荷下ろしと蝶
翌朝、宿で朝食を済ませた三人は、ジーシェ号で再び離陸した。
勿論目的はツルギ市へ荷を運ぶことだが、今はそれに加えて新たな目的ができていた。
昨晩、街の蒸気工房で話を聞いたところ、工房として大がかりにウォーカーの修理をやっているのはそのダイセン市のところくらいで、他は皆個人で細々とやっている程度だという。
頻繁にメンテナンスが必要になるウォーカーをまだ利用しているとしたら、アツがその工房に出入りしている可能性は高そうに思えた。
ツルギ市からダイセン市だと、さらに半日以上飛ばなくてはならない。ただ、少なくともジョーネン市へ戻ってから出直すよりはずっといいだろう。
相変わらずの曇り空だったが、雨は一時的に止んでいた。とはいえ、この分だとまた午後くらいから降り出すかもしれない。
そうなる前に荷物だけは降ろしてしまおうと、レンは全速力に近いスピードでジーシェを走らせている。手元の圧力計の針は右側のほとんどいっぱいまで振れていた。
灰色の雲の波が後ろへと飛ぶように流れて行く。
この季節特有の湿っぽい風が開けた窓からゴンドラの中を通り抜けるのが少し不快だったのか、コーが面倒くさそうにレバーを回して窓を閉じた。普段ならば余程寒い季節でなければ大体ジーシェ号の窓は開いている。それは単にコーが流れる風を感じながら飛ぶのが好きだ、というだけの理由だったが、天気の悪い日は例外だ。
昼を少し過ぎた頃、遠くにツルギ市の煙が見えてきた。
ツルギ市の発着場は、正確に言えば街のある峰の隣の山にある。流石にこの一帯では特に大きい街だけあって、街の中に造るには場所が足りなかったものとみえる。
色とりどりの飛行船が行き交う中を、操舵を交代したコーは慎重に進んだ。旅客を乗せた大型船、ジーシェと同じような形の輸送船、まるで気球のような姿の個人用のものや、怪しげな男たちを満載したダブルデッカーまで、ありとあらゆる船の見本市のようだ。
航空警備隊らしき武装船の横をすり抜けて発着場へと降り立つ。
ここから先は一旦受取人の待つ倉庫へと歩いて行かねばならない。ただ、ここの倉庫にもセージのところと同じような駆動台車がきちんと配備されているらしいので、大量の荷物の運搬には困らない筈だった。
コーとレンが隣の峰にある街の中心部へと駆動台車を呼びに行ったので、荷物番を任されたシーナは、白衣のポケットから煙草を取り出して火をつけた。
ジーシェのステップに腰を下ろして空中に投げ出した両足をぶらぶらさせながら、地面から数十センチ上をふわふわと漂う船の揺れに身を任せて煙を大きく吸い、吐き出した。
ジーシェに乗ってからというもの、煙草の量が明らかに増えた、と自分でもわかっていた。学会に拉致されて荷物として輸送される前のひと月ほど、シーナには記憶がない。コーに言わせれば拉致されたときに使われた薬の影響じゃないか、ということだ。おそらくそうなのだろう。
だがこうやって煙草をふかしていると、時々失った記憶の断片のようなものが浮かんでくる気がするのだ。それでついついこの身体に悪い嗜好品に手が伸びる。
街も私も、同じようなものだな、とシーナは自嘲した。
どちらも煙を吐き出しながら、その日その日を必死になって生きている。
物思いに耽っていると、突然左の方から鋭い警告音が響いた。
「発着場ハ、禁煙デス! 発着場ハ、禁煙デス!」
けたたましい音に続いて機械合成された声がそう告げる。
驚いてそちらを振り向いたシーナの目に飛び込んできたのは、一台の赤と黄色に塗り分けられた派手な
写真では見切れていたその下半身には、鳥のように人間とは逆に曲がる関節を持つ2本の脚が生えていた。ただ、その脚は予想していたよりも太く、両脚の間は数センチしか隙間がない。頑丈さが優先なのだろうか、意外と無骨な造りをしているな、とシーナが感心していると、再び機械音声が文句を言い始めた。
「発着場ハ、禁煙デス! 発着場ハ……」
「わかったわかった。消すよ」
慌ててシーナが煙草をもみ消すと、不快な警告音は止み、ウォーカーはくるりと向きを変えると停泊している飛行船の間を縫ってどこかへと去っていった。
「つまりお前はこの発着場の監視員ってわけだ。ご苦労なことだな」
シーナがその後ろ姿に投げかけた言葉は、樽のような身体の監視用ウォーカーの耳には入らなかったらしい。少しして、誰かが同じように注意を受けたのだろう、また遠くから先ほどの警告音が聞こえてきた。
仕方なしに取り留めもなく考え事をしているシーナの鼻先を、1匹の蝶がかすめるようにして飛んでいった。
「おや、ミヤマタカネヒカゲか。こんな南の方にもいるんだな」
シーナが呟くと、蝶はその地味な茶色の翅を見せつけるようにして数回付近を旋回してから煙の中へと消えた。
それからシーナはまたぼんやりと考え事をしながら、男たちが駆動台車を引き連れて戻ってくるのを待った。
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