第4話 抜き打ちテスト

 テストにも種類はある。例えば、期末テスト、中間テスト、小テスト、確認テスト。

 そして、抜き打ちテスト。

 唐突的に行われる学生を困らせる教師の悪戯。


 きっと教師陣は——「いつもちゃんちゃらと羨ましい青春送ってんだから、存分に苦しみやがれぇぇ!げへへへへ!」と、職員室で優雅にコーヒーでも飲みながら暖房のかかった温かい部屋で大仰に笑っていることだろう。

 うん。きっとそうに違い。

 抜き打ちテストなんて教師の意地悪だ。僕たちが困っている姿を見てスッキリして、それで点数の悪い奴に小言を言ってスッキルするためのシステムに違いない。

 やはりあいつらも所詮人間。大人だろうと関係ないさ。あはははは……!


 と、半年くらい前に現代国語の美人の先生に反発したら、生徒指導室に呼び出されて一週間の裏庭掃除が言い渡された黒歴史があります、どうも今晩わこんにちわおはよう今日の俺こと紫雨唯月しぐれいつきです。


 いやねあれだよ。僕は現国の美人先生に「僕たちが苦しんでいる姿を見て楽しんでるなんじゃないですか?」って訊いただけなのに、クラスの連中が誇張して言いふらしたせいなんですよ。

 その美人先生には叱られただけなのに、ああ!なんで後からしゃしゃり出てきた大人風だけを毛のない髪に吹かせる頭の固い固定概念に囚われた堅物爺め……僕はまだ許してないからな。


 まあ、そんな過ぎた過去を振り返らない僕は今まさに配られた抜き打ちテストに苦戦していた。

 おいおい……なんで今回も美人先生なの?恨みでもあるの?抜き打ちって先生性格悪いの?

 ギロリ。

 ひぇえええええ⁉


 軽く睨まれて怯えました今日の僕。


 とは言えですよ。このデジタル社会で筆記の回答って面倒くさい。もうパソコン導入しようぜ。イランの戦時状況を確認できる衛星との通信できるやつ。


 とまあ、指が疲れてこれ以上書きたくないと駄々をこね始め、三十問の内の十問しか漢字問題は埋まっていない。四字熟語とか長いし、ことわざは覚えるのではない。習うより慣れろだ。


 カッコのつかないペン回しをして適当に埋めていくと、開始から三十分ほどで美人先生が「終了」と綺麗な声音で告げた。

 あれでもっと笑顔ならなー。おっと、僕が好きなのは美桜みおだから。他意はないよ。ありませんよ。

 誰にでもなく否定する僕のテストを一番後ろの席の人がさらっていく。

 お~……前の女子より扱い雑じゃない?

 まーこの世の中はレディーファーストだしな。女子から始めるんもんさ。……それはレディーファイトか?


「十点未満の方は課題が配られるのでお楽しみにしておいてください」


 …………うん?今何と……?


「…………え!そんなの聞いてない⁉」


 声を上げると美人先生は薄明の笑みを浮かべ僕を語り掛ける。


「ちゃんと開始前に言いましたよ」

「うそー……」

「ふふふ、貴方の採点が楽しみですね」


 めっちゃ楽しそうだね!その笑顔怖いよ!やめてちびるよ!


 僕とてヤンキーではないので、己の失態を受け止めて浮かせた腰を下ろす。そんな僕にため息を吐いた笑顔の怖い先生——女王と呼ぼうと決めた先生は残り二十分、授業を進めていった。


 ……僕、やっぱり嫌われてる?




「と言うわけで勝負だな」

「と言うわけの前に何もない。勝負ってなに?プロレス?それともラウェイ?それかサバット?」

「なんでそんなアグレッシブで高校生にはマイナーな競技で戦うんだよ。それにどれも俺ら普通に死ぬやつだからな」

「プロレス、ラウェイ、サバットでトライアスロンして優勝したら悟空になれるんじゃない?」

「……それはもう人間じゃないわよ。あと、あんたいつも表情薄いから冗談かよくわからないわよ」


 益体のない漫才ごっこに鋭いツッコミをくれたのは白川乃愛しらかわのあ。何気に僕のことディスりましたね。

 彼女は呆れたように悠斗ゆうとじゃなくて僕を睥睨する。おっと喧嘩かな?買いますよ。無料ならね。

 大概たいがい無料に似せた詐欺で、莫大な傷を心を買ってしまうので無料以外は本当に受け付けない。

 そんな僕の心の内などどこ吹く風同然に、乃愛のあは腰に手を当てて胸を張る。そこまで胸を強調しなくてもあるのわかるから。てか、ブレザーの上からなんてあんまわかんないから悠斗ゆうとを惹きつけられないけど。


「うるさい紫雨」

「キャンーっ⁉」


 心を無にしなくてはいけないときもある。うん。

 僕のことはどうでもよく、乃愛は乗っかる。


「アタシも勝負するわ」

「おー成績優秀の俺に立ち向かうなど百年早いんじゃねーの?」

「あら?前回までのテスト如きで威張られても困るわ。たかが抜き打ちテストにミスなんてないわよ」

「それもそうだな。まーなんであれ勝つのは俺だけどな!」

「その狂言、ほどほどにしとかないと痛い目を見るわよ」


 うふふふ、あははは、と笑う二人。


 え?お互いに片想い同士だよね?めっちゃ険悪なんだけど⁉


 その二人の勝負に巻き込まれないように、僕はとっとと退散する。

 あんな怖いとこ、四月に見た怖い映画で十分だよ。

 その映画も白川に無理矢理一緒に見せられたものなんだけど……

 それはいつか復讐するとして、今は癒しを。

 僕の唯一の癒しの美桜みおは教室におらず、目にわかるほどがっくりと肩を落とす。

 そんな僕を見かねてなのか悠斗が「日直の仕事で職員室までプリント運びにいったぞ」と教えてくれたので、「ありがとう」と返して勝負の件はうやむやに教室を退避する。



 職員室に入ると温かい幸せの空気に思わず「あったけーズル」と心の内を吐露してしまい、目の前を通り過ぎたおじさん先生に睨まれた。もう今更怖くもないので無視して職員室内を見渡す。

 そして見つけた美桜みおは女王と何かを話しているようで、僕が近づけばセンサーでもついているんだろうか女王が歯向かう騎士を見定めるように、その鋭い眼光が僕を貫いた。

 こわいよーー

 その視線に美桜も振り返り眼があった瞬間、怖さなど微塵も感じないぜ。


「あれ?唯月いつき?なにか用事?」

「あーまー……」


 美桜に逢いたかっただけ、なんて死んでも言えない。いや、死んだら言える。遺言だけど。

 特に深く考えず「さっきのテストが気になっただけ」と無難に答えておく。これだけ見れば優等生だ。えっへん。


「貴方がテストを?熱でもあるんじゃない?」

「おっと。手厳しい」

「わたしもゆき先生に賛成かな」

「あれ?ほんとに熱あるの僕?」


 美桜に言われたらちょっと心配になっちゃう。これが恋する乙女心だね!えっへん……


「だっていつも不真面目でテストの点の平均くらいしか取らない唯月いつきが抜き打ちテストの点が気になるなんて、不思議だもん」

「ええそうね。あれだけ豪語した貴方は上の先生にこっぴどく叱られてもケロッとしていたのに、今更に改めたの?」

「ケロッとはしませんよ。僕もちゃんと反省したんで真面目に受けてるじゃないですか」

「十点前後でどこが真面目なのよ……はぁー」

「雪先生も呆れてる」


 美桜よ、その現実を言わないで。またも黒歴史が復刻しそうなので話題を変える。


「美桜たちは何話してたんだ?」

「うん?えーと、羅生門らしょうもんに出てくるおばあさんの心情でわからないとこがあって」

「さすがは悠斗に並ぶ才色兼備さいしょくけんびにして傾国美女けいこくのびじょ蓋世之才がいせいのさいを宿す秀外恵中しゅうがいけいちゅうだね美桜は」

「なっななななっ…………うん?」

「なぜ、そのような小難しい四字熟語を知っているのよ。テストは毎回散々なのに……」

「あれ伝わらない?」

「う、うんん。伝わったけど、えーとその……」


 もじもじと髪を弄る美桜の頬は少し紅潮していて、暖房が温かいのだろうか。などと鈍感主人公ではない僕は己の失言に近い世迷言にも思える恥ずかしい意味に気づいてしまって、心の中で悶絶する。

 その時の気持ちはいつか黒歴史として語りたい、などとはなく墓までもって逝く。

 そんな二人を見て、女王は「そんな難しい誉め言葉じゃなくて、純粋な言葉で言いなさいよ」囃し立ててくる始末。

 あっと、その顔はにやけていますね。おちょくってきてますね。やっぱり僕に恨みあるんですね。でも少し以外でちょっと話しかける。


「先生って以外に面白い人なんですか?」

「教師に向かっての失礼は置いておいて、若い貴方たちが青春を謳歌することはいいことよ。少女漫画を読んでいる気分だわ」

「先生も少女漫画読むんですね」


 そうへーと納得した美桜みおに少々恥ずかし気に「わるい……」と視線を逸らすので美桜は「わたしも好きですよ少女漫画。今度わたしのお気に入り読んでみてください。わたしも雪先生のお気に入り読んでみたいです!」と、嬉しそうに楽しそうに微笑むので、先生は毒が抜かれたように「そのうちね」と、笑った。


 なんだか僕といいるよりも楽しそうで、それでも笑顔を浮かべているのが嬉しくて、複雑な感情が渦巻く。

 そうこうしているうちに次の授業までもう一分ほど。


「ほら、次の授業始まるわよ」

「ほんとだ。またお話していいですか先生」

「ええ。いつでも」


 そう笑顔で微笑む二人の女性は美しく、なんだか心が複雑に満たされたのでこのまま次の授業サボってもいいかなと思えてくる。


「紫雨君。授業はサボらないようにね。真面目に受けなさいよ」


 女狐か?


「なに?」


 こわいから!にらまないでごめんなさい。

 首筋を掻いてめんどくさいなーと思いながら返事する。


「へいへい、少女漫画が好きな先生に免じて今日はちゃんと受けます」

「紫雨君。昼休み私のところまできなさ——」

美桜みおいくぞ」

「わ、まってよ唯月いつき!」


 女王の言葉を聞かなかったことにして美桜の手を引っ張手職員室を後にする。暖房が良く効いた部屋から出た廊下が肌寒く、指先が冷たいと美桜の指に絡める。


「へ……?いつき……」

「寒いからな」


 そう返せば、美桜は頬を赤くしてうんと頷いた。誰にも見られていない間だけ僕と美桜は指を絡め手を繋いで教室に戻る。

 彼女の熱だけがどこまでも心地よく暖かく心臓がドキドキバクバクした。

 ずっとこのままでいたいと思ってしまうほどに、この瞬間が幸せだった。

 横を歩く美桜の熱も息遣いも歩く歩幅も絡めた指の細さも掌の柔らかさも手を繋いだ距離で見える彼女の髪と横顔も、そのすべてが新鮮で愛おしくて美桜とこのままずっと一緒にいたいと心から思ってしまう。


 二人として、一言も発せずに頬を赤くしてただ熱以上のものを委ねながら歩く。


「…………そ、そんなにみないで」

「ご、ごめん。つい……」


 凝視されていたことにもっと顔を赤くした美桜はやっぱり可愛くて、それでも恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。

 またも沈黙が走り、自分たちの教室が見える廊下へと差し掛かった時、前方から引き戸の開く音がして二人してぱっと手を離した。


「おいおまえら。もう授業始めるぞ」


 そう叫ぶ禿げた先生をこの時ほど邪魔と思ったことはない。

 けれど、このままだといつまでも手を離せない気がしていたので、よかったのかもしれない。

 けれど、手に残る熱の寂しさが求めてしまう。美桜もどこか寂しそうに手を見て、苦く笑った。でも、やっぱり恥ずかし気で嬉しそうに。


「は、はやく教室いこ」

「うん……まって」

「うん?」


 歩き始める美桜を停止させ、そっと耳に近づきこの酔った熱のそのままに真面目になってみる。いや、不真面目に真面目に。

 僕はきっと一生分のキザをやった。


「——問題。職員室で言葉の意味わかる?」

「え……?」

「これ、抜き打ちテストだからね」

「え、え?ええ?」


 困惑する美桜に一言。


「全部、本音だから」

「————~~~っっ⁉」


 赤林檎のように真っ赤に沸騰された美桜が愛おしくて楽しくて嬉しくて、僕は笑うのだ。

 美桜が正解を答えてくれるその日を夢みて。

 もしくは、僕は君に伝えるその日を決意して。


「え、えぇぇぇぇぇぇ~~~~っっっ!!!」


 美桜の羞恥の叫びに僕は笑った。

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