埋められた空白と告白
コーを両脇から抱えて、レンとシーナはゆっくりと、しかし確実に学会の事務所を後にした。
シーナが言うとおり、建物の中はがらんとしており、時折姿を見せる人間は誰もみな一様に眠りこけている。
レンはシーナに尋ねたいことが山ほどあった。
しかし今はそのときではないということはよくわかる。何より痩せたとはいえまだまだ重量のあるコーを抱えていては、まともな会話すらままならない。
それでも事務所の玄関を出るときに、我慢できずに一つだけ質問を口にした。
「あれ、どうやって寝かせたの?」
「ああ、大したことはない。催眠ガスを充満させたんだよ。レンとコーまで寝てたらどうしようかとひやひやしたが、まあ結果オーライだ。二人のいた牢屋が最深部だったせいだろうな」
二人は途中、何度も休憩を挟みながらも、なんとかコーの身体を引き摺り、やがて公共の飛行船乗り場へとたどり着いた。
レンとコーを他に誰もいない待合室に残し、シーナが切符を求めに行く。
レンは大きく肩で息をしながら、コーの様子を窺った。先ほどまで見せていた苦しそうな表情が、心なしか穏やかになったように見える。
シーナの持ってきてくれた解毒剤がどれほどの効力のものかはわからないが、少なくとも回復しつつあるようでレンは大きなため息とともに胸をなで下ろした。
待合室の窓からは西に傾きかけた赤みがかった太陽が見える。気温が落ちてきていることに今更ながら気が付き、レンは身震いして自分の肩を抱いた。
やがてシーナが切符と共に戻ってくると、三人はジョーネン市行の小型飛行船に乗り込み、暖かい船室の座席に落ち着いた。
ぐったりとして動かない男を抱えた少年と妙齢の女、という取り合わせは随分奇妙に写っただろうが、乗務員は特に気にする素振りも見せず、その赤と黄色に塗られた少々派手な飛行船を発進させた。
客席はレンたちの貸し切り状態だった。
切符の確認を終えた乗務員が、ごゆっくり、と言い残して機関室へと去っていくと、レンは待ちかねていたように口を開いた。
「シーナ、ありがとう。僕もうだめかと思った。でもどうしてここに? お父さんは?」
するとシーナは少し寂しそうに笑い、死んだよ、と告げた。
「1か月ほど前かな。結局最後まで私のことは娘だとわからなかった。ずっと誰か他人が世話をしているんだと思い込んでいたよ。墓も無いからな、火葬にした後はハロスの中に散骨した。だがまあ、これですっきりした。一応けじめはつけられたかな。急な我儘で船を降りて悪かった」
「ううん。いいんだ、それは」
「それから、一旦オクホ市へ戻ってたんだ。しばらくは何をしていいかわからずに抜け殻みたいな状態だったよ。ラボももうないしな。それで知り合いの家に居候させてもらってたんだが、流石にずっとというわけにもいかない。当面住み込みの仕事でも見つけるか、それともいっそまた身体でも売ろうか、なんて半ば自棄になってた」
少し遠い目をしたシーナが見つめる先には、雲の向こうへと落ちて行く夕日があった。赤く照らされて長い睫毛が形作る陰影が、彼女の顔を美しく見せていた。
「そんなときにな。何の拍子か知らないが、突然失くしてた記憶が戻ったんだ」
「えっ。記憶が? 拉致される直前の?」
話を聞きながらシーナの顔に見惚れていたレンは、驚いて目をしばたたいた。
シーナが失っていた1か月あまりの記憶。
その間にこの研究者が何をしていたのか。レンはそれを尋ねようとして、どうしても言葉が胸につかえて出てこないことに気付いた。
本当に聞いていいのだろうか。
ライネの言葉が頭をよぎる。
――そしてもう一つ、シーナという女はな。君が言うところの、人体実験をやっていたのだよ――。
その真実を聞くべきか、聞かざるべきか、強い葛藤がレンの口を閉ざしていた。
「何だ。何か言いたいことがあるのか」
シーナに促されて、レンは2度、生唾を飲み込み、そしておもむろに口を開いた。
「ねえ、シーナは拉致される前の頃、人体実験をしていたの?」
するとシーナは少し驚いたように目を見開き、そしてあっさりと答えた。
「どこでそれを聞いたんだ? 私ですら忘れていたのに――。だがまあ、そうだよ。私は確かに人体実験をしていた」
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