第二十四章 喚いて死ね。下衆共

第133話 お前たちの番だ

   第二十四章 喚いて死ね。下衆共


 空白む明朝。

 闇夜の晴れたホドの都に、昨晩の夜陰やいんよりも濃い暗黒が足を踏み入れた。


「鴉紋、あっちだよコロッセオ」

「あぁ」


 鴉紋とセイルの背後で巨大な市門が半壊している。瓦礫に埋もれた門番は呻き、民はその轟音に飛び起きて、悪夢の襲来を知る。

 民の叫声に最早眉も潜めなくなったセイルが、前を歩く鴉紋の姿を足元から見上げながら、短い息を漏らした。

 鴉紋は左足を引き摺りながら歩み、黒くなった右腕をだらりと下げて前を見据えている。


「鴉紋。無闇に力を使ったら駄目だって言われてたでしょう? 市門だって壊す必要は無かったんだから」


 セイルが心配そうに見下ろした鴉紋の右腕は、もう元の肌色に戻る事は無い。

 ビナ・コクマの都にて、彼の内に潜むもう一つの人格が現れてから。彼の体は、正体不明のその人格による侵食でも受けているかの様に、黒色化の範囲を広げていった。

 黒色化の範囲に合わせて更なる力を得たが、同時にもう一つの意思もまた、より強烈に鴉紋の意志を引き摺り、表出する頻度を増やしていた。

 力を使えば使う程に、鴉紋はその人格に蝕まれていくのだ。戻らなくなったその右腕の様に、やがて彼の体は漆黒に染まり、その人格に呑み込まれるだろう。

 それを見越したフロンスが、力を使うのは必要最低限にする様にと鴉紋に口酸っぱく言っていたのを、セイルが注意しているのだ。


「本当はコロッセオにだって行くのに反対したんだからね? 鴉紋、聞いてる?」

「コロッセオは潰す……赤い瞳を見世物にして殺し合わせる場など、完膚無きまでに消滅させる」

「……っも〜!」


 静かな口振りの中に、抑え切れていない怒りを垣間見せる鴉紋の正面に、セイルが躍り出た。

 そして後ろ手に手を組んで、前屈みになったまま鴉紋に屈託の無い笑みを見せる。


「でも、私はどっちの鴉紋も好きだけどね」


 鴉紋の心中をまるで察しない、不躾で無遠慮な言葉。彼女は最早、自らに内包する歪んだ感情を包み隠す事をしなくなった。そして、積極的に意中の彼へと歩み寄っていく。


「でも、今の鴉紋が消えちゃうのは、悲しいな」

「……ふ、……はっは……!」


 くびきから解き放たれ、邪悪となっていきながらも、以前よりもずっと可憐な笑みをする様になったセイルに、鴉紋は笑う。



 程なくして、4層になった円形の建造物が二人の前にそびえ立った。薄茶色の高い外壁を見上げた鴉紋は歯軋りを始め、黒くなった右手と、肌色のままの左手で拳を握り締める。

 周囲から喧騒は遠ざかり、遠くから悲鳴が立ち上っている。


「下がれセイル」

「うん……」


 鴉紋の伸ばした黒い右の腕が、込められた力に反応して膨張する。そしてみきみきと肉を軋ませながら、その拳を巨大なコロッセオの外壁に打ち込んだ。

 一際強固に作られた壁は、大砲に撃ち抜かれた様な轟音と共に風穴を開ける。


「人間共め……この……ッ!! 忌まわしい人間共め!!」


 鴉紋はその鬱憤を晴らすかの様に叫びながら、拳を幾度も解き放って、壁を砕いていった。

 その背中を後ろから眺めるセイルが物憂げな表情を見せ始めると同時に、コロッセオの約半径が、蜂の巣にされた足元の1階席に耐えきれずに、高い砂煙を上げて沈んでいった。

 やがて薄茶色の土煙が風巻に消えていくと、残されていたのは歪な形に半壊したコロッセオであった。

 息を荒げた鴉紋が踵を返すと、その背後の打ち崩されたコロッセオの奥で、地下からの台座が上がって来たのに気付く。

 台座には兜を上げてその面相を露わにしたクレイスと数人の仲間達。他の地下に続く階段からも、わらわらとロチアート達が集まって来て闘技場に立ち尽くした。

 クレイスは約50人にもなる武装したロチアート達の前に一人出ると、立ち止まった鴉紋に向かって歩み始めた。


「鴉紋様……終夜、鴉紋様…………っ!」


 クレイスの瞳に涙が溜まっていく。その後に続いて行くロチアート達の目頭にも、輝くものがある。

 立ち尽くした鴉紋の横に並んで、セイルは彼を見上げた。


「全員ロチアートだよ。ここで闘わされていたグラディエーターだと思う」


 鴉紋は歩み寄って来る彼等に向かって、足を引き摺りながら、自らで近付いていった。

 やがて闘技場の中心部で対面した鴉紋とグラディエーターの群れ。

 クレイスは鴉紋の黒くなった右腕を認め、彼が待ち望んでいたその人、終夜鴉紋本人である事を実感すると、改めて感涙し始める。


「赤い瞳……」


 強い眼光を放つ鴉紋の呟きの後に、涙を流したクレイスが口を開く。


「鴉紋様……俺達は、ずっと。貴方が来るのを待っていました」

「……俺を?」

「そうです。俺達は何年も昔からずっと、人間の見世物にする為に、ここに居る仲間達と毎日殺し合いを繰り返させられて来ました」

「……」

「家族の様な仲間達を、時には兄弟を、父親を、息子を、奴等の娯楽の為に切り付け続けて来た。この闘いの連鎖から逃れる為に互いに容赦も出来なかった」


 ロチアート達は鴉紋を見つめながら、感極まって涙を落とし始める。それ程までに彼等は鴉紋の襲来を切望し続けていたのだ。


「次第に俺達の心は壊れていって、家族を容赦無く切り付けるただの人形になっていった。非情になり切れなかった者は心を破壊されて廃人となりながらも、尚も闘技場に立たされる。俺達はただ、人間のおもちゃとして天寿を全うするしか無かったのです。何の希望を持つ事も許されず、ただ痛みに支配されるだけの毎日……」


 そしてクレイスは鴉紋を確かに見つめ返しながら続けた。


「鴉紋様……二年前、貴方の噂を耳にするまでは」


 ロチアート達の熱き眼差しを一身に受けた鴉紋は、優しげで柔和な表情を彼等に向ける。


「悪かったなお前達……遅くなって」


 話に聞いていた残虐そのもの様なイメージと反する、余りにも情深く、憐憫れんびんな視線に、ロチアート達は何時しか喰い縛った顎を震えさせ、堪えていた涙までもを一気に吐き出していた。

 そして鴉紋は彼等全員を眺める。


「もうそんな思いはさせない。もう二度と……」


 嗚咽を漏らすロチアート達に紛れて、クレイスは口元を抑えながら鴉紋へと言葉を返す。


「心の砕かれた数多の家族達、死んでいった数多の家族達の思いを胸に、貴方に同行したい」


 セイルが鴉紋を窺う。空から落ちる陽射しが分厚い雲に遮られて、彼に影を落とす。


「復讐だ……」


 鴉紋は語り始めた。次第に瞳を吊り上げていきながら、砕けてしまうのでは無いかという程に奥歯を噛み締め、語気を荒くしながらに。


「お前達が繰り返して来た痛みを、悲しみを、屈辱をっ! ……今度は人間に味合わせる番だ」


 みるみると豹変していく鴉紋の表情と言葉。彼の中のもう一つの人格の言葉に、クレイス達は怖気を立たせながらも、瞳を輝かせていった。


「人間共を滅尽めつじんする……」


 グラディエーター達の咆哮が空に解き放たれる。拳を握り締め、剣を振り上げながら、白昼を突き抜けていく。

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