
✳︎✳︎✳︎✳︎
「お嬢様ご無事でしたか‼︎」
「……ゴルトン、人前ではシエル様」
意識を失っていた二人だったが、呪いの消滅後は元気な姿を取り戻していた。
「二人とも……本当に良かったです」
思わず涙ぐむシエル。二人とは幼き頃からの関係だった。
アピオンへの赴任は死刑宣告に等しかった。誰もが同行を拒否する中で二人は自ら志願した。命を預けてもいい。確かな信頼関係で結ばれていた。
「……私は一体? 何が起きたのでしょうか?」
ゴルトン達だけではない。ユンを始めとした対策本部の人間達も意識を取り戻していた。ほとんどが状況を正確に理解出来ていないようだが命に別状はない様子だ。
「お役目を果たされたのですね。これで……シエル様も」
「……状況からして隔離施設の人々も意識を取り戻しているでしょう」
長期間昏睡していた人間が今まで通りの生活を送れるようになるのはしばらく先になる。だが未知の疫病に不安を抱えることは無くなる。アピオンが元の活気を取り戻すのはそう遠くないだろう。
「……何が起きたのか、正確に説明する必要がありますね」
「その件については僕にも確認させて下さい」
声を掛けてきたのはルークだった。
三人が最後に見た姿はジークによって吹き飛ばされたところだったが。
「お前も無事? だったようだな」
「……そうですね。倒れていた理由は皆さんと違いますが」
呪いによって倒れる前にジークの手で結果的に意識を失っていた。
「……ラギアスが本性を現した?」
「そう捉えられても仕方が無いですが。……あれは彼なりに僕を助けようとしていたんだと思います」
呪いを受け意識を失いかけていた時にジークからの体術技。意識が朦朧としており気付くことはなかったが今思えば魔力の乱れを感じていた。強力な魔力をぶつけて呪いを相殺することが目的だったのだろう。
「現に僕からは呪いの痕跡を感じません。保険として僕を残していたんだと思います。万が一の時のために」
助けてくれたことには感謝しているが体はまだ多少痛む。全てが解決したら嫌味を贈ろうと心に刻むルークであった。
「力だけではない。頭も切れるようだな」
「……やはり奴は危険。……シエル様、そのラギアスは今何処に?」
「彼が言うには、落とし前をつけさせると。……私達は今出来ることに専念しましょう。先ずは隔離施設からです。歩きながら経緯を説明します」
しっかりとした足取りで前を進むシエル。その瞳に諦めの色はもう浮かんでいない。確かな芯の強さを持った公爵家の人間として歩み出していた。
(彼女はまるで別人のようだ。……ジーク、君は公爵令嬢に何を吹き込んだ?)
✳︎✳︎✳︎✳︎
(不味いことになった!)
アピオンを離れてゆく馬が一頭。その馬に騎乗したフードを被った怪しげな風貌の男。
通常のアピオンであれば目撃者を恐れて隠密に行動するが、今はその必要は無い。心中で悪態をつきながら急いで進む。
(作戦は完璧だった! まさかあの呪いが破られるとは)
何年も前に存在した亡国の負の遺産。太古の魔術師の怨念から生まれた宝珠を利用した広域呪術。それが跡形も無く消し飛んだ。まさに想定外だった。
(公爵家の人間なら耐えても不思議ではない。だが呪いを祓うどころか消滅させるなんて……欠陥品という情報は誤りか⁉︎)
悲願を達成するための第一フェーズとしてアピオンを選んだ。途中、国からの横槍が入ることは想定していたがまさか撤退に追い込まれるとは。
(
順当に考えれば公爵家の人間になるが。見放されるようなガキが本当になり得るのか。
(他にも呪いを耐えた痕跡があったのも気になるが……今はいい。この情報を早く伝えなければ)
作戦は始まったばかり。致命的な損失は無く十分修正可能だ。それどころか、こうも早く目標を確認出来たことを収穫と考えるべき。
フードの男はそう結論付け焦燥感を抑えようとしていた。
(……? 何だ? 馬のスピードが落ちている?)
スタミナ切れはあり得ない。作戦のために揃えた優秀な馬のはず。にも関わらず速度は落ちる一方。
――何かがおかしい。
馬を注意深く観察すれば呼吸が荒いことが分かる。それだけではない。小刻みに震え何かに怯えているようにも映る。
最終的に馬は走るのをやめ完全に止まってしまう。
(どうなっているッ⁉︎ まさか本当にバテたのか⁉︎ ……待て、妙に寒さを感じる。この季節でこの気温は妙だ)
自分や馬の息が白く染まる。急な気温の変化に戸惑うが、寒さによる震えなら納得がいく。――寒いからといって走るのを止めるのはどうかと思うが。
稀にだが異常気象というのは存在する。
焦ったところで仕方がない。ゆっくりでいいからこの場を離れようと馬に合図を送るが。
「そんなに慌てて何処へ行く? まだ終わってはいないだろ?」
背後へは
✳︎✳︎✳︎✳︎
「……何か用か?」
声を掛けてきたのは黒髪の少年だった。アピオンから遠く離れていることから追手ではなく偶々近くにいただけだと判断する。
(こいつ……貴族か? 何故ボンボンがこんな所に。いや、待て。馬車や馬が無いこのガキはどうやってここまで来た?)
「随分と余裕が無いようだな。切札を失ったのは応えたか?」
「⁉︎ 何者だ⁉︎」
素早く馬から降り身構える。短剣を抜き戦闘態勢に入る。
(なにかと妙だ。そもそも気配を感じなかった)
「危機感が欠如しているな。その馬を見習ったらどうだ?」
ククッと笑みを浮かべ挑発をしてくるが相手にしない。短剣を構え仕掛けようとするが。
「⁉︎ バカな、何をしたッ?」
握られていた短剣の刃が消失していた。確認すれば根元から断ち切られているように見える。
少年に視点を移せば剣を納刀していた。
「探し物はこれか?」
足元へ刃が放られる。先程まで健在だった短剣の刃だ。
「そうか……お前だな。呪いを消滅させたのは」
「さあな。貴様が知る必要はない」
(信じ難いがこいつが関わっているのは間違いない。見切りを付け直ぐにアピオンを出たにも関わらず追いついてきた。危険だ……ここで消さなければ障害となる!)
自らに施した封印を解く。ローブ男の体表に術式が浮かぶ。赤みを帯びたその術式が熱を持つ。
「……悪く思うなよ。我らの悲願のためここで死んでもらう」
「自ら命を断つ潔さは誉めてやる。だが魔法に頼るその軟弱さは見るに堪えん」
負け惜しみを、と叫びながら魔法の発動時を待つが。
「何故だ、何故爆発しないッ⁉︎」
封印は確実に解いていた。術式にも誤りはない。だがいつになっても発動する気配はない。
「ぐっ⁉︎ こ、れは……何だ。何を、した?」
体が異様に冷える。内側から凍てつくような寒さを感じる。
(体が動かん⁉︎ どうなっている?)
「貴様……魔法の弱点を知っているか? まぁもう喋ることすら叶わないだろうから教えてやる」
体中を氷が覆う。身動きが取れなければ呼吸すら難しい。思考が次第に鈍る。
「魔法封じにも色々あるが……効果的なのは魔力の流れを止めることだ。……理屈は知らんがな」
ローブ男が最後に見た光景。
冷き魔力を纏ったその少年は悪魔のようだった。
「魔力が凍てついた感想はどうだ? 次からはまともな手段を用意しておくんだな。……貴様に次は無いがな」
『グレイスサイレント』
声はもう届かない。
無言で立ち竦む氷漬けの像がそこには佇んでいた。
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