【風に散る短編】山猫騒動(2)
朝一番の鳴海の勤めと言えば、一の姫君・瑠璃の剣稽古の相手。
剣術指南役の鳴海が来るよりも一足早く、瑠璃は素振りで一汗流していた。
びゅっと一際鋭く空を斬って、瑠璃は一旦その手を止めた。
「瑠璃様、お早いですな」
「ああ、鳴海か。遅かったじゃな……っ!? ……い、か……」
聞き慣れた鳴海の声にぱっと振り向いて、瑠璃はぎょっと目を瞠った。
「イカ? イカですと? 瑠璃様、猫にイカを食わすと腰が抜けるのですぞ」
「……な、何の話じゃ」
「ハッ!!? い、いやいや特に何ということはありませんぞ!?」
さて、それでは一本、などと気を取り直して、鳴海は木刀を構える。
瑠璃は迷った。
鳴海の頭に、見慣れぬ耳がある。
言動と挙動の不審さは平素と大差ないが、頭上の耳については一体どう突っ込みを入れて良いものか、非常に疑問だ。いや、それ以前に、突っ込んでしまっても良いのだろうか、とさえ思う。
「………」
「さあ、瑠璃様っ! 今朝もお相手仕りますぞ!」
にっと口角を上げて笑顔を作る鳴海。その体勢は既に正眼の構えを取っている。
鳴海の威勢に釣られて、瑠璃も木刀を握り直すのだが、視線はやっぱり彼の頭上に向いてしまう。
じり、と間合いを取るが、今この心境で一本取りに掛かって行く気にはなれない。
「どうなされた。今朝は随分と慎重ですな? ……ならば、私から参りますぞ!」
「──わわッ、しまったッ!」
気付けば鳴海の姿は瑠璃の視界から忽然と消えていた。
焦った次の瞬間、瑠璃の背を鳴海の得物がトン、と突いた。
「甘うございますな。いつもの瑠璃様らしくない。何に御気を殺がれておいでか」
「! くっそう」
(原因はそなたの耳じゃッ! それは一体何の真似なのじゃあッ!!?)
訊きたいが訊けない、そんなもどかしさに歯噛みした、その時。
襷で括り上げられた瑠璃の袖が、強く引っ張られた。
「!?」
「にゃッ………にゃにゃにゃにゃん!!!」
驚いて背後を見れば、鳴海が血眼になって袖にじゃれついていたのである。
気になる猫の耳もピンと真上に反り上がり、顔も大変な形相になっている。
「にゃんにゃんにゃんにゃんにゃ」
「やッ、喧しいわ──!!! じゃれるでない、このバカ!!」
豹変した鳴海に恐怖心すら覚え、瑠璃は叫んだ。
その直後、瑠璃と鳴海の間に割り込んできた逞しい腕が、じゃれつく鳴海をべりっと引き剥がしてくれたのが見えた。
「んがにゃん!!」
「大谷殿ッ!!! 何か様子がおかしいと思ったら、やはり瑠璃にまで妙な真似を!」
「!? 銃太郎殿じゃないか!」
いとも容易く鳴海を剥がしてくれたのは、瑠璃が砲術塾で世話になっている木村銃太郎であった。
未だにフーッ! と威嚇している鳴海の首根っこを捕まえて、銃太郎はちらりと瑠璃に目を配る。
「銃太郎殿、こやつ、もしかしてそなたにも妙な事を……?」
「……ああ、ついさっき、門の辺りで突然喉を撫でろと迫られた……」
げっそりと溜息混じりに答えたが、銃太郎はすぐに鳴海へと視線を戻した。
「フーーーッ! ギョルルルル、キシャーッ!!」
手足をバタつかせ、何とか銃太郎の手を振り解こうとしているらしいが、そこは流石、力自慢の銃太郎。鳴海がどんなに暴れても、ビクともしない。
「鳴海が……まるで猫じゃな」
猫というのもおこがましいほど獰猛に見えるのだが、頭に生えた耳は多分猫で間違いないはずだ。
「大谷殿は最近、猫を虐めたり……ということはなかったか?」
「? ……いや、それは私にもよう分からん。何故じゃ?」
「どう見ても、大谷殿のこの様子は……、絶対に祟りか呪いか憑依だぞ」
「!!」
二人がまじまじと鳴海を見詰めれば、威嚇する唸り声は一層激しくなる。最早それは、鳴海本人というよりも、鳴海っぽい猫にしか見えなかった。
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