鉄格子の向こうで

 レンたちが押し込められた鉄格子の中は、不衛生でやりきれないほど酷い臭いがした。

 固く粗末なベッドがふたつ並んでいるだけの牢獄。トイレの代わりに部屋の隅には溝が切ってあり、時折申し訳程度の水がそこを流れていく。


 自分たちの体臭と排泄物の臭い、そしてベッドの湿気たべとつく布団に染みついた垢の臭い。

 それらが入り混じった空気の中で、レンとコーはかれこれ3週間も過ごしていた。


 世間はとっくに正月も終わり、極寒の中で日々の暮らしが回り始めている筈だ。

 一方のレンたちはといえば、運ぶものといえば鉄格子の隙間に差し入れられる簡素な食事くらいで、あとはただただライネたちが時々やってくるのをあしらうだけの生活である。


「まだ言う気にはならんか?」


 ライネは鉄格子の前に立つ度にそう言っては、口を閉ざしたままの二人に悪態をついて戻っていく。

 どうやらシーナの居所を喋るまではここから出すつもりはなさそうだった。


「ねえコー、シーナのことさ、本当なのかな」


 あるとき、レンは小声でコーに尋ねてみた。


「本当っていうと?」

「人体実験」

「どうだろうな。シーナも科学者だし、俺たちの知らない顔があってもおかしくはないだろうけど」


 コーは長いこと手入れしていない髪の毛をがりがりと掻いた。薄明りの中にもフケが飛び散るのがわかる。

 トレードマークの坊主頭も髭も、すっかり伸びてむさ苦しくなっていた。そういうレンも人のことは言えない。絡まり合った癖毛はもはや手櫛が通らないほどにもつれている。


「だけどな。少なくとも俺は人体実験をしてない、と信じているからシーナを売らないわけじゃない」

「どういうこと?」

「シーナが記憶を失っている間に何をしていたかは関係ないんだ。あいつは俺が面倒を見る、と約束したんだ。だから売らない。それだけだ」


 レンは曖昧に唸り声で返事をした。

 確かにコーはそうかもしれない。だけど僕はどうだろうか。シーナのことを信じたい気持ちと、まさか、という思いが同居している。

 もしこのまま喋らなければずっとここに閉じ込められたままなのかと思うと、シーナを庇う気持ちが揺らぎそうになる。


「しかしわからんのは学会の連中だな。なんでここまでしてシーナを狙うのか。シーナの実験のデータなら盗み出したんだろう。本人に拘る理由があるのかね」

「シーナがそれだけ優秀だってことなんじゃないの。他の科学者だとシーナの研究を再現できない、とかさ」


 うん、とコーが腕組みをしたまま曖昧に返事をした。


 その時、ライネが廊下の向こうに現れた。今日は珍しくお供の二人も一緒だ。おや、と思っているうちに男たちは鉄格子の前までやってくると、おもむろに鍵束を取り出し、扉を開いた。


「……出ろ。大人しくしてろよ」

「なんだい。ようやく釈放か?」


 レンとコーが、信じられない、という表情のままよろよろと立ち上がる。すると様子を見ていたジスが、コーの腕を掴んで半ば無理やりに立たせた。


「痛えな、何するんだよ」

「いいからしっかり立て。さあ、こっちへ来てもらおうか」


 牢屋から出された二人は、ふらふらとした足取りでライネの後に従った。オランが抱えているのは連射の効く蒸気式の機械銃だ。抵抗したところで勝ち目はない。

 そもそも長いこと閉じ込められていたので、格闘するだけの体力も残っていなかった。


 ライネたちは二人を連れて3階へと向かう。

 そしてたどり着いた部屋にコーを押し込み、ドアを閉めて施錠した。


「お前はこっちだ」


 レンの方はそのすぐ隣のドアに入れられる。今度はライネたち3人も一緒に部屋へと入ってきた。


 机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。

 ただ唯一、ひとつの壁面がガラス張りになっている。そしてそのガラス越しにコーの姿が見えた。

 何事か喋っている様子だが、ガラスがよほど厚いのか、くぐもった声が聞こえるばかりで内容まではわからない。


 一体何が始まるというのか。レンが思わずライネを見ると、ライネは下卑た笑みを顔中に貼り付けながら言った。


「さあて、随分待たせたがようやく準備が整った。君にはシーナの居場所を喋ってもらうよ」

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