第18話 吸血鬼社会人百合掌編を書いてみよう 『残業』

 静まり返ったオフィスに、ぶうんと空調の音が響いている。机の上に置いてあるディスプレイは、どれも電源が切られていた。窓の外はすっかり暗くなっていて、蛍光灯の白い光に照らされたオフィスは暗い海の底に沈んでいるかのようだった。

「ユキさん、こんなところで……」

「大丈夫、みんな帰りました。誰も来ませんよ。スミ先輩」

 オフィスに残っているのは二人の女性社員だけだった。花里ユキと牧長スミ。二人は同じ部署の先輩後輩だった。いま、ユキは机に腰掛けているスミの目の前に立ち、スミの脚を両手で挟むように机に手を付いていた。

「いいですよね、先輩?」

 吐息がかかるほどユキが顔を寄せてきて、思わずスミは顔を反らした。スミの頬が赤く染まっている。その反応に、ユキが口元を綻ばせた、ユキの白い指先が、スミの首筋に触れる。

「いいですよね?」

 ユキの再びの問いかけに、スミは一瞬硬直し、確かに頷いた。ユキの目の光が変わる。獲物を狙う捕食者の瞳をしながら、ユキは微笑んだ。わずかに開いた唇の合間から、異様に長く鋭い犬歯が覗く。

「じゃあ、いきますよ」

 ユキはスミの肩を力強く掴んで、ゆっくりと引き寄せた。スミはユキのなすがままになり、自らの首筋を差し出すように、首をひねった。そして、その首筋にユキが齧り付いた。

「ッ……!」

 太く鋭いものが皮膚を突き破る感覚に、スミは一瞬身体を強張らせ、ユキの背中にしがみついた。傷ついた首筋から、生暖かいものがにじみ出てくるのがわかる。

「んっ、んくっ、んくっ」

 ユキは流れ出るスミの鮮血を喉を鳴らして飲み始めた。一口、また一口とユキが血を啜るたびに、スミは自分の大切ななにかが奪われていくのを感じた。それはただの体液でなく、生命にとってかけがえのない根本的なものだと、本能的にわかる。命の一部を奪われる感覚に、背筋が震える。ユキに自らの命を捧げる行為は、退廃的で、蠱惑的で、スミにとってたまらない悦びだった。

「あ……ああ……」

 スミは眉を寄せ、ときおり甘い呻きを漏らした。被吸血の感覚に耽溺するスミの様子に、ユキは満足げに微笑み、さらに吸血を激しくする。

 しばらくして、ユキは名残惜しそうにスミの首筋から口を離した。ユキの唾液とスミの血の混じったものが、赤い糸を引く。

「んっ、やっぱり、先輩の血、おいしい……。ふふふっ」

 ユキは捕食者の笑みを浮かべて言った。そして、自分が付けたスミの傷口を舐め始めた。すると、あっという間に出血が止まり、みるみるうちに傷が塞がり、スミの首筋はなにごともなかったかのように元通りになった。

「はあ、はあ、はあ……」

 全力疾走したときのような疲労感と虚脱感に、スミは荒く息を吐いていた。傷は治っても、いまだ首筋には吸血の名残りが痺れとなって残っている。

「先輩、こっち見てください」

 ユキがスミの顎を軽く撫でた。促されるままに、スミがユキの方を向くと、ユキはスミの唇を奪った。スミがいきなりのことに驚いて硬直している間に、ぬめった舌が侵入してくる。ユキの舌はひんやりとしていて、血の味がする。スミはユキの熱烈なキスに応えた。

 やがて、どちらからともなく二人の口が離れると、ユキはにっこりと笑った。

「ねえ、先輩。落ち着いたら、いっしょにご飯食べに行きましょう。奢ってあげます。いつもみたいに。だから……ね。また、今度もお願いしますよ」

 ユキは含みのある流し目を送った。スミはゾクゾクとしたものが背筋を走るのを感じた。

「うん。また、ね」

 スミはこくりと頷いた。二人の他に誰も居ないオフィスに、ぶうんと空調の音が鳴った。

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