レンの怒りと子供の行先

 子供たちの一団がすすり泣きの声を残してアルセナー号へ収容されると、周囲は無人になった。

 街中の宿が営業していないことを考えれば、ここに停泊している飛行船のほとんどは中に誰かしら寝ているのだろう。しかし夜中であるため、どの船もしんと静まり返っていた。

 

 こんなところで人買いが行われていることなど誰も知る由もない。


 レンがそっとアルセナー号に近づくと、中から男たちの声が聞こえてきた。


「……を変更だ。一旦ミョウコウ市の支部に向かうぞ。明日の朝一だ。早く休めよ」

「しばらく支部に置いとくんですかい。このガキども」

「ああ。学会への納品が一日ずれ込んだらしい。それまでうちで預かるんだとさ」


 どうやらミョウコウ市にバクロー商会の支部があるらしい。そこへ明日子供たちを連れて行こうということだろう。

 だが学会とはどういうことだろう?

 レンは眉根に皺を寄せながらもっとよく聞こうとアルセナー号のゴンドラに耳を押し当てた。


 昼間の熱気の欠片がまだ微かに残っている金属の板を通して、男たちの会話がまたレンの耳にはっきりと届いてきた。


「しかし可哀想なもんだな。あいつら、もう太陽を拝むこともねえだろうな。学会が何をするのか知らんが――」

「しっ。静かにしろよ。ガキどもに聞かれたら大騒ぎだぞ」

「ああ、悪い悪い。だけどよ、科学者の連中も大金を払って人身売買に手を出すなんざ、世も末だと思ってさ」

「俺たちがそれを言うかよ」

「ちげえねえ」


 男たちの下卑た笑い声が響く。

 レンは固く握りしめた拳を震わせながら、そっとその場を離れた。


 これ以上聞いていたらそのまま殴り込んでしまいそうだった。


 脳裏に一人の少女の顔がちらつく。

 4年前、レンと一緒に人買いに買われ、逃走中に奴らに殺された痩せこけた少女。アキという名前だった。レンにできた初めての友達だったのだ。


 アキの顔を思い出したとき、それと一緒にはっきりと記憶が蘇った。

 レンが乗せられた人買いの飛行船。そのガス袋に描かれていた、バクロー商会のマーク。

 どうして今まで忘れていたんだろう。そうだ、奴らは人買いだったんだ。僕は最初から知っていたんだ。


 ジーシェに戻ったレンは、そっとベッドに潜り込んだが、当然睡魔など訪れる筈もなかった。

 明日の朝一番で奴らは哀れな子供たちを連れて出発する。僕はどうすればいいだろう。


 人買いが違法とはいえ、周りの飛行船の人たちに事情を話しても誰も助けようとはしないかもしれない。

 裏社会の人間とことを構えようとする奇特な人間が果たしているだろうか。


 だけどこのまま見過ごすことなどできない。アキの仇をとらなきゃ。

 レンは眠れない頭でぐるぐると考えながら、夜明けを待った。



 眩しい朝日が差し込む頃、レンはベッドを抜け出すと身支度を整え、コーとシーナを起こしにかかった。


「なんだよ、レン、随分早いじゃないか。もう少し寝かせてくれたって――」

「いいから起きてよ。ゆうべ大変なことがあったんだよ」


 コーは腫れぼったい目をこすりながら仕方ない、といった様子で身を起こした。

 シーナはといえば、うめき声をあげるだけでまだ起きる様子はない。はだけて下着の際まで露わになった形の良い脚をもぞもぞと動かし、また布団に潜り込もうとしたので、レンは躊躇いなくそれをめくってどかした。


「なんなのもう……女の布団をはぎ取るものじゃないだろ」


 ぼやきながらようやくシーナが起き上がる。

 レンは二人が覚醒するのを待って、昨晩見たものについて早口に説明を始めた。


「何、なんだって? 人買いが? 昨日の……サカの船が?」

「間違いじゃないのか? バクロー商会ってのは真っ当な運送会社なんだろう?」


 未だ事情をよく呑み込んでない様子のコーとシーナだが、レンはお構いなしだった。


「間違いないよ。はっきり聞いたもの。ねえ、コー、あの子たち助けてあげようよ。あのままじゃ学会に売られちゃうよ」

「しかしなあ。俺たちで何ができる? 向こうは大人の男たちばかり何人もいるだろう。こっちは女が一人に子供が一人だぞ?」

「ちょっと。僕を子ども扱いしないでよ」

「ああ、そりゃ悪かった。しかしそれにしたって人数が違い過ぎる。どうやって解放するんだよ。子供たちは可哀想だが、俺たちが殺されかねないんだぞ」


 コーの言うことはもっともだ。

 そんなことはわかっている。レンも素直に正面からぶつかったところで勝ち目がないことは重々承知していた。


「なあ、取引先が学会ってのは間違いないんだろうな」


 そのとき、二人の会話を聞きながら考え込んでいたシーナが口を挟んだ。


「うん、学会に売られるって言ってた。シーナ、何か知らない? 学会は子供を買ってどうするんだろう」

「はっきりしたことはわからない。だけど、ひとつ思い当たる節がないこともない。といっても想像の域を出ないけど――」

「何?」


 シーナは少し躊躇いながらも、眉を顰めて続きを口にした。


「人体実験だよ。ハロスの治療薬の効果を確かめるためのね」

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