第520話 人類の剣よ


 塗り潰し、覆い尽くし、“無”へと変わる筈であった生命が今、超常の暗黒を引き千切りながら我が道を行き始めた。

 依然世界に同化しながら姿をくらませたクロンは、始めて感じるとやらに静かに戦慄していた。

 ぬらぬらとした闇を払い、瞳輝かせた鬼神は言う。


「闇に堕ちても、消え去らないものがあると俺は知っている……!」


 やがてダルフの全身は闇よりい出て、“虚無”を照らす光明の様に照り輝いた。


「それはたとえ神聖お前でも、決して消し去る事の出来ないだ」

『意志……?』


 漠然と広がる暗黒を見渡し、ダルフは前を向く。


「人は。どの様な“虚無”に包囲されたとしても」

『何を言っている……』


 息を呑んだクロンは、次に予想だにしない現象をその目にする事となる。


「俺はこの背に乗せているんだ」

『――――!!』


 次の瞬間、ダルフの背後から、鎖の音を立てて棘付き鉄球が前方へと打ち出されていた。それは闇の中でもけたたましい爆音を鳴らせ、小爆発を繰り返して加速の限りを尽くすと、ある筈の無い暗黒のへと衝突し、亀裂を走らせ大爆発を巻き起こした――


『私の闇に……境界線が現れたとでも……っ』

「みんなの“想い”を」


 驚愕とする間も無く、次にダルフの背より放たれて来たのは、巨大な氷柱であった。それはヒビ割れた障壁へと突き刺さり、闇夜に走った亀裂を大きくしていった。


『この空間に堕としたのは、お前一人の筈だ、しかしこれはなんだ……っ』


 灼熱の心火を灯らせたダルフは、毅然とした顔で暗黒へと言い放つ――


「みんなの“心”を――」

『――崩壊? ――“無”が打ち崩される……そんな事が』


 硝子の割れていく様な音が闇を満たし始めると、ダルフの耳元に聞こえて来た。

 下げた右手に、人肌の重ねられていく感覚があった。


「やぁっと二人きりになれたわね、ダルフくん」

「ピーター……っ」

「あら、私は邪魔だとでも言いたいのかしら。どう考えても、それは貴方の方だと思うんだけれど」

「リオ……っン……」


 涙の伝う頬の側に、囁かれた少女の声を聞く。


「後ろを見て、ダルフ」

「え…………っ」


 愛しき声に振り返ったダルフ。


「ぁ――――」


 彼が眺めたのは、何時の間にか背後に大挙していたであった。


「みんな……っ……やっぱり居てくれたんだ」

「ずっと居たわ、貴方の側に」

「本当に……っ、みんなっ」


 それらの光の一つ一つは、ダルフに託し、希望を重ねた人々のものであった。見知った顔が、懐かしき笑顔が、ダルフを取り囲んで精一杯に微笑んでいる。


 ……グイとダルフの顎が引っ掴まれ、下を向かされた。顔に触れた冷たくも温かい感触が誰のものであるかは、彼が一番良く分かっていた。


「ダルフ……」

「リオン…………っ」


 愛した少女の顔を確かに見下ろし、ダルフは赤面し、涙を垂らした。


「泣かないの」


 そう言って細い指先が彼の涙をすくうと、


「――――っ!」

「…………」


 リオンの唇が、ダルフの唇に重なっていた。


「リオン……おれ、俺……」

「いいのよ、言わなくても分かってる」

「でも、言いたい事が……お前に会えたら伝えたいって思っていた事、が沢山……でも、あれ」


 止めどもなく溢れた思いは、ダルフの口からすんなりとは出てきはしなかった。

 泉の様に湧き出すのは、目尻から彼の頬を伝い、顎先へと集まる雫だけだった。


「なん……で、あれ……どうして、かな。言葉が、出て来ないっ」

「……馬鹿ね」


 光に構成された全身を急速に闇に溶かしゆくリオンは、愛くるしい笑みを携え、一度だけ、彼の額を撫で上げた。


「言葉にしなくたって、言いたい事は全部伝わる」

「……っ……ぅっ」

「だって私の気持ちが、貴方には伝わっているでしょう?」

「っ、ぅ……リオン」

「……。さぁ……時間よ」


 リオンとピーターに肩を押されて振り返ったダルフ。目前にはヒビ割れた“無”の境界線がある。


「貴方の世界を、取り戻して」

「……っ!」


 視線を落とすと、右手には見失った筈のフランベルジュが握り込まれていた。


「ずっと……握っていたのか。闇に覆い隠されても、離さずにいたのか」


 人々に託されし“想い”を握り込み、そこに雷火の二重螺旋が息吹を上げる――


「みんな……」


 名残惜しくて思わず振り返った先には、ただ闇が広がっていた。


「ありがとう」


 薄く微笑んだダルフは涙を拭い、瞬く六枚の白雷と、六枚の天使の翼を、闇夜に開花させていった――


 そして、暗黒に白き閃光が駆ける――


「フゥ――――ッッ!」


 短く息を吸い込んだダルフのフランベルジュが、横薙ぎに障壁を打ち砕く!


『な…………っ』


 “虚無”の世界を叩き崩し、暗黒界が粒子となって崩壊した。

 ――躍動したダルフの眼下には今、曇天の下で呆気に取られ、放心するクロンの姿があった。


刮目かつもくしろ、“神”ッ!!」

『不敬な……っ! ――“無”へとアイン


 うねるクロンの毛髪が、無数の激流となって“無”を逆巻かせる。頭上の“天魔”を再び呑み込まんと、その大口を開けて闇へと誘う――


「ハァ――――ッッ!!」

『ナンダ……!!? お前は“無”を斬るのか。そこにある筈の無い闇まで!』


 “神聖”の寄り集まりし炎と雷電が、巨大剣の一閃に暗黒を切り抜ける――


『その神聖は元より私の力であるぞ、それが何故っ』


 更にと打ち上げられたクロンの闇に、頭上からのフランベルジュが鍔迫つばぜり合う。濃密な暗黒を飛散させゆくは、人の纏うの光――


『何故、お前の手中に……!』


 神の見上げる天上には、煌めく光の十二が柱となって、何処までも打ち上げられていた。

 だが“神聖”もまた譲らない。突き上げてくる闇は鋭利となって、身の毛もよだつ恐怖の造形でダルフを責め立て始めた。

 フランベルジュの刀身を縦に、暗黒をその巨大剣で受ける構えとなったダルフ。だがそこに消極的な意志の一切は無く、炎の如く揺らめいた刀身から、黄金の眼光が“神”を覗いていた――


「これが、人類の持てる最高峰の一撃……っ」


 飛び散る闇の残滓ざんしが、ダルフの肌を切り刻む。闇による外傷は、対象に想像を絶するだけの苦痛を強いる。

 だがしかし! 

 鬼神の眼光は弱まる事を知らず。ますますと苛烈となっていく気迫が、眼下の神さえすくませた――!


『あ……あぁ…………あああぁあああ!!!!』


 必殺の構えに、強く握り締めたフランベルジュ。

 その身に受けたエネルギーを


 ――!!


「これが人類最後のつるぎ――」

『――――っ――!』


 ――そして“天魔”は吠える。猛々しく、雄々しく、同時に天も突き抜けるかの如く荘厳に。



「『天剣てんけん』ダァああああぁあああああああああ――――ッッッッ!!!!!」



 ――紅きフランベルジュと共に突き落ちた落雷が、大地を大きく弾け飛ばして陥没させていた……


「…………」

『こんな……事が…………』


 闇夜過ぎ去りしそこに佇むは、光に照らし出されたと――


『私はここに……ありは、しない』

「…………」

『ありはしないもの、まで……お前は斬るのか』


 風になびいた長髪の背後で膝を着いた、胸に巨大な切り傷を光らせた闇の少女。

 静まり返った決着の余韻の中で、ダルフは迷う仕草も無く、真っ直ぐな視線を地平へと向かわせた――


「いつまでも終わらない闇に、人々が光を求めると言うのなら……」

『――――ゥぐぁ――っ!!』


 血走ったクロンの全身――次の瞬間に“神聖”の全身は発火し、爆裂的な光に浄化され始めた。螺旋の雷光に蒼く変化した焔が、少女の全身を締め上げながら空へと焚き上げていく――


『そう……か、お前は自らで無く……人の、為……に……』


 始めて知覚するに身悶えしながら、クロンは人類の背を無心に眺め、常世から消えていった。

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