第8話 新たな世界
(意外と長いのね…)
地下通路は暗くてほぼ何も見えない。
聴覚のいいエレシアは自分が歩く音から地下通路の概形を想像して、ゆっくりと歩き続ける。
ここら辺は街の人が少なかったからなのか、上からの振動は全くない。
だが逆手にとれば自分が歩く音の反響具合で地下通路の道が想像しやすかった。
音の反響を頭の中で組み立て、真っ黒な世界に白い波紋のようなもので作られた線が道として頭の中に作り出され、それを頼りに歩いていく。
暗闇の中で歩くことにもだいぶ慣れ、スタスタと注意を厳かにして歩いていると硬い段差のようなものに足をぶつけた。
急に現れた障害物に全く注意していなかったエレシアの足は相当なスピードをつけてぶつかった。
「くっうぅぅぅぅ…!」
ぶつけたつま先が痛む。
骨の内部を電気が走るような痛みが体を突き抜けた。
エレシアは痛みに耐えながらぶつけた障害物を手で探るようにペタペタと触る。
おそらくちょっとした段差ではなく、階段みたいになっているようだ。
エレシアは普通に歩くことを躊躇い、四つん這いで見えない階段を上がっていく。
ほんの数段上がったところで天井に違和感を感じた。
おそらくここが出口になっているんだろう。
なんとなくエレシアにはわかった。
(出口かも…都市に入れたかなぁ…)
エレシアは天井と思われる場所を両腕で力いっぱい持ち上げる。
天井の板はゴゴ…と鈍い音を出して上へと動き、隙間から眩しい太陽の光が差し掛かる。
(ま、眩しい!!)
長い間暗闇の中で目が慣れてしまったエレシアは急に差し込んできた光に目を開けることができず、目を閉じたまま天井の扉をなんとかこじ開けて地下通路からゾンビのように這い出た。
光が強すぎてなかなか開けられない目をパチパチして慣らしながら薄目で開いて辺りを見渡す。
見た事のない建造物、色々な種族の声、見たことのないありとあらゆるものがエレシアの目に飛び込んできた。
「ここが…都市……。」
地下通路の出口、ここら一帯は特に何もないただの広場の隅だが、少し中心部に向かうだけで本当に知らない世界が待っているんだろう。
エレシアは感覚でわかった。
(思った以上に面白そう…)
エレシアは自分が出てきた通路の扉を閉めて都市の中心部、大きな建造物に向けてへとゆっくりと歩き始めた。
「なかなか派手なところね…森とは大違い。」
エレシアは石を埋め込んで作られた道を進んで、他種族の言葉がたくさん聞こえてくる場所までどんどん歩いていく。
さっきまでいた場所とは違い、ここまで歩いてくると建物の数も多くなってきて所々で知らない種族の家族とすれ違ったりする。
会ったこともないのにお辞儀をしたり、手を振ってくれたりする家族もいて、なんだか心が温かく感じる。
(なんだかここ…面白いわ!)
今まで人や他種族と関わったことのなかったエレシアにとって、色々な種族の人が自由に暮らし、それぞれで行動する姿は新鮮でとても面白いものだった。
あたりを見渡しながら歩いていると人通りも多くなり、随分と栄えた場所までやってきた。
(ここがカーバンクル達の言っていた『市場』ってとこなのかしら。)
出店があちこちに立ち並び、あるところでは知らない果物が、あるところではロープや金属道具などの便利アイテムがと、色々なところで色々なものが販売されている。
商品を買いに来た人は商売人に綺麗な色の硬貨を渡し、それと交換で商品を受け取っている。
(物を手に入れるためにはあの綺麗な色の硬貨がいるみたいだわ。どうやって手に入れるんだろう。)
目に飛び込んでくる全ての光景がとにかく新鮮で、歩くだけでも楽しめる。
「ここにも———うわっぷ!!」
よそ見をしながら歩いていると大きな何かにぶつかってしまった。
エレシアは体勢を崩してドスンと大きく尻もちをつく。
「何?全く…」
エレシアが立ち上がろうとすると、目の前に大きな影が覆い被さるように現れた。
状況はよく理解できない
ただ、何かに威圧をかけられているのはわかる。
エレシアはゆっくりと顔を上げ、影の正体を見る
そこには以前倒したことのあるイノガーと同じくらいの図体をした巨大なイノシシのような種族が立っていた。
「おいおいクソガキ、人にぶつかっておいて謝ることをしねぇのか!?」
普段なら絶対にわからないであろう言葉が、脳内で綺麗に変換されて頭の中で再生される。
「あ、ちょっと…ちょっと当たっちゃっただけなんです。」
エレシアはそそくさと立ち上がって逃げようとするが、大きな男の巨大な手で腕をガッチリと掴まれてしまい、全く身動きが取れない。
「てめぇ俺様をなんだと思ってんだァ?俺は高等種族のミノタウロスだ!!テメェみたいな雑魚種族じゃねぇんだよ!」
図太い声がエレシアに向けて放たれる。
(ミノタウロス…二足歩行する牛か!)
もともと種族の話はお母さんから聞かされていて、種族の特徴やそれぞれの種族の歴史を聞いたりしていた。
「お前、人間だよなぁ。もともとお前らは俺らの種族に負けてんだよ。敗者がのうのうと同じ空間でイキってんじゃねぇぞ!」
ミノタウロスは目を赤く光らせながらエレシア目掛けて罵声を飛ばす
どうやら私がドラゴン族だと言うことに気づいていないらしい。
見た目が人間そのものだから仕方ないが、人間という種族なだけで優劣をつけられるのに私は少し違和感を覚えた。
いきなりの騒ぎに周りの人たちも止めに入ろうとするが、長年の歴史上ミノタウロスに逆らえる種族がごく僅かなためミノタウロスに睨まれるだけで誰も動けない状況になっていた。
強硬な筋肉質の体に濃い茶色の毛、大きくて立派なツノを持ったミノタウロスは確かに力強く、過去の歴史においても戦闘で高い成績を残していることから優遇がされやすい高等種族の枠に入っていたのだが、それも昔の話。今ではこの都市を含め全ての地域で種族が平等に生活しなければならない規定がなされている。
「放してよ。確かにぶつかったのは悪かったわ。でも種族で優劣をつけて相手を脅すのは許されることではないでしょう?」
エレシアはそう言ってミノタウロスの手を振り解こうとするが、返ってその言葉がミノタウロスの怒りに触れてしまった。
「よく言うじゃねぇかクソガキがよぉ!エリート種族のミノタウロス様にぶつかって謝罪の意がねぇなら無理矢理教え込むしかねぇなぁ!!」
腕を掴んでいない方の手を大きく天にかざすように振り上げる。
明らかに殴ってくるのだろう。
(ヤバい!逃げなきゃ…逃げなきゃ!!)
エレシアはどうにかして掴まれている腕を振り解こうとするが、相手はミノタウロス。力の差は目に見えてわかった。
エレシアは必死に抵抗するが全く逃げ出すことができない。
「弱小種族で可哀想だなぁガキ。安心しろ、死なない程度に叩きのめしてやるからよォ!!」
天に掲げた拳をゆっくりと引いてミノタウロスは殴ろうとする。
(もうダメだわ…!カーバンクル達にはしつこく言われていたけどドラゴン化するしか…!)
そう考えた時、記憶の断片のようなものがエレシアの頭の中で再生された。
もともとドラゴン族は伝説の一族、カドモス・ドラゴン=アーレスがこの世界の王になってから王の血族として崇められている。
ただドラゴン族は常に王という立場でこの世界を仕切っているわけではない。
厳密に言えばこの世界は王が不在の世界なのだ。
ドラゴン族は他種族の反乱を防ぐためにわざと王の席を空席にして世界を統治している。
かと言って王が存在しないわけではなく、伝説の一族『ドラゴン族』にのみ王位が与えられるようになっている。
ミノタウロスに種族で優劣をつけられ、挙げ句の果てに暴力を振るわれそうになっている今この瞬間に、お母さんから教えてもらった記憶が事細かく繊細に蘇る。
(お母さんが言ってた…「種族を位置づけする行為は世界大戦の前触れ。だから全ての種族が平等でいなければいけないの。それでも誰かが全ての種族の頂点に立ち、世界をまとめていかないと、今度は世界の混乱が生じてしまうの。私たちドラゴン族は王という立場を持つと同時に他種族と平等に接しなければいけない。他種族に擬態しているのはそのためでもあるわ。」って…)
今ここで私がドラゴン化すればミノタウロスからの攻撃を硬い鱗で受け止めることができて、致命傷になることはないだろう。
ただ私がドラゴン化した場合、戦力的な問題よりも優先されるのは種族の位置づけによる位の力だ。
王の血族であるドラゴン族を前にすればミノタウロスはおろか、全ての種族が私を目の前に崇め讃えることになるだろう。
ただこの行為は結局のところ種族の位置づけによって確立された力であり、それでミノタウロスを処罰すれば行っていることは種族の優劣で思いのままに行動しているのと同じになってしまう。
(私、私は…)
選択を誤れば大きな問題になりかねない。
それこそ今までお母さんが積み上げてきた統治体勢を一から崩すことになってしまう。
ミノタウロスが振り上げた拳が勢いをつけながらどんどんエレシアの方目掛けてやってくるのが見える。
自分の危機が迫っているからなのだろうか…殴られるまでの時間がスローに感じる。
(私は……………種族の優劣に頼らない!!)
エレシアはドラゴン化することをやめて、歯を食いしばって目を閉じた。
エレシアはこの一瞬で色々なことを学んだ。
どんなに丁寧に定められた規則であっても、必ずしもみんながそれに従うわけではない。
歴史背景はどれだけなくそうとしても消えることはなく、裏で密かに苦しむことだってある。
一見豊かで楽しそうに見える都市でも、それはあくまで表の表情、裏では何が起こっているのかわからない。
都市に来なければこの知識は学ぶことができなかった。
(ドラゴン化をしないでミノタウロスのパンチを食らえば最悪死ぬかもしれない…けど、私はそれ以上にこの世界のことを知っておくべきだった…)
殴られる覚悟はできている。
ミノタウロスの拳がエレシアの顔面に直撃するその刹那———
パスンという風を切る音がした後に大きくドスンと何かが倒れる音がした。
目を瞑っていて状況が把握できない。
ただ一つわかることは、ミノタウロスに殴られていないということだ。
エレシアはゆっくりと目を開ける
さっきまで覆い被さるように目の前にいたミノタウロスはいない。
起き上がるとミノタウロスが横転していた。
(何…?何があったの?)
状況を知ろうと辺りを見回すと全身黒いコーデをした銀髪でスタイルの良い人間が、見にきた人々によって作られた囲いの内側で一人だけ立っているのが目に入った。
黒色に青と白の線が入っているジャケットに動きやすそうな黒ズボン、胸ポケットには称号バッジのようなものをつけている。
「こんな昼間っから騒がしいなぁ。」
見た感じただの人間にしか見えないが…どうやら私を救ってくれたらしい。
エレシアはすぐにその場から立ち上がって黒コーデの男の後ろへと逃げた。
「クソッタレ!誰だテメェは!?」
ミノタウロスは手をついて起きあがろうとするが、頭がふらついてうまく立ち上がれない。
「それ、一応忠告な。そのまま大人しくしていれば今回は見逃すぜ。」
黒コーデの男は若干挑発気味に言葉を吐いた。
「人間ごとき弱小種族が…俺に口答えすんじゃねぇ!!」
ミノタウロスはフラフラしながら立ち上がり男に向かってそう怒鳴ると、両手に力を入れ始める。
みるみるうちに筋肉が膨張し、全身の毛が逆立っていく
ミノタウロスは最初見た時とは違い全身の筋肉が倍近く膨張し、目を真っ赤に光らせて暴走状態になった。
「人間のくせに俺を怒らせるから悪いんだ…全てお前のせいだァァ!!!!」
ミノタウロスは四足歩行になり桁違いのスピードで突進してくる。
(は、速い!!)
エレシアが驚いた時にはすでに黒コーデの男の前まで移動していた。
ミノタウロスが突進してくるのに対して黒コーデの男は右足を一歩後ろに下げ、左手を突き出してただ一言、忠告を聞かなかったミノタウロスに軽蔑の情がこもった言葉を吐き捨てるように呟いた。
「————クズが…」
一瞬の出来事だった。
ミノタウロスは確かに黒コーデの男に突進していた。それもスピードを落とすことなく。
だが、黒コーデの男が突き出していた左手に触れた瞬間、パタリと倒れたのだ。
黒コーデの男は全くの無傷で動じることなく、むしろこうなることを予想しているかのような余裕っぷりだった。
「はぁ…こういう高等種族ってなんでこう自分が一番上だと思うんかなぁ…」
黒コーデの男は慣れた手つきでリュックからロープを取り出してそれをミノタウロスに巻きつけていく。
「もう事件は終わりだ!解散しろ〜。」
黒コーデの男はロープでミノタウロスを縛りながら街の人たちに大声で伝えると、街の人たちはぞろぞろと解散していき、まるで何もなかったかのように普段の生活をし始めるのだった。
エレシアはあまりに一瞬の出来事に状況が把握できず、その場で立ち尽くしていた。
すると、黒コーデの男がロープでミノタウロスを縛り上げた後に私の方を向いて「お前さんもついてきてもらうよ。一応この事件の被害者になるんだし。話ぐらいは聞かないとな。」
と言ってミノタウロスをロープで引きずりながらこの場を後にしていく。
私はどうしていいかわからず、とりあえず黒コーデの男について行くことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます