第4話 生きていくための判断
瞼の内側でもわかるほど眩しい太陽の光に照らされて、エレシアはゆっくり目を覚ました。
さっきまで黒く染まっていた空はいつの間にかすっきりとした蒼い色に変わっていた。
エレシアは足の上にあげて、思い切り下に下ろすとともに反動を使って体をグッと起き上がらせる。
昨日作った焚き火の炎はもう消えているが、内側で微かに暖かさを維持していた。
「焚き火、消えちゃった。また復活できるかな?」
エレシアは地面に手をついてゆっくりと立ち上がるが、その瞬間色々な場所に痛みが走った。
筋肉痛だ。
エレシアはドラゴンと人間の混血で、ドラゴンなんだから筋肉痛なんて起こるわけないだろう…
という思い込みはただの偏見に過ぎない。
どんな動物であれ、全く使っていなかった筋肉を急に使い出して限界を超えてしまえば痛みを生じる。
エレシアには、今それが一気に押し寄せきたんだ。
「いっ…!うへぇ!」
初めて感じる痛みに変な声を出す。
立ち上がるだけで体の内側から痛みを伴う。
「き、昨日張り切り過ぎた!あ、あ、動けん!」
筋肉痛自体は何度か経験したことがあったのだが、それも一部分だけ。
手と足を中心に痛むひどい筋肉痛はこれが初めてだった。
「あ、あぁ、なんか変!」
関節を曲げれば痛む
振動を与えても痛む
力を入れても痛む
些細なことで発生するこの痛みにエレシアはなす術がなかった。
「と、とりあえず焚き火を復活させなきゃ」
筋肉痛が来ないようにぎこちない歩きで枯れ草を集める。
枯れ草を見つけてしゃがむたびに筋肉が悲鳴をあげる。
「き、きついなぁ……」
外からの怪我はどうにか治せるのだが、体の内側の怪我は治し方がわからない。
「ひ、ひろったぞぉー。」
枯れ草をやっとの思いで集め、焚き火の元へと帰ってくる。
体はもう動かさないでくれと悲鳴をあげているが、とりあえず焚き火だけはと一生懸命動いた。
焚き火の奥底にある消えかけの炎に枯れ草を乗せて息で酸素を行き渡らせる
酸素を受け取った炎は枯れ草に火を移して大きく燃え上がる。
「やった!生き返った!」
すぐさま木の枝を放り込んで焚き火の燃料を補充する。
これで当分は消えなそうだ。
エレシアはその場にパタッと仰向けで倒れ込んだ。
「お母さん…どこに行っちゃったんだろう。」
正直なんで置いていかれたのかわからない。
子供を置いてまでお母さんはどこに行くつもりなんだろう…
「ん…ごはん。」
今までずっと動いていたから気づいていなかったが、そういえば朝起きてからまだ何も口にしていない。
エレシアはなんとか筋肉痛の痛みを耐えて起き上がってかごに向かい、昨日採ってきた木の実をパクパク食べた。
やはり物足りない…
本当は肉が欲しいところだが、あいにく今は食料を確保できるような状態じゃない。
筋肉痛も治った頃…何日になるかわからないが、とりあえず完治する日まではお預けになりそうだ。
今日もいつも通り川へ行き、川の水をいただく。
水は生きる上で必須の資源、本当は拠点の近くにでも蓄えておくべきだが自分にはそういう事をする技術がまだ乏しい。
「今日は浴びようかな。」
エレシアは自分の服をポイポイ脱ぎ捨てて、ゆっくりと川に入っていく。
水に入るごとにエレシアの体はドラゴンの姿に変わっていく。
だが、まだ完全にドラゴンになれるわけではなく、人間の体に鱗が浮き上がり翼が背中から生える程度だ。
「うぅー、冷たいなぁ…」
おなかのあたりまで浸かったエレシアはそのまま顔から潜り、少しして勢いよく飛び出る。
細い体をしならせて赤い翼を広げ、赤く長い髪は水のしぶきを上げてエレシアの美しさを引き立てる。
「はー、意外と気持ちいいわ。」
普段ドラゴンの姿を出さないエレシアでも、この時だけはドラゴンの姿を曝け出して自由に楽しめる時間だ。
しばらく水遊びをして満喫したエレシアは服を着て川沿いで寝てしまった。
目が覚めると景色は赤一色、太陽も沈み始める夕暮れ時になっていた。
「…私、いつの間にか寝てたのね。」
ゆっくり起き上がるが、朝に感じたあの痛みがない。
「あれ?筋肉痛が治ってる?」
どうやらもともとドラゴンが持っている再生能力で、体を休める事で急速に怪我を治すことができたらしい。
「これはラッキーだわ。今日はもう夜が来ちゃうから食料探しはできないけど明日からすぐにできそうね。」
エレシアは日が完全に沈む前に急いで拠点へと戻った。
本格的に動き出して三日目
ようやく一人で体を使って生活していくのに慣れてきたエレシアは、目標としていた『食料探し』へと出かけることにした。
カゴの中に入っている木の実は全て貯蔵庫の中に入れる。
空になったカゴを背負い、石を砕いて作った短剣を腰につけて準備はバッチリだ。
「焚き火も今日一日ぐらいは燃え続けるくらいの木の枝は入れたし、それじゃあ行きますか!」
エレシアは川に行く方とは反対の方から森へと入っていった。
大樹の周りはお母さんが色々と整備していたから見通しが悪いなんてことは全くなかったが、少し森の中に入れば雰囲気はガラッと変わった。
「久しぶりだなぁ、この感覚。」
エレシアは自分で行う初めの狩りということもあってウキウキした気持ちでいたが、心のどこかでちょっとした恐怖心もあった。
幼い頃は知性も全くなく好奇心のみで動いていたのだが、歳を重ねるにつれて知識が増えて、昔はなんの躊躇もなく入っていた森の奥が年々怖い存在へと変わっているのはなんとなく気がついていた。
今のエレシアには昔から持っていた『好奇心』というのが少しだけ薄れてしまっている。
それ故か、森の中に入ることすらも昔とは違ってどこか抵抗感があったのだろう。
「昔はこんなところ、よく入ってたなぁ…」
あたりを見回しながらどんどん奥へと進んでいく。
森は全く同じ景色にも見えるが、まだ新しい木の芽やコケなどを見ると、誰も立ち入っていないことがわかる。
「あっ、モノゴリス。」
生き物を探しながら歩いているとモノゴリスというリスが頭上の木の上にいるのがわかった。
モノゴリスは手に持っていた木の実を口の中に頬張り、そのままどこかへ逃げ去っていった。
「リスかぁ…美味しそうなんだけど、やっぱりちょっとかわいそうだな…」
可哀想なのもあるが、まず捕まえることが難しそうだ。
「けど、これで動物がいるところまで来たわ。」
大樹近くの森では生き物をまず見ない。
なぜいないのか少し不思議だが、襲われる心配もないのでエレシアにとっては都合が良かった。
モノゴリスを発見してからそう歩いていないだろう。
それなのに、木々の奥の方から嫌な視線を一気に感じるようになった。
「さっきまで生き物がいなかったのに、急に視線を感じる……」
エレシアは腰についている短剣を取り出していつでも戦える準備を整える。
モノゴリスが出てくる前までは何一つとして感じられなかった生き物の視線が、ある場所を境に一気に感じられるようになった。
拠点周辺には感じられなかった何者かによる視線。
森の中で育ったということもあり、そういう「気配」のようなものは勘でわかるようになっていた。
(たくさんの視線があるのは感覚でわかるんだけど、その中でも一つの視線が気になる…何か近くにいる。私を狙ってる?)
エレシアは立ち止まって息を殺し、自分のことを狙っている何かが出てくるのを待った。
しんと静まり返った空間の中、後方からのガサっという音と同時にエレシアは振り向くが、そこには十分な勢いをつけたイノシシが突進してくるのが見えた。
「イノガー!!でっかい!」
エレシアは目の前にいるイノガーの大きさに一瞬見惚れてしまうが、実際そんな余裕はない。
エレシアは間一髪でイノガーからの突進を避けるが体制を崩して転んでしまう。
幸い目立った怪我はしていない。
すぐさま立ち上がるとイノガーは明らかに興奮状態でエレシアを鋭く睨みつけていた。
イノガーはイノシシに似た生き物だが、性格は凶暴で肉食。
深い森でしか生息しておらず市場に出回るのは珍しいが、その味は極上だという。
エレシアも過去に何度かお母さんが仕留めたイノガーを食べたことがあるが、どの肉よりも美味しかった印象が強く残っている。
「このイノガーデカすぎ…お母さんが倒してきたイノガーよりもでかいよ!?」
体長は個体差あるが一、二メートルほどが一般的。
だが、個体差が激しいので時に四メートルにもなる巨大な獣になることもある。
そして今エレシアの前にいるイノガーの体長は…
約二メートル半あるリーダー格のイノガーだった。
もう一度来る突進をなんとか避けるが、今の状況下でできることはただ避けることのみで攻撃する暇などない。
「これ倒せるの!?こんな短剣で?」
お母さんがどうやって倒していたのかわからない。
そもそも狩りに連れていってもらえなかったため狩り自体が初めてだ。
イノガーはかわされたこと認識するとすぐさま方向を変え、大きく一声雄叫びを上げながら突進してくる。
エレシアそれを危機一髪で交わす。
何回避けただろうか、時に危ない時もあったが、イノガーの突進が単調な動きなこともあってだんだんと避けるタイミングもわかってきた。
どうにか対等にやり合えそうだ。
(隙をついて攻撃するしかなさそうね。このままじゃ逃げたとしても追いつかれちゃう。)
イノガーをよく観察して行動を予測する。
(あの子は突進してくる前に三回前足で地面を掘る。突進してきたら横腹をこれで刺す!)
エレシアはイノガーの行動をよく見た。
一回、二回、三回…
(今だ!)
エレシアの予測通り、イノガーは突進してくる。
それを事前に避け、体制を整えた上で思い切り横腹目掛けて短剣を差し込む。
鉄のように硬い筋肉が体を覆っていて刺すのも一筋縄では行かないように思えたが、刺す時の勢いもあって短剣はしっかりとイノガーに刺さった。
「ヴォォォォォォォォォォォォオ!!」
「刺さった!やった!!…?」
短剣を刺したのはいい…が、イノガーはその場で暴れてエレシアを振り落とし、凶暴な目つきでエレシアを睨みつける。
「さ、刺したよ…?倒せないの?」
よく見てみると横腹をには短剣が刺さったままだが、イノガーは倒れる気配はない。
むしろ全身に生える焦茶色の毛を逆立ててすごく怒っているように見える。
「こ、これまずいんじゃ…」
「ヴォォォォォォォオオ!」
怒りに身を任せたような突進で周囲の木々を薙ぎ倒しながらエレシア向かって猛突進してくる。
エレシアは立ち上がって体制を整えようとするが目の前にいる自分よりも強い敵を前にした時、恐怖という感情に襲われて体が動かなくなった。
(だめ!直撃する!)
エレシアは自分の両手をドラゴン化して鱗とまとい、なんとかイノガーの突進を受け切ろうとするがイノガーの突進は直撃と同時にエレシアを吹っ飛ばし、エレシアは後方にある大きな木の幹に打ちつけられた。
「かはっっ…!!」
正面の衝撃には耐え切ったが、背中からくる打ちつけられた痛みが全身を波のように伝わっていく。
痛みと衝撃波が身体中を駆け巡り、体の機能がどんどん失われていく。
エレシアは踏ん張って立ち上がることもできずにそのまま地面に倒れ込む。
(い、息が…苦しい!!)
今ので肋骨が何本か折れてしまった。呼吸をするごとに肺に激痛が走り、立つことはおろか、呼吸までできなくなってしまった。
イノガーは巨大な体を動かしながらズンズンとエレシアに歩み寄る。
(早くっ…!早く傷治って…!)
全身の筋肉痛が一瞬で治ったあの時のように必死に目を瞑って回復しろと念じるが、全く回復している感じがない。
刻一刻とイノガーが迫ってきている。
(そうだ…!ドラゴンになれば!あの回復の大元はドラゴンの治癒能力…!)
エレシアは激痛が走る肺の中に空気をできるだけいっぱいに詰め込んで、立ち上がるために両手をついて踏ん張る。
力なんてもう全く入らない。
それでも動かなければいけない…エレシアの感情が最後の力となって両手に収束する
(ドラゴンに…ドラゴンに…!お母さんみたいなドラゴンに…!!)
「ゔ、ゔぁぁぁぁあ!!」
声にならない叫びを森の中に響かせながら、エレシアはどんどん全身を鱗で包んでいく。
痛いのを我慢するための雄叫びなのか、イノガーを脅すために出た叫びなのか、今の私には何もわからない。
ただ一心不乱に生き残ることだけを考えた。
痛みに耐えきれずに体が崩れ落ちそうになるが、全身をドラゴン化してエレシアは立ち上がる。
見た目はニンゲンだが全身は鱗で覆われ、顔はドラゴンのように細長く、強靭な牙と長い尻尾を持ち合わせていた。
イノガーは立ち上がるエレシア向かって全力で突進してくる
「ヴグァァァアア!!!!!」
エレシアは自我を完全に忘れ、本能のままにイノガーに向かっていく。
人間の意思ではなく、ドラゴンがもつ生物の王としての本能で動いていた。
イノガーの突進を横に飛び跳ねて避け、周囲の木を蹴って加速しながらイノガーの背中に飛びつく。
周囲の木々は蹴られた反動で微弱に動き、枝につけている数多の葉を揺らしながら音を立てる。
鋭い足爪はイノガーの皮膚を突き破って肉を引き裂き、手の爪でイノガーをガッチリと掴んだ。
ただならぬ痛みを感知したイノガーはその場で大暴れしてエレシアを振り落とそうとするが、背中をガッチリと掴んだエレシアは微動だにせずにイノガーの背中に張り付いている。
「ヴォォォォォォォォォォォォオ!!」
イノガーはとにかく地面を強く蹴ってエレシアを振り落とそうとするが、エレシアに掴まれていて思うように動けない。
「ヴグァァァァァァァア!!」
エレシアはイノガーの背中に張り付いたまま肺いっぱいに空気を取り込んで、イノガーの背中を大きく蹴るのと同時に翼を羽ばたかせて、木にぶつからない程度の高さまで飛び上がった。
掴まれていたエレシアから解放されたイノガーは自分が勝てないことを悟り、一目散に森の中へと逃げこむ。
だが大きな的は少しの動きでも簡単に居場所がバレてしまう。
エレシアはイノガーが逃げていく先を予測して肺に送った空気を口の中に溜め、高熱の炎に変えて勢いよく放った。
吐き出された高熱の炎は周囲の木々を瞬時に焦がしながらイノガー目掛けて襲いかかる。
森の中へ全速力で逃げ込んだイノガーも森一体を焼き払うような高熱の炎から逃げ切ることは出来ずに飲み込まれ、灼熱の炎の渦に捕らえられた。
エレシアは初めて一人でイノガーを狩ることに成功した。
翼を羽ばたかせながらゆっくりと地面に降り立つが、ドラゴン化が解除されると同時にエレシアはザスッと鈍い草の音を立ててその場に倒れ込んでしまった。
そこからの記憶はもうない————
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