第1話 恋と悪戯とビターチョコレート

 突然ですが問題です。


 ジャージャン——!


 2月14日とは何の日でしょう?


 ………………


 答えは——バレンタインデーです!


 そう。今日は一年に一度だけの恋する乙女が想いを告げる甘くてビターな日。


 世界中の男子は浮足たち、朝起きた時から不自然なくらいにテレビのバレンタイン特集を、平然と眺めるフリをしながら学校に行くのをそわそわと心待ちにしている、男性にとってもこれからのリア充生活に欠かせない死活問題となり得る恋愛神話の神聖な一日。


 いくら平然な顔をしていようと、靴箱の中をいつもより深く覗いてしまったり、俺は意識なんてしてないぜとばかりにポケットに手を突っ込んでいつもより大きな声であいさつをしたり、ちらちらと女子たちを見ながらこれまた何でもないように教科書をしまい引き出しに何もないのにつっかえている虚無的感覚を感じて引き出しの中を二度見したりする、とにかく落ち着かない日だ。

 朝は母親に「なにそわそわしてるのよ。あんたの顔じゃ無理よ」と、言われるまである。母親の辛辣を食らう日でもあるわけで。


 つまり、楽しみと緊張が入り混じった神聖な恋の日がバレンタインデーなのだ。


 ……母親からの辛辣な言葉は「チョコもらったら見せなさいよ」というプレッシャーであったが、男子高校生らしく男子高校生のテンプレみたいな男子高校生をした僕こと紫雨唯月しぐれいつきは源氏名や四字熟語でありそうな名前とは裏腹にそわそわと一人の少女を待っていた。

 そんな僕の前の席に歯を着せぬようなイケメンが腰を下ろしてにやにやと面白そうに僕を見た。


「だれ待ってんだ?」

悠斗ゆうとには関係ないだろ」


 悠斗と呼ばれた青少年は演技っぽくいやいやと頭を横に振る。


「男子高校生たるものバレンタインに浮足立つのはしょうがない。それが男の性だからな」

「それを僕が認めても、僕ににやにやする理由にはならない」

「でも否定しなかった時点でお前の負けなんだよなー。あはははは!」

「なぜ笑う?遂に頭おかしくなったか?いや、元からか」

「おー……俺のマミーより辛辣ぅ」


 紳士的イケメンのくせにチャラチャラしてても許されるのことに僕は納得いかない。僕が急にチャラけだしたら、道路で阿波踊りしている豚の顔を被った中年男を見る並みに、白けた空気と「は?」という視線を視聴率100%でお送りすることになってしまう。

 自分で言っておいてなんだけど、傍から見てればくそ面白い。


「唯月の辛辣は愛情と受け取っておいて」

「辛辣を愛情とは呼ばない。愛情なら悠斗以外にあげる」

「で、そわそわと待ち続けるロミオさんの愛しのジュリエットはチョコをくれるのでしょうか!俺への愛情は誰に捧げられるのでしょうか!」

「うるさい。ひょうきんなイケメンはひょうたんにでもなってしまえ」

「おー……今日二度目の辛辣ぅ。けど、そわそわしてるのは俺が見ててもわかる。その相手も予想はつく。つまり、リア充爆発しろ!」


 そう、大仰に仰け反った悠斗。その言葉はチョコを貰えるとわかっている奴ら全員に向けたような諦観なものだ。

 けど、僕に言わせれば違う。


「悠斗の方がリア充まっしぐらだろ?嫌味なの?バカにしてるの?喧嘩買うよ?」

「唯月さん機嫌悪いですね。ふふふ、そんな唯月さんにお訊ねです。……俺は貰えると思うか?」


 おいおい。変に心配そうに素直になるなよ。弄れないし、反撃できないだろ。てかなに?僕を弄ってたのって緊張を紛らわすためなの?そういうのやめてよね。勝手に機嫌悪くした僕がお子様みたいだろ。ほんとリア充爆発しろって叫びたくなるから。


「リア充爆発しろ」


 言葉にしてしまった。

 悠斗は訝し気に眉を寄せて理由を尋ねようとしたが、教室のドアが開き息の根を止めるような視線を無意識に向けてしまう少女の声が満たした。


「みんなおはよう!」

「おはよう。今日も元気だね美桜みお

「うん?私はいつも通りだよ」


 美桜と呼ばれた花里美桜はなさとみおはポニーテールにした長い髪を揺らし、僕と目が合ったと思えば、直ぐに視線を逸らし友達の所で楽しそうにおしゃべりを始めた。

 綺麗で楽しそうな笑顔。スタイルの良さや可愛らしさなどもあるが、僕は彼女のその笑顔一つで目を追ってしまう。

 たったそれだけのことで、心臓が跳ねた。


「いつもと変わらないかばん。特に緊張などもしていないいつもの表情。男子友達も多い可愛く人気の女の子」

「…………」

「その笑顔一つで、僕は——」

「…………おい」

「恋に落ちーる音がした」

「黙れコアラ脳」

「一周周って、愛嬌以前に脳の大きさで揶揄された⁉」


 この前ネットで調べた時、哺乳類でコアラが一番馬鹿だって乗っていたので、いつか使おうと思っていたので少しスッキリした。

 悠斗ががっかりしていることなど気にせず、意識的かつ無意識に視線を美桜の方へと送ると、ふと彼女と目が合った。

 その綺麗な眼差しに心臓が止まる。俺の視線の先を追った悠斗はにやりと口元を緩ませて、じゃあと自分の席に戻っていった。

 悠斗と変わるように美桜が僕に挨拶をする。


「おはよう、唯月いつき

「……お、おはよう」


 いつも通りいつも通りと唱えて下手くそに笑う。美桜が薄くはにかみ後ろで手を組んだ。

 その笑顔もまた、好きだった。


「なんだか疲れてるね」

「そうかな?悠斗のテンションが高かったからかも」

「ふーん。今日、バレンタインだからかな?」

「そうなんじゃない。あいつは貰えるからいいよね」


 想像するとやっぱり羨ましくて嫉妬ではないけど、それに近いリア充爆発しろという感情が沸き上がってきて諦観に近い声音が出てしまった。

 もちろん、僕も貰いたい。


 ただひとり、笑顔に綺麗な彼女から。


 それでも、僕と美桜は友達。ただの友達。

 隣の席だった時に仲良くなっただけの友達。

 彼女の好意はきっと恋愛の好きじゃない。


「唯月は誰かからもらった?」

「もらってない。僕は多分、白川の失敗をもらうと思う」

「ふ、ふ~ん。……そう、なんだ」

「それより、あいつらは楽しそうだよな。恋人同士でイチャイチャして」

「あー絵美たち?絵美はバレンタインだからって頑張って作ったらしいよ」

「へー……」


 憧れはある。もしも、目の前の彼女から貰えるのならと、心臓がバクバクいう。それでも、普通のいつも通りの会話。

 本人を前にして一気に覚めてしまう。それは夢から覚めた現実と同じで、幻想という甘さを怖さと見つけたための、悟りだ。

 恋する少年少女の軌跡を思い浮かべて、心の中で自嘲した。

 彼女から真実を告げられるのが怖い。現実を悪夢にするのが怖い。伝える勇気もない。

 心の中でため息を吐いたその時、思わず零れたような呟きが耳朶を小さく触れた。


「——唯月も、ほしい……?」


「………………ぇ」


 ゆっくりと顔を上げれば、美桜の相貌が目に映る。綺麗で可愛らし美貌。満月のような澄んだ瞳。

 僕と美桜の瞳が交じり合う。まるでこの世界の片時のよう。

 その呟きを、その真相を、その心情を訊ねようとして、チャイム音が鳴り響いた。それは魔法が解ける終わりの鐘。


「あっ!ご、ごめんね。じゃ、じゃあ!」

「う、うん……」


 少し赤らめた頬に手を当てて、苦笑を零し片手を小さく振る仕草が目に焼き付いて残り、動機と熱が僕を一日中苦しめた。




 おそらく期待していた。朝の反応と聞き間違いかもしれない言葉。おそらくではなく、かなり期待していた。


 今日一日、まるで恋する中学生のようにずっと美桜を視線が追ってしまう。傍から見れば気持ち悪いとわかりながらも、それでもずっと彼女を見てしまう。

 ふと、視線が合いそうになったら瞬間移動の如き速さで視線を手元に戻し、なるべくガン見はしないようにちらちらと遠くから眺めた。

 いつもは時々話しかけてくる美桜も朝のことや友達と喋っているお陰で今日は話しかけてこなかった。

 うん?これはお陰なのか?いえいえ、僕は喋りたいからね。勘違いしないでね。あと、ストーカーでもありませんから。


 悠斗の惚気を聞きながら、ただずっと朝の仕草と笑顔が僕を苦しめ続けた。



 帰りのホームルームが終わると、用事があるのか美桜は颯爽と教室から姿を消し、僕はため息を吐いた。

 やっぱり、美桜は僕のこと友達以上に思ってなくて、朝のは間違いだったってことだろう。

 別にこの恋を諦めるつもりはない。けど、告白する勇気もない僕は諦めるしかなかった。


 トボトボと帰り道を歩く。

 薄暮に染まる前の黄昏の終わり。少し淡い群青が広がる雄大な空。

 裸の木々が寒さに振るえ、涼風がマフラーを巻き上げる。コートのポケットに手を突っ込んで、マフラーで口元を隠す。まるで自分を守る鎧のように。


 カップルらしき人たちが腕を組んで通り過ぎる。

 もしも、僕が頑張って告白していれば、あの未来が存在したのだろうか。

 いや、無理だ。だって、僕には魅力もない。友達でしかない。見続けるような変態。

 けれど、やっぱり好きで、だから同じ帰り道のこの道で振り返ってみる。もしかしたら、先生に呼ばれただけで帰っていない可能性もあるから。

 けど、振り向いた先には太陽が沈んでいく光のみ。逆光になって目は痛いし、誰かいてもよく見えない。

 肩を落として戻る。


「はぁーなにしてんだろ……」


 風に揺れるブランコの音に足と止めた。小さい頃遊んでいたはずの小さな公園には誰もいない。まるでバレンタインに一人寂しくいる僕を迎え入れてくれるようで、しばらく立ち止まって見つめてから冬の寒さを見上げたくて公園の敷地に跨ごうとした時、声が聞こえた。


「——唯月!」


 振り向くと、誰もいなかった逆光の道にマフラーを崩して走ってきた美桜がいた。


「あーよかったぁ。見つかって」


 そう安堵して息を整えながらえへへと笑う美桜。どうしようもなく困惑と愛おしさが葛藤し、思わず凝視してしまう。

 見つめる僕に恥ずかしそうに視線を逸らす美桜。僕も慌てて視線を逸らした。

 なんだか気恥ずかしい沈黙が降りる。

 息を整えた美桜はもじもじと僕を見て、少し躊躇ってから僕の名前を呼ぶ。


「唯月……あのね」

「う、うん。」

「……これ!」


 視線をズラした彼女は手に持っていた小さな紙袋を僕に。唖然となる僕は彼女と袋を何度も往復させて。

 美桜は夕焼けのせいで赤いのか、頬を染めて視線を行ったり来たりしながら白い息を吐く小さな唇を動かした。


「あの、その……もらって、くれる?」

「僕に……?」

「う、うん……そう。唯月に」


 ただ熱だけが寒さを感じさせない。

 慎重に受け取った僕を見て、耐えきれなくなったのか髪を弄りながら小さく笑った。


「今日、ずっとわたしのこと見てたでしょ」

「え⁉」


 その袋の中身が気になっていた僕は瞬間的反射的に吃驚声を上げた。美桜は面白かったのかくつくつと笑う。


「わかるよ。あれだけ見られてたらね」

「うぅ~~ごめん」

「うん。いいよ許してあげる。今回は特別だからね!」

「肝に銘じとく」

「うん!」


 微笑み美桜が綺麗でやっぱり好きだなーと思う。

 勇気なんてちっともないけど、確証させるような力もないけど、誰かに誇れるような自分じゃないけど、それでもビターな甘さで生きていたと思う。


「そう言えば、乃愛のあが深井君にチョコレートあげたんだって」

「やっぱり悠斗もらえたじゃん」

「でもね、乃愛ったら友チョコって言っちゃったみたいで」

「白川は本番に弱いな」

「だね!でも、それでも努力するのが乃愛の可愛い所でカッコイイところなんだよね!」


 そんな他愛もない話が続く。今までのように心地よく、まるで今日の一日を取り戻すように日が暮れるまで話し続けた。

 薄暮に染まり、街灯が照らし始めた冬の夕方の終わり。

 どちらとも話を終えて交わした熱と綺麗な寒さに身を委ね、そっと見つめ合う。


 そして、一歩、美桜が後ろに下がり微笑んだ。

 どこか恥ずかしそうに暗くてわからない頬に赤い熱を宿して。


「それ、そういう意味だから」

「——え……それって」


 そういう意味……白川の友チョコの話をしてたからそれのこと?それとも……


 ぐるぐると困惑する僕。美桜はそっと自分の唇に人差し指を当てて悪戯に笑った。


「どういう意味だと思う?」

「どういう……」

「ふふ、じゃあね唯月。また、明日」


 控えめに手を振った美桜は僕が何か言いだす前に走って行ってしまった。

 呆然と突っ立ったままの僕は、紙袋の中を見て心臓が跳ねる。

 綺麗にラッピングされた透明な袋の中には、手作りと思われるチョコレートがココロ踊るように詰まっており。紐を解いてひとつ、まるいチョコレートを取り出し口に入れた。


「…………あまい」


 その甘さとビターに熱に浮かされたその場に座り込み、はぁーとため息を吐いた。自分の頬が熱い。心臓の鼓動がうるさくて、このチョコレートの意味が知りたくて、それでも嬉しくて嬉しくてドキドキしてしまう。

 期待、してもいいのだろうか。この胸の内をいつか、吐露してもいいのだろうか。


「あぁー……、反則だろ。あんなの」


 今はただ、その甘さとビターを噛み締める。


 この恋はきっとビターで甘く悪戯なチョコレートと同じだ。

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