第2話 別れ
月日は過ぎ季節は春先の暖かい気候へと変化していく。
色褪せた葉を少しだけつけていた木々も気温の上昇につれて葉の彩りを取り戻していき、綺麗な青緑色に変わる。
エレシアも十二歳を迎える歳となった。
ただ、月日を重ねるうちにエレシアはある疑問を抱えていた。
最近お母さんの態度がやけに冷たい。
なんで?
昔はもっと優しかった。
もっと、色々なことを教えてくれた。
一緒に生活して、わからないことはなんでも教えてくれて、まるで模範解答のような存在だった。
だけど最近は違う。
色々なことをするにもお母さんは手伝ってくれない。
私が何かを聞こうとしても「自分で調べてみなさい、考えてみなさい」の一点張り。
以前のお母さん…じゃない。
日が経つにつれてお母さんの態度は悪化していく一方だった。
ここまでくると距離を取られているだろうという受け入れ難い予想は現実味を帯びてき始めた。
しばらくお母さんの無愛想な態度が続いたが、流石にエレシアもどうして無愛想なのかわからなかった。
そしてある日、エレシアはたまらず叫んだ。
「お母さん!どうして最近私に冷たいの!?私、何か悪いことでもしたかな!?」
言葉が震える
溜めていた涙袋から溢れんばかりと涙が出てくるのがわかる
それでも精一杯目を堪えて涙を垂らすのを防ぎ、お母さんの返事を待った。
しばらく無愛想な返答しかしてこなかったお母さんは、今日の私の言葉に重みのある声で返してきた。
「エレシア。二年前のこと…覚えてる?」
その瞬間、空間がピリついた。
話し方は優しいのに、何か今までとは違う…
私が味わったことのない、初めて体感する空気の圧だ。
「二年前、私はエレシアに『立派な大人になってね』って言ったの、覚えてる?エレシアもう立派な大人になれる時期まで来てるの。私に頼らなくても一人でなんでも出来る、立派な大人になれる時期が…。」
今まで一緒に過ごしてきた中で一度も聞いたことがないような哀愁を帯びた声だった。
「ま、待って…?いきなり何言ってるの?お母さん、私まだ子どもだよ?」
エレシアは顔を上げてお母さんの方を見る
まぶたに涙があって顔がぼやけて見えるが、表情が暗いことぐらいぼやけていてもわかった。
感じたことのないお母さんからの圧、それに加えて全身の内側から込み上げてくる悲しみの塊。
なぜ悲しいのかわからない。
なぜ声が震えているのかわからない。
私にはどうしてここまで悲しいのか、まだわからなかった。
涙が邪魔する視界の先で、お母さんが無理な笑顔を作ったのが見えた。
「私ね。行かなければいけないの。お母さんだってやらなければいけないことだってあるし、エレシアといつまでも一緒にいることは叶わないことなの。」
ここまでの話を聞いて、エレシアはようやく理解した。
自分がなぜ悲しんでいるのか、なぜ声が震えているのか。
なぜここまで嫌な雰囲気を感じ取るのか。
全てが一つなぎになった。
目の前にいる母親は、私を置いていこうとしている。
一人にしようとしている。
もう、別れなければいけないことを伝えている。
だから悲しいんだ。
だから苦しいんだ。
だから、こんなにも心の奥底から嫌だという感情が溢れ出るんだ。
「やだよ…やだよやだよやだやだやだ!!」
涙が自然と溢れてくる。
もう止められないほどに滴り落ちる。
言葉が自然と溢れてくる。
離れてしまう親をどうにか引き止めようと、単語ばかりがボロボロと口から出てくる。
「やだよ!私まだ大人じゃないしお母さんと一緒にいたいよ!」
「わかってる。私だってずっといたい。だけど、今のままだとエレシアは…いつまで経っても幼い子になってしまう。」
お母さんはエレシアに話しながらどんどん遠ざかっていく。
エレシアはお母さんの方へ今すぐにへと行きたいのだが、気持ちが前に行きすぎて膝から崩れ落ちてしまった。
涙が数滴地面に滴り落ち、大きなシミとなって土に吸われてゆく。
ガバッと顔を上げてお母さんを見るが、助けに来る仕草はない。
むしろ遠ざかっていくばかりだ。
「お母さん!お母さん!!なんで!なんでっ……」
どうすることもできないまま、エレシアはその場で崩れ落ちるように泣いた。
十分出し尽くしたと思った涙が、また勢いをつけて溢れ出る。
何を言ってもお母さんは止まってくれない。
別れなのだろうと自分ではわかっていても、認めることができなかった。
「ごめんね。私に出来ることはこれしかないの。」
聞こえた声は優しさのこもったしっとりした声、まるでお母さんの本心をそのまま言葉へと具現化したような一言だった。
お母さんはエレシアにその言葉をかけたのちに背を向けて、人の姿からドラゴンの姿へと姿を変える。
木々にぶつからないように大きく翼を広げ、飛びあがろうとするその時、お母さんは低く唸るような声で言った。
「立派な大人になって帰ってきなさい。あなたには、この世の全てを任せる資格があるの。」
その声を最後に強風が吹き上がり、低木はガサガサと音を立てて葉を撒き散らす。
ものすごい風により目が開けられなかったエレシアが顔を上げた時には、お母さんはいなくなっていた。
「お母さん……」
目の周りを赤くして、鼻水を垂らしながら、ただ何もない深い森の中でエレシアは一人蹲って泣きじゃくることしかできなかった。
カドモス暦一四六年
ドラゴンと人間の間に生まれた一人の幼い子供が、己の身一つでで生きていくこととなった。
お母さんがいなくなってから何日経っただろうか…
エレシアは一人、誰もいない貯蔵庫の中でうずくまりながら毎日を過ごしていた。
大樹の根元に作られた貯蔵庫は肉などの食料を腐らせないために光が届かない場所に作られている。
中はジメジメしていて、まるで自分の心の中をそのまま空間として具現化したみたいな空間
その胸糞悪い空間の状態が、今の私にはちょうどいい。
動きたくはない。あの日のショックがまだ頭から離れない。
自分で生きていこうなんて、到底思えるほどの精神状態じゃなかった。
そのくせ自分のお腹は減っていく一方で、お腹が空けば何かを食べて生きようとする
どんなに生きたくないって思っても、生存本能に抗えないままでいた。
エレシアは貯蔵庫の一番隅の方にある芋のようなものを掴んで無心でかぶりつく
洗うだとか、調理するだとか、そんな気にはなれない。
ただ最低限のお腹を満たすだけ、そのためだけに物を口に放り込んで食べる繰り返しだった。
もう一個、そう手を伸ばしても残りがない。
完全に食料が底を尽きてしまったんだ。
こうなると嫌でも自分で食料を調達しなければいけない。
何も食べずに死ぬ……という選択はまだ私にはできなかった。
エレシアは苦渋の思いで外に出ることを決意した。
その痩せ細った体を動かして。
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