「格闘家」前編

 商店街の中にある年季の入った中華料理屋「散々軒さんざんけん」。

 その店のテーブル席で、今、黙々と担々麺を食べている男が居た。


 彼の名は、小田中小平おたなか しょうへい。24歳。

 プロの格闘家である。


 身長185センチの大きな身体が、黙々と麺を吸い込んでいく。

 格闘家と言う職業柄なのか、彼の顔つきは食事中も険しい。

 まるで怒っているかのように、麺を啜っていた。

 いや、実際、彼の心は怒りで満ちていた。


 今の小田中はスランプだった。


 彼は子供の頃から、体躯に恵まれ、運動神経も良かった。

 そして、なにより実家はボクシングジムを経営していた。

 小田中は子供の頃から、リングがきしむ音を聞いて育ってきたのだ。


 そんな彼が格闘技に興味を持つのもおかしくはなかった。


 小田中は学生時代から総合格闘技の大会に参加。何度も優勝してきた。

 そして、高校を卒業すると同時に職業として、本格的に格闘家としての人生を歩むことを彼は選んだ。


 小田中は手当たり次第にいろんな格闘家たちと戦い、何度も勝利した。

 粗削りだが、その実力は天性の才能、センスのものだと評論家は言った。

 小田中小平は、若くして「令和の天才格闘家」と言われ続けた。


 だが、そんな栄光も長くは続かなかった。

 たった一度の敗北が彼をどん底に突き落とした。


 謎の格闘家、『王仁慈おう じんじ』という男が小田中の前に現れたのだ。

 年齢は同じ。そして、身長と体重もほぼ同じで、なにより身体能力までほぼ同じという、まるで生き写しのような男が現れたのだ。

 自分の写し鏡のような男の登場に、小田中は困惑した。


 そして、ある日、小田中と王仁慈の試合が決まった。

 小田中はいつもの調子で王仁慈を攻めた。

 しかし、そのいつもの調子が王仁慈には通用しなかった。

 まるで、小田中の動きをすべて読んでいるかのように、王仁慈は小田中の攻撃をすべてかわした。


 小田中には信じられなかった。

 どの攻撃も当たらない。


 小田中にとって、それは今までに経験したことのない出来事だった。

 初めて感じる焦り、不安、恐怖。

 それらが小田中から自信と余裕、そして、冷静な思考能力を奪っていく。

 頭が混乱し、心が乱れた小田中。

 そして、ついに今までにない大きな隙を作ってしまった。

 そこを王仁慈は突いた。


 小田中の顎に、たった一発の拳が当たった。


 まるで大きなビルが崩壊するかのように、小田中の膝が一気に崩れ、生まれて初めてマットに顔を落とした。

 ゴングが鳴り響く。

 その音は小田中の中にあった自信やプライド……なにより、今までの小山田の人生そのものが粉々に砕けたような音だった。


 それから、小田中の長いスランプが始まった。




続く

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